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蘆山寺の元三大師堂~紫式部邸跡~

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蘆山寺 の元三大師堂は、 比叡山 中興の祖といわれる元三大師(慈恵大師良源)を祀る堂。 良源は、 藤原道長 の祖父・藤原師輔の後援を得て 比叡山 の 横川 を中興。 道長 の父・ 藤原兼家 は、師輔にならって 横川 に 恵心堂 (恵心院)を建立しています。 恵心堂 で修行した恵心僧都源信は、 紫式部 の 『源氏物語』 に登場する横川の僧都のモデルといわれています。 蘆山寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

平安神宮の大極殿~平安京の大内裏にあった大極殿の縮小レプリカ~

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平安神宮大極殿 平安神宮 は、1895年(明治28年)、平安遷都1100年を記念して創建されました。 平安京の 大内裏 (平安宮)の政庁( 朝堂院 )が8分の5の規模で復元されたもの。 祀られているのは、平安遷都を行った桓武天皇と、平安京の最後の天皇となった孝明天皇。 大極殿は 朝堂院 の正殿。 794年(延暦13年)、桓武天皇が遷都した頃の平安京は・・・ 南の入口に 羅城門 。 その東西には王城鎮護の 東寺 と 西寺 が建てられます。 羅城門 から北へ延びていたのがメインストリートの朱雀大路。 その北端には朱雀門、 朱雀門 を入ると大内裏(平安宮)がありました。 大極殿跡 平安神宮 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

弘法にも筆の誤り~弘法大師が書いた応天門の額~

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平安神宮応天門 応天門は、 平安宮 (大内裏)の政庁( 朝堂院 )の正門でした。 平安神宮 の応天門はその縮小版。 伝承によると・・・ 弘法大師空海 は勅命により応天門の額を書くことになります。 しかし、「応」の字の点を書き忘れてしまい、掲げられた額に筆を投げつけて書き足したのだとか。 「弘法にも筆の誤り」ということわざは、そこから生まれたのだといいいます。 平安神宮 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

藤原詮子の慈徳寺~花山天皇が出家した元慶寺近くにあった寺~

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花山天皇 が出家した 元慶寺 の隣接地には、 藤原詮子 が建立した慈徳寺があったといわれています。 藤原実資 の『小右記』によると、慈徳寺は999年(長保元年)に落慶供養が営まれ、 藤原道長 の『御堂関白記』には、道長が工事を監督したことや、詮子の御幸の様子が記されています。 元慶寺 元慶寺 は、 花山天皇 が出家した寺。 花山天皇 は、寵愛していた女御の 藤原忯子 が死去すると、悲しみのあまりに出家を考えはじめたのだといわれています。 花山天皇 に信任されていた 藤原義懐 と権勢を争っていた 藤原兼家 は、この機に、次女の詮子が生んだ 懐仁親王 を皇位につけるため画策。 蔵人として花山天皇に仕えていた三男・ 道兼 に出家を勧めさせます。 そして、986年( 寛和2年)6月23日、 道兼 に連れられて 内裏 を抜け出した 花山天皇 は 元慶寺 で出家したのだといいます( 寛和の変 )。 華山寺 華山寺 は、慈徳寺の跡地に建てられた寺なのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆