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慶元寺~江戸重長創建の寺院:世田谷区喜多見~

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世田谷区喜多見にある 慶元寺 は、1186年(文治2年)、江戸重長が江戸城(現在の皇居周辺)に創建したことに始まる寺院。  江戸氏が拠点を喜多見に移したことで、現在地に移転しました。   江戸重長像 江戸重長は、武蔵国の秩父氏の一流江戸氏の二代当主。 1180年(治承4年)8月、 源頼朝 が 挙兵 すると敵対しますが、10月4日には、 畠山重忠 ・河越重頼とともに頼朝のもとに参陣。 以後、鎌倉幕府の御家人として仕えました。 鐘楼 三重塔 江戸氏の墓所 慶元寺

酒匂神社と源頼朝の浜辺御所~小田原市~

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酒匂神社は、鎌倉時代の将軍の宿泊・休憩施設であった「浜辺御所」の近くに鎮座する社。 源頼朝 も馬を寄進しているのだといいます。 将軍の浜辺御所は現在の小田原市保健センター周辺にあったのだといいます。 酒匂は足柄道と箱根道の分岐点にあって人や物が行き交う重要な場所でした。 『吾妻鏡』によると、1185年(元暦2年)、平宗盛を護送して鎌倉に凱旋しようとした 源義経 は、酒匂宿で待機させられています。 1190年(建久元年)10月4日には上洛する源頼朝が浜辺御所に入御した記録があります。 『十六夜日記』によると、鎌倉に訴訟のため京都からやってきた 阿仏尼 は、湯坂路を経由して箱根山中を越え、酒匂川 (丸子川)を渡って酒匂宿に辿り着いたようです。 酒匂神社の樹林は小田原市の指定保存樹林。

小田原市国府津の真楽寺~親鸞聖人七ヶ年御旧跡~

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  真楽寺 は聖徳太子にゆかりがあるという古刹。 鎌倉時代に親鸞が逗留したことで天台宗から浄土真宗に改宗され、寺号は親鸞に命名してもらったのだという。 菩提樹 親鸞お手植えとされる樹。 御勧堂 御勧堂は親鸞が布教のために建てた草庵。 蓮如の謡曲『国府津(江津)』には、親鸞が7年の間、度々国府津に足を運び滞在していたことが詠まれている。 真楽寺 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

大谷本廟~親鸞の廟所~

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大谷本廟 は浄土真宗の開いた親鸞の廟所。 円通橋 親鸞聖人像 総門 「大谷本廟」の扁額は、第20世広如(こうにょ)が書いたもの。 鐘楼 二天門 仏殿 明著堂 明著堂は親鸞の墓所(祖壇)の前にある拝堂。 覚信尼碑 覚信尼は親鸞の娘。 覚信尼が建てた大谷廟堂と呼ばれ、 本願寺 (西本願寺)の始まりの地となりました。 大谷本廟 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

千葉神社

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  千葉神社は、千葉氏の守護神・妙見菩薩を本尊とする寺院として建立されたのが始まり。 1180年(治承4年)、 伊豆国 で源氏再興の 挙兵 をし、安房国から上総国を経て下総国に入った 源頼朝 は、 千葉常胤 の案内で参拝したのだと伝えられています。 現在の社殿は、1990年(平成2年)に竣工した建物で、上下に二つの拝殿を有する我が国初の重層社殿。 千葉天神 1182年(寿永元年)に勧請された菅原道真を祀る社。 千葉神社の摂社。 千葉神社の旧社殿であったことから北辰妙見尊星王の御神力も同時にいただけるとされています。 神紋(月星)に由来しての「ツキ(月)を呼び、勝(星)を拾う」という縁起の良さから参拝者が増え続けているのだとか。 妙見延寿の井 本殿参拝後に、この井戸の水を一口いただくと、増福延寿の御利益が・・・ 亀岩 撫でると幸運が授かる岩。 弁天社 末社 神橋 1992年(平成4年)に造営された二つの橋は、「ねがい橋」と「かない橋」。 尊星殿 尊星殿は、1998年(平成10年)に竣工した楼門と社殿の複合建築物。 中央「福徳殿」・東「日天楼」・西「月天楼」・上階「開運殿」の四つに分かれています。