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まんだら堂やぐら群~2023初夏の限定公開~

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まんだら堂やぐら群 初夏の まんだら堂やぐら群 の限定公開は、以下のとおり予定されています。 公開期間 令和5年4月22日(土)~5月29日(月) (※土・日・月・祝日のみの公開です) 公開時間 10:00~16:00 より大きな地図で まんだら堂やぐら群 を表示 JR逗子駅 から・・・亀が岡団地循環バス(6番乗り場) 「緑ヶ丘入口」下車徒歩8分 または 「亀が岡団地北」下車徒歩5分 JR鎌倉駅 から・・・緑ヶ丘入口行バス(3番乗り場) 「緑ヶ丘入口」下車徒歩8分 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源頼朝の姉妹・坊門姫の死

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『吾妻鏡』によると・・・ 1190年(建久元年)4月20日、鎌倉に 佐々木定綱 の伝令が到着。 報告されたのは、 源頼朝 の姉妹・坊門姫が4月13日に難産のため死去したという知らせ。 46歳だったのだといいます(本当だとすると頼朝の姉になる。)。 5月19日の山田重弘の報告によると・・・ 4月13日、存命のため出家してお産に望みましたが亡くなり、翌日、 仁和寺 辺りに葬られたのだそうです。 その日は 賀茂祭 の日でした。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 頼朝はとても悲しみ、4月22日には京都へお悔やみの使者を遣わし、5月3日には 勝長寿院 で追善供養を行っています。 5月5日の端午の節句は、 御所 の屋根には菖蒲を飾りませんでした。 5月10日には、 佐々木定綱 に四十九日の法要を営むよう命じています。 定綱の報告によると指導僧は 園城寺 の公胤。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

大江広元が供奉した賀茂祭

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検非違使尉 『吾妻鏡』によると・・・ 1191年(建久2年)4月20日、 後白河法皇 の 法住寺殿 の修理するため在京していた 大江広元 は、検非違使の職務として 賀茂祭 に供奉しています。 その際、後白河法皇から馬を賜ったのだといいます。 広元は、大江公朝・源季国・橘定康とともに警備の最高責任者(検非違使 尉) として都大路を進んだようです。 「平家にあらずんば人にあらず」と言った 平忠時 の娘宣子も 後鳥羽天皇 の典侍として行列にいたようです。 検非違使志 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

明月院の姫アジサイは牧野富太郎博士の命名

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明月院のアジサイは、日本古来の「姫アジサイ」。 日本の植物学の父と呼ばれれる牧野富太郎博士が「女性的で優美」であることから名づけたそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~アジサイの名所~

2013義高の鯉のぼり~GW:木曽義高の供養のための鯉のぼり~

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1183年(寿永2年)3月、11歳の時に人質として鎌倉に送られた 木曽義仲 の嫡男義高。 源頼朝 の娘 大姫 の許嫁として鎌倉で過ごしていましたが、翌年1月、父の義仲が 粟津の戦い で討死にすると・・・ 4月、義高も頼朝に誅殺されてしまいました。 義高の鯉のぼり は、若くしてこの世を去った義高の供養のために始められたのだそうです。 義高終焉の地とされる狭山市の入間川河川敷には、ゴールデンウィークに約300匹の鯉のぼりが掲揚されます。 義高の鯉のぼり ☆ ☆ ☆ ☆ ☆