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GW円覚寺舎利殿の特別公開

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円覚寺 の塔頭 正続院 の昭堂・ 舎利殿 は、鎌倉で唯一の国宝建造物。 源実朝 が請来したという仏舎利が祀られています。 現在の 舎利殿 は、 鎌倉尼五山 の一つ 太平寺 の仏殿が移築されたもの。 2023年(令和5年)のGW特別公開 5月4日~6日 9:00頃~16:00頃 (参考) 東慶寺の木造聖観音立像 東慶寺 の 木造聖観音立像 は、 太平寺 の仏殿に安置されていたもの。 鎌倉独特の装飾方法「土紋」が施された仏像です。 2023年は、60年に一度の円覚寺弁財天祭礼が開催されます。 江の島 の 弁財天 と 円覚寺 の 弁財天 は夫婦弁天と呼ばれ、61年目ごと(60年に一度)に行われる「洪鐘祭」(おおがねまつり)で出会うことになっています。  ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

静桜:静御前の悲しい運命~鶴岡八幡宮~

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静桜 京の白拍子だった 静御前 。 源義経 に気に入られ妾となりました。 源頼朝 と不仲となった義経が都を落ちるときも行動を共にしていました。 義経一行は九州へ渡るため摂津国の 大物浦 から船出しますが難破。 わずかな郎党と静を連れて 吉野山 に身を隠しますが・・・ 義経と静は 吉野山 で別れます。 その後、 蔵王堂 に辿り着いたところを捕らえられ、1186年(文治2年)3月1日、母の磯禅師とともに鎌倉へ送られてきました。 安達新三郎清経邸が宿舎とされたといいます。 そして、 頼朝 から 鶴岡八幡宮 で舞うように命じられたのは4月8日の灌仏会のときでした。 静の舞 吉野山 峰の白雪 ふみわけて入りにし人の 跡ぞ恋しき しづやしづ しづのをだまき くり返し昔を今に なすよしもがな その後も静は鎌倉に留め置かれました。 義経 の子を身籠もっていたからです。 『吾妻鏡』によれば・・・ 静は、閏7月29日、安達新三郎の家で男子を出産します。 生まれてくるのが女子であれば命は助けられたのでしょうが、男子の場合は将来に憂いを残すので殺される運命にありました。 頼朝 は、新三郎に生まれた赤子を 由比ヶ浜 に捨てるように命じます。 新三郎は静から赤子を受け取ろうとしますが・・・ 静は赤子を衣に包んで抱き伏せながら泣き続けたといいます。 しかし、助命の願いは叶わず、ついに磯禅師が静から赤子を押し取り、新三郎に渡してしまいます。 これを聞いた 北条政子 も頼朝に助命を願いますが聞き入れられず、生まれたばかりの赤子は 由比ヶ浜 で殺されました。 由比ヶ浜 「誕生したばかりなのに生きることが許されない」 母が 義経 の妾だった故の運命でした。 平清盛 に助命されたおかげで、源氏再興の願いを叶えた頼朝ですので、その仲が修復不可能となった義経の子を生かしておくわけにはいかなかったのでしょう。 それから2ヶ月後の9月16日、静と磯禅師は、 北条政子 と娘の 大姫 から多くの重宝を賜り帰洛します。 (※静は、 勝長寿院 でも 大姫 のために舞ったといいます。)。 その後の静の消息はわかりません。 一説には、 由比ヶ浜 に身を投げたともいわれ

鎌倉大仏と桜2023/03/30

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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉原産の桜~ (京都で人気を集めた鎌倉桜) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉市の木~

鎌倉の観音山は桜色2023/03/30

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☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉原産の桜~ (京都で人気を集めた鎌倉桜) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~鎌倉市の木~