昭和の時代の源頼朝墓
源頼朝墓 沢寿郎著『鎌倉史跡見学』より 写真が古いのですが、この 源頼朝の墓 は、1779年(安永8年)に薩摩藩の島津重豪が建てたものです。 現在の墓塔と少し雰囲気が違いますが、頼朝墓は1989年(平成元年)に何者かによって破壊されたことから修繕が加えられています。 2012年(平成24年)2月11日にも一番上の相輪部分が破壊されました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 『吾妻鏡』によると、 源頼朝 は、1189年(文治5年)7月18日、 走湯山 (伊豆山権現)の專光坊良暹を呼び出して、 奥州征伐 のための祈願所を設けることを命じています。 その祈願所が頼朝の「持仏堂」です。 本尊は、頼朝が三歳の時に京都の 清水寺 から下された聖観音像でした。 頼朝は、その死後、「持仏堂」に葬られたと伝えられ、以後、「持仏堂」は「法華堂」と呼ばれるようになったといいます。 「源頼朝墓」は、その後廃された法華堂の跡地に建てられました。 📎源頼朝の守り本尊 源頼朝の法華堂跡 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 2022年の大河ドラマ