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佐藤忠信花矢倉と横川覚範の墓~吉野山~

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花矢倉 は 源義経 を落ち延びさせるため、佐藤忠信が 金峯山寺 の僧兵を相手に戦ったという場所。 忠信は、吉野一の荒法師と呼ばれていた覚範を討ち取ります。 佐藤忠信花矢倉 横川覚範の首塚 覚範は 比叡山 の 横川 で修行した僧。 吉野一の荒法師と呼ばれていたそうです。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~花矢倉展望台からの眺望~ 金峯山寺蔵王堂 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

静御前が舞った勝手神社~吉野山~

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1185年(文治元年)、吉野山で愛する 源義経 と別れた 静御前 。 京へ帰るはずが・・・ 従者に金銀を奪われ山中を彷徨っているところを 金峯山寺 の僧兵に捕えられてしまいます。 静御前の舞塚 捕えられた際、 静御前 は 勝手神社 の社殿の前で舞い、荒法師たちを感嘆させたのだと伝えられています。 ※勝手神社は、2001年(平成13年)に不審火で焼失してしまいました。 勝手神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

吉水神社~吉野山:源義経が潜居した場所~

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1185年(文治元年)、 源頼朝 に追われて 吉野山 に逃げ込んだ 源義経 。 吉水神社 は、 静御前 や弁慶らとともに隠れ住んだ場所と伝えられています。 書院 書院造りの傑作といわれています(重要文化財)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 義経・静御前潜居の間 色々威腹巻 源義経 の鎧と伝えられています(重要文化財)。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 後醍醐天皇玉座 1336年(延元元年/建武3年)、密かに吉野へ行幸した 後醍醐天皇 が居所としたのが吉水院(現在の吉水神社)。 「ここにても雲井の桜さきにけりただかりそめの宿と思ふに」 廃寺となった 世尊寺 のほとりに咲く桜をみて呼んだのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 太閤花見の品 豊臣秀吉は花見の本陣としました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 吉水神社 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。

吉野山:金峯山寺

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金峯山寺 は、役行者(役小角)が、山上ヶ岳と 吉野山 に蔵王権現を祀ったことに始まる寺。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 黒門 黒門 は金峯山寺の総門。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 銅鳥居 銅鳥居 (かねのとりい)は、菩提心を発するところとされ、俗界と聖地の境界。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 仁王門 仁王門 は改修工事中。2026年頃の完了予定。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 蔵王堂 蔵王堂 は金峯山寺の本堂。 高さ34メートル、四方36メートルで木造の古建築としては、 東大寺 の 大仏殿 に次ぐ大きさ。 堂内の巨大厨子には、秘仏本尊蔵王権現三体が安置されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 四本桜 吉野を仮の本拠として挙兵した 護良親王 が、落城寸前に この桜 の前で酒宴を催したのだとか・・・ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 愛染堂 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 観音堂 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 威徳天満宮 威徳天満宮 は 如意輪寺 を開いた日蔵が祀った社。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鐘楼 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 後醍醐天皇導きの稲荷 吉野に行幸する 後醍醐天皇 を導いてくれた稲荷神。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 村上義光公忠死之所 二天門跡 に建てられた石碑。 護良親王の挙兵にしたがった村上義光は、親王の身代わりとなって二天門で自害したのだという。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉との繋がりを求めて。