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横須賀:浄楽寺で運慶の諸仏が公開されます!

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木造阿弥陀三尊像 木造不動明王・毘沙門天立像 浄楽寺 の「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は、胎内の銘札から 義盛 の発願で 運慶 が造立したものと判明しています。 「木造阿弥陀如来及両脇侍像」、「木造不動明王・毘沙門天立像」は本堂裏の収蔵庫に保管され、3月3日と10月19日に公開されています。 公開時間は10:00~15:00。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~奈良仏師運慶~ 興福寺 運慶 は奈良の 興福寺 を拠点に活躍した仏師。 興福寺北円堂 興福寺南円堂 の本尊:不空羂索観音菩薩像・ 北円堂 の本尊:木造弥勒菩薩坐像、木造無著・世親菩薩立像は運慶の作。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 東大寺南大門 東大寺南大門 の金剛力士像は、その代表作として知られています。 金剛力士像 阿形像は大仏師運慶と快慶が小仏師13人を率いて造立し、吽形像は大仏師定覚および湛慶が小仏師12人を率いて造立したもの。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 称名寺 神奈川県では、 浄楽寺 の諸仏の他、横浜市金沢区・ 称名寺 の 大威徳明王像 が運慶作と判明しています。 大威徳明王 最晩年の運慶の貴重な仏像。発願者は、 源実朝 の養育係だった大弐局。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 願成就院 静岡県伊豆の国市の 願成就院 は、 北条時政 が 源頼朝 の 奥州討伐 の戦勝を祈願して建立した寺院。 毘沙門天立像 本尊阿弥陀如来坐像・不動明王と二童子像(矜羯羅童子・制咤迦童子)・毘沙門天像は、時政の発願により運慶が造立したことが確認されています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 浄楽寺 https://www.yoritomo-japan.com/jyorakuji-yokosuka.htm 浄楽寺 は 和田義盛 の建立と伝えられる寺。 「JR逗子駅」から長井方面行きバス・「浄楽寺」下車すぐ。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

お十夜の念仏は比叡山から真如堂、そして光明寺へと伝えられました。

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十夜の念仏会は、平安時代に慈覚大師円仁が唐の清涼山から 比叡山 に伝えたものといわれ、室町時代になって後花園天皇が京都東山の 真如堂 に伝えました。 そして、享徳年間(1452年~55年)、伊勢貞国が 真如堂 に籠もって、10月6日から15日までの10日間にわたって勤行したのが、現在の「十夜法要」のはじまりと伝えられています。 にない堂 (延暦寺西塔) お十夜の引声念仏は、曲節をつけて声を引き伸ばして唱えるもの。 慈覚大師円仁が中国唐から 比叡山 に伝えたのだとされています。 延暦寺西塔 の にない堂 は常行堂(左)と法華堂(右)が廊下で繋がった建物。 慈覚大師円仁は、常行堂で引声念仏を行ったのだといいます。 真如堂 (京都) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~伊勢貞国~ 伊勢貞国は室町幕府の政所執事を務めた人物。 戦国時代の幕を開けた 北条早雲 は外孫です。 ※早雲の出自については様々な説があるようですが、伊勢盛定の子・盛時というのが定説となっているようです。 ~真如堂に籠った伊勢貞国~ この世の無常を感じた伊勢貞国。 若い頃から阿弥陀如来を信仰していた貞国は、三日三晩、 真如堂 に参籠して、満願の暁には出家することを考えていました。 すると・・・ 貞国の夢に僧が現れて告げます。 「阿弥陀を信じるのなら出家するのは三日待て」 そして、その三日後。 足利義教に仕えていた兄貞経が失脚させられて吉野に謹慎。 貞国があとを継ぐことになりました。 夢告がなかったら、自分は出家してしまい、兄の跡を継ぐどころか家が絶えてしまうところでした。 阿弥陀さまに感謝した貞国は、七日七晩重ねて参籠したのだといいます。 合わせて十日十晩の参籠となります。 これが「お十夜」の始まりだと伝えられています。 「心だにたてし誓ひにかなひなば世のいとなみはとにもかくにも」 貞国の夢枕に現れた僧が残した歌なのだといいます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~光明寺のお十夜~ お十夜法要 光明寺 の お十夜 は、1495年(明応4年)、第九世観誉祐崇が後土御門天皇の勅命で清涼殿において「引声阿弥陀経」・「引声念仏」による法要を勤修したことで勅許されまし

美しい鎌倉光明寺の山門楼上の仏像

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光明寺 の 山門楼上 には、釈迦三尊像、四天王像、十六羅漢像が安置されています。 今日から お十夜 が始まりますが、13日と14日には山門楼上が公開され、安置されている諸仏を拝観する事ができます。 釈迦三尊像 四天王像 十六羅漢 光明寺山門 光明寺 の 山門 は、鎌倉で一番大きな山門。 間口16m、奥行き7m、高さ20m。 掲げられている「天照山」の扁額は、後花園天皇の直筆。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

五山之上・鎌倉五山・京都五山

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五山とは禅宗寺院の格式を表したもので、鎌倉時代に北条氏によって制定されたのが始まりだといいます。 鎌倉幕府が定めた五山では、鎌倉の 建長寺 、 円覚寺 、 壽福寺 、 浄智寺 と京都の 建仁寺 が五山に列せられていたと考えられています。 その後、後醍醐天皇、足利尊氏、足利義詮が五山を定め、1386年(至徳3年)、足利義満によって最終的となる 京都五山 と 鎌倉五山 が決定されました。 五山之上 南禅寺 南禅寺 は、五山の上に置かれ、禅宗寺院の中で最も格式の高い寺とされました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 鎌倉五山 第一位: 建長寺 建長寺 は、1253年(建長5年)、五代執権 北条時頼 が宋の蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。 第二位: 円覚寺 円覚寺 は、元寇(文永・弘安の役)によって死んだ兵達の菩提を弔うため、1282年(弘安5年)、八代執権 北条時宗 によって建立されました。 開山には、宋の禅僧無学祖元が招かれています。 第三位: 壽福寺 壽福寺 は、1200年(正治2年)、 源頼朝 の妻 北条政子 の創建と伝えられる寺。 開山は我が国臨済宗開祖の 栄西 。 第四位: 浄智寺 浄智寺 は、五代執権北条時頼の三男宗政の菩提を弔うため、夫人と子師時が創建。 創建年は定かではありませんが、1281年(弘安4年)以降と考えられているようです。 第五位: 浄妙寺 浄妙寺 は、1188年(文治4年)、源頼朝の重臣足利義兼が父義康の菩提を弔うために創建した真言宗の極楽寺を前身としています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 京都五山 第一位: 天龍寺 天龍寺 は、1339年(暦応2年/延元4年)、 足利尊氏 が 後醍醐天皇 の菩提を弔うために大覚寺統の離宮であった亀山殿を寺に改めました。 開山は 夢窓疎石 。 第二位: 相国寺 相国寺 は、1382年(永徳2年)、足利義満が将軍家邸宅の「花の御所」の隣接地に創建しました。 開山は 夢窓疎石 。 鹿苑寺 (金閣寺)や 慈照寺 (銀閣寺)は 相国寺 の塔頭。 第三位 建仁寺 建仁寺 は、我が国臨済宗の開祖