1868年(慶応4年)、明治政府は神仏分離令を出します。 それに伴って全国で廃仏毀釈の運動が起こりました。 鶴岡八幡宮 でも1870年(明治3年)に薬師堂、護摩堂、大塔、経蔵、仁王門が破壊されます。 鶴岡文庫の模型 (天正期の鶴岡八幡宮) 鶴岡八幡宮境内図 (1732年(享保17年) ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~主な仏像の行方~ 【仁王像】 壽福寺 に移され現在も 壽福寺 の本堂に安置されています。 壽福寺仏殿 【弘法大師像】 等覚院 の本尊だったといいます。 松源寺に移された後、 壽福寺 に移されました。 現在は 青蓮寺 に移され本尊として安置されています( 鎖大師 )。 鎖大師開帳 【薬師三尊像】 薬師堂に安置されていました。 松源寺、 壽福寺 を経て現在はあきる野市の新開院に安置されています。 十二神将像も同じです。 薬師三尊像 【銅造薬師如来像】 もと神宮寺の本尊だったといわれる仏像です。 壽福寺 に移されますが、現在は 鎌倉国宝館 に寄託されています(参考: 鶴岡八幡宮の神宮寺と壽福寺の薬師如来像 ) 銅造薬師如来像 【地蔵菩薩半跏像】 松源寺に安置されていました。 長谷寺 に移された後転々とし、現在は横須賀市の 東漸寺 に安置されています。 日金地蔵 【如意輪観音像】 法華堂(現 白旗神社 (西御門))に安置されていました。 現在は西御門の 来迎寺 (西御門)に安置されています。 宅間浄宏作と伝わる地蔵菩薩像も 来迎寺 に移されています。 如意輪観音 【伝源頼朝坐像】 旧 白旗神社 の御神体だったといわれています。 東京国立博物館に所蔵されている像がそれあろうといわれています。 伝源頼朝像 (東京国立博物館蔵) 【地蔵菩薩立像】 扇ヶ谷にあった智岸寺の像で、智岸寺廃絶後、 正覚院 に安置されていました。 現在は 瑞泉寺 の地蔵堂に安置されています( どこも苦地蔵 )。 どこも苦地蔵 【二天像】 鶴岡八幡宮 の経蔵に置かれていましたが、 浅草寺 の東門( 二天門 )に移された後、戦時中に修理先で焼失しまったのだといいます。 浅草寺二天門 ※松源寺は 窟堂 の東側にあ