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畠山重忠創建の東光禅寺~横浜市金沢区~

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東光禅寺 は、臨済宗 建長寺 派の寺院。 畠山重忠 が建てた鎌倉の医王山東光寺を前身としているのだと伝えられています。 ※医王山東光寺の創建については諸説あります。 畠山重忠供養塔 『吾妻鏡』によると、1205年(元久2年)、 畠山重忠 は 北条時政 の謀略により 武蔵国二俣川 で討死。 ただ、『新編武蔵風土記稿』によると、重忠は二俣川で最期を遂げたのではなく、東光禅寺の西方の山中で自害したのだとか。 東光禅寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

亀岡八幡宮~逗子市~

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亀岡八幡宮 は逗子の鎮守。 庚申塚 大きい笠型塔は寛文11年(1671年)の建立。 青面金剛像が彫られ、鎌倉の 御霊神社 の 庚申塔 より古いのだとか。 萬営稲荷社 宇賀之御魂神を祀ります。 商売繁昌・家内安全の守護神。 亀岡八幡宮 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

御岳山ケーブルカー

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滝本駅と御岳山駅間を結ぶ御岳山ケーブルカー。 標高差423.6m 最大勾配斜度25度 武蔵御嶽神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ

頼朝と義経が腰を掛けた対面石~黄瀬川八幡神社~

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八幡神社は、 源頼朝 と 源義経 が初めての対面をしたときに腰を掛けたという「対面石」(たいめんせき)が残されている神社。 祭神は、応神天皇・比売神・神功皇后。 対面石 1180年(治承4年)10月20日、 富士川の戦い で平家軍を破った 源頼朝 は、翌日黄瀬川の宿に戻ります。 そこへ一人の若者がやってきて 頼朝 への面会を求めました。 土肥実平 、土屋宗遠、 岡崎義実 らがこれを怪しみ、取り次ぎをしないでいましたが・・・ この話を聞いた 頼朝 は、「年齢の程を思うと奥州の九郎( 義経 )かもしれない。すぐに会おう」と言います。 土肥実平 が若者を請じ入れると、やはり 義経 でした。 義経 が御前に進むと、互いに往時をしのび、懐旧の涙を流します。 そして 頼朝 は、 後三年の役の際に、先祖 源義家 が苦戦をしていると、弟 義光 が朝廷警固の官職を辞して奥州に下り、敵を滅ぼすことが出来たという故事を引き合いに出し、 「今日ここへ来たのは、この先祖の例に匹敵するものだ」 といって 義経 の来訪を喜んだのだといいます。 ねじり柿 源頼朝が柿を食べようとしたところ渋柿だったため、種をねじって捨てた。 すると、後に出た芽が2本の木に成長し、幹をからませねじりあっていたことから「ねじり柿」と呼ばれるようになったのだとか。 頼朝を祀る白旗社 八幡神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ