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紫式部の歌~越前武生で見た初雪~

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紫式部公園歌碑 「ここにかく 日野の杉むら 埋む雪 小塩の松に けふやまがへる」 父・ 藤原為時 に同行して越前武生に下向した 紫式部 が初めて迎えた冬・・・ 初雪が降った日に越前富士とも呼ばれる日野山に積もった雪を眺めながら、都にある小塩山の松を思い出して詠んだ歌。 日野山の杉は雪が降って埋もれんばかり。 都の小塩山の松にも降り積もっているのだろうか? 紫式部公園 紫式部公園 から見える日野山。 紫式部像 園内の 紫式部像 は日野山を見つめている。 大原野神社 都の小塩山の麓には 紫式部 が氏神と崇めた 大原野神社 が鎮座。 2月23日オープン ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

往生要集~厭離穢土欣求浄土・恵心僧都源信~

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985年(寛和元年)、 比叡山 の 横川 にある 恵心堂 に隠遁していた源信が『往生要集』を著しています。 穢れた世界を厭い離れ、清浄な仏の国土に生まれることを願い求める思想「厭離穢土欣求浄土」を浄土信仰の基本とした源信。 穢土を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道とし、浄土には10種の楽のあることして、浄土での十楽を願い、穢土を厭い離れることを勧めました。 恵心堂 恵心堂 (恵心院)は、天元年間(978-983)、 藤原兼家 が慈恵大師良源(元三大師)の協力を得て建立した寺。 源信は、ここで修行して恵心僧都と呼ばれました。 浮御堂 琵琶湖に浮かぶ 浮御堂 は恵心僧都源信の創建。 恵心院 宇治の 恵心院 は恵心僧都源信が再興した寺。 恵心僧都源信は、 『源氏物語』 の 「宇治十帖」 に登場する横川の僧都のモデルといわれています。 紫式部 の父 藤原為時 は、 比叡山 の 横川 に住して念仏結社『二十五三昧会』の結成にも関わったとされる慶滋保胤と親しかったのだとか。 源信に帰依していた 藤原道長 は、出家後、 法成寺 を建立。 源信と同じように阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして最期を遂げたのだと伝えられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2024春:横須賀浄楽寺の運慶仏御開帳

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浄楽寺 浄楽寺 は、 源頼朝 とともに鎌倉に武家政権を樹立させた 和田義盛 が建立した寺。 「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は、胎内の銘札から和田義盛の発願で 運慶 が造立したものと判明しています。 運慶 は 興福寺 を拠点に活動していた奈良仏師康慶の子。 奈良仏師は、 平等院 の阿 弥陀如来坐像 を造立した定朝の流れをくむ仏師集団。 正系の成朝没後は、傍系の康慶、運慶らの慶派に受け継がれました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆