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鎌倉:長谷寺の河津桜2021/02/25

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妙智池畔に大小二株の 河津桜 が植えられています。 大きい株の見ごろは終わってしまいましたが、小さい株は見ごろ。 サンシュユ 寒緋桜 阿弥陀堂前の 寒緋桜 が咲き始めました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

鎌倉:収玄寺の河津桜2021/02/25

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源頼朝に褒められた北条義時~頼朝が浮気して・・・~

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1182年(養和2年)3月、 北条政子 が懐妊。 すると、 源頼朝 は 伊豆国 の流人の頃からの愛人・亀の前を鎌倉に呼び寄せて寵愛します。 8月12日、万寿(のちの 頼家 )が誕生。 10月17日、政子と万寿は産所の 比企邸 から御所に戻ってきますが・・・ 政子を待っていたのは頼朝の浮気情報! 北条時政 の後妻 牧の方 が話したのだといいます。 怒った政子は、11月10日、亀の前が預けられていた伏見広綱の屋敷を牧宗親に命じて打ち壊しました。 頼朝は・・・ 11月12日に宗親を詰問し、陳謝する宗親の髻(もとどり)を切ってしまいます(宗親は、牧の方の父(兄とも))。 これに怒ったのが 北条時政 。 11月14日、 伊豆国 へ引き上げてしまいました。 この時、頼朝は、「子の 義時 は父が国許へ引き上げても従わずにいるのではないか」と思ったようです。 そして、 梶原景季 を呼んで確かめてくるよう命じます。 半時ほどして戻ってきた景季が、義時が残っていることを報告すると、もう一度景季を行かせて義時を呼び出しました。 参上した義時に頼朝は、藤原邦通を通じてこう伝えます。 「宗親がはなはだ奇怪な事件を起こしたので罰したら、北条時政は怒って伊豆へ帰ってしまった。 我が意に反した行為である。 ただ汝は我が意を汲んで、国許へ下がることをしなかった。 特に感じ入った。 我が子孫を守ってくれることであろう。 この手柄の褒美を後日与える」 義時 は特に良し悪しを言わずに、承る旨だけを伝えて引き上げていったのだとか・・・。 時政 がいつ鎌倉に戻ったのかは不明。 頼朝は、この後も懲りずに浮気を続けていたようです。 2022年の大河ドラマ

鶴岡八幡宮の桜2021/02/24

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流鏑馬馬場 旗上弁財天社 太鼓橋 ミモザ 源氏池 段葛 玉縄桜 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆