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道隆が定子のために設えた造花の桜~清少納言『枕草子』~

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994年(正暦5年)2月21日、 藤原道隆 は積善寺で、 一条天皇 の生母・ 藤原詮子 や中宮・ 藤原定子 の隣席のもとで一切経供養を行いました。 この時、 定子 は参列のため内裏から二条宮に退出しますが、そこには満開の桜がありました。 清少納言 は「まだ梅が盛りなのに・・・」と思いますが、よく見ると、造花の桜で 道隆 が 定子 のために設えた桜でした。 しかし、夜中に雨が降ると見苦しい状態になってしまいます。 道隆 は 定子 に気づかれぬように桜を撤去。 ただ、 清少納言 には気づかれてしまい、悔しがったのだとか。 清少納言 は 定子 に「春風がやったことでしょう」と知らないふりをしたらしい・・・ 法雲寺 法雲寺 は、 藤原兼家 が別邸の二条第に建てた法興院の跡地に建立された寺院。 法興院境内には兼家の子・ 道隆 が建立した積善寺もあった。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

六道の辻の幽霊子育飴~死後に水飴を買いに来た女~

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昔、 六道の辻 に一件の飴屋があった。 ある夜のこと、表の戸をたたく音がするので主人が外へ声をかけると、かすかな声で「飴をいただきにまいりました」という返事があった。 主人がさっそく戸を開けると、髪を長く垂らし、肩を落とした一人の女が立っていた。 そして、主人が茶碗にもった水飴を渡すと、女は三文をおいて立ち去っていった。 明くる日、主人が銭箱を見ると、昨晩の女からもらった三文が木の葉三枚に変わっていたという。 その夜、昨晩の女が再び現れ、やはり水飴を買っていった。 女が置いていった三文はやはり木の葉の三文だった。 こういう日が五日も六日も続き、ついに主人は寝込んでしまった。 それを聞きつけた近所の若者たちが飴屋で女の来るのを待ち、あとをつけると、女は京の都の墓場といわれた 鳥辺野 へと入り、ふっと姿を消した。 その事を寺の和尚に聞かせると、10日程前に若い女を葬ったという。 そして、その墓を確かめに行くと、若い女の死骸の上で水飴を嘗めながら泣いている赤ん坊がいた。 この赤ん坊は女が死んだあとに生まれたため、女は赤ん坊のために夜毎水飴を買いに出掛けていたのだという。 その後、赤ん坊は和尚に預けられ高僧になったといい、飴屋は「幽霊飴」と呼ばれ大繁盛したのだとか。 「幽霊子育飴」を売る「みなとや」さん。 六道の辻 六道の辻 は、平安京三大葬送地の一つ 鳥辺野 の入口。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源頼朝ゆかりの金王桜~渋谷:金王八幡宮~

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東京渋谷にある 金王八幡宮 の社殿前に植えられている 金王桜 は、 源頼朝 が鎌倉の亀ヶ谷館( 壽福寺 )から移植させたという桜で八重と一重が混生する珍しい桜。 3月30日(土)・31日(日)には、金王桜まつりが開催されます。 正午~。 30日(土)には、金王丸尊像特別開帳も。 午前11時30分~午後2時00分 金王八幡宮 金王八幡宮 は、 源義朝 に仕えた金王丸の名がつけられた神社。 金王丸は、 源義経 を襲撃した 土佐坊昌俊 と同一人物ともいわれます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉市の木~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉原産の桜~ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆