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花山院~花山天皇の退位後の御所:光る君へ~

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花山院 は、 藤原兼家 の策謀で 元慶寺 で出家した 花山天皇 が御所とした邸宅。 宗像神社 花山院 は、もとは太政大臣・藤原冬嗣の邸宅・小一条院。 宗像神社 は、冬嗣が桓武天皇の命により、平安京の守護神として筑前国の宗像神社を勧請した社。 花山稲荷大明神 花山稲荷大明神 は 宗像神社 の境内社で、藤原忠平が 伏見稲荷 を勧請して創建。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

吉田神社~九条頼経も参詣した藤原氏の氏神~

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吉田神社 は、859年(貞観元年)、藤原山蔭が藤原氏の氏神・ 春日大社 を平安京の守護神として勧請。 一条天皇 が即位すると 大原野神社 と並んで崇敬され、鎌倉幕府四代将軍の 九条頼経 は上洛した際に 上賀茂神社 ・ 下鴨神社 ・ 八坂神社 ・ 北野天満宮 とともに 吉田神社 を参詣している。 吉田神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

令和の洪鐘祭 祭礼行列 2023年10月29日9:30~12:30

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10月29日は、60年に一度の 円覚寺 の 洪鐘祭 。 昭和の洪鐘祭は、1965(昭和40年)に行われました。 1960年(昭和35年)に行われる予定でしたが、5年延期されての開催でした。 祭礼行列は、10時に小袋谷の 水堰橋 を出発し、 建長寺 で折り返して 円覚寺 というコース。 旗・太鼓・金棒・面掛行列に始まり、神輿の渡御、2度目の祭礼経験者が乗るオープンカー、稚児行列、自動車に乗せた張子の洪鐘や宝船、御詠歌などが続いたようです。 令和の洪鐘祭も新型コロナウイルス感染症のため3年延期されました。 そして2023年(令和5年)の開催となりました。 祭礼行列は9時半から12時半まで。 小坂小学校で開会式が行われ、神輿が車で 建長寺 に行き行列がスタート。 張子の洪鐘、大神輿、お囃子、面掛行列、稚児行列、僧侶神職ら600名が 建長寺 から小袋谷交差点までパレード。 その長さは300メートルにも及ぶようです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

2023荏柄天神社の絵筆塚祭 10月8日(日)

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荏柄天神社 の 絵筆塚祭 は10月8日(日)午後1時から。 かっぱ筆塚 絵筆塚祭 は、 「かっぱ筆塚」 を建立した漫画家清水崑を偲ぶ祭。 境内には、漫画家による漫画絵行灯が飾られ、「筆供養」では参列の漫画家が永年愛用した古筆が寄せ書きとともに焚きあげられます。 絵筆塚 「かっぱ筆塚」 の背後には、清水崑の遺志を継いだ横山隆一らによる 「絵筆塚」 が建てられています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

企画展:高野山金剛三昧院~鎌倉歴史文化交流館~

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金剛三昧院 は、1211年(建暦元年)、 北条政子 が 源頼朝 の菩提を弔うために発願した禅定院に始まるといわれています。 1219年(承久元年)、三代将軍の 源実朝 が暗殺されると、実朝の菩提を弔うため、政子の命により 安達景盛 を奉行として伽藍造営が進められ、金剛三昧院となったようです(諸説り)。 かつて、 金剛三昧院 には二基の多宝塔があったそうです。 現存するのは 頼朝 の墳墓堂。 そして、もう一基は 実朝 の墳墓堂。 実朝の養育係だった大弐局の発願によるものだったのだといいます。 横浜の 称名寺 の塔頭 光明院 の大威徳明王も大弐局の発願です。 鎌倉歴史文化交流館 金剛三昧院 を造営した 安達景盛 は、伊豆の流人頼朝を支えた 安達盛長 の長男。 母は 比企尼 の長女丹後内侍。 実朝が暗殺された後、京都に戻って実朝の菩提寺・ 遍照心院 を建立した正妻・ 坊門姫 (西八条禅尼)は・・・ 寺に何か問題が起こったときは安達泰盛(景盛の孫)を頼るようにと遺言して亡くなったのだといいます。 鎌倉歴史文化交流館 は、安達氏の館跡という説も。 特集展示「洪鐘祭-60年に一度の祭礼の記録-」も開催されています。 洪鐘祭 は円覚寺弁財天の祭礼で、10月29日に開催される予定です。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆