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静の舞と政子が頼朝に語った愛

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『吾妻鏡』によれば・・・ 1186年(文治2年)4月8日、 源義経 の愛妾 静御前 は、 鶴岡八幡宮 で舞を披露しますが、 義経 を慕う今様を歌いながら舞ったことから 源頼朝 の怒りを買います。 静の舞 頼朝 のそばで 静の舞 を見ていた 北条政子 は、自分の 頼朝 に対する情愛を述べ、今の静の気持ちを頼朝に説いたのだといいます。 「あなたが流人として 伊豆の国 にいたとき、あなたは私を愛してくれましたが、父の 時政 は平氏全盛の時期であることを恐れ、私を家に引き込めてしまいました。 しかし、あなたを慕う私は、闇の夜や激しい雨の中をはばからず、あなたの所へ通いました。 石橋山の戦い のときには、私はひとりで 伊豆山 にいて、あなたの生死もわからなくなり、日夜心配で生きた心地もしませんでした」 と振り返えり、 「そのときの私の気持ちと今の静の気持ちは同じです。 義経 との愛情を忘れて、今ここで 義経 を恋い慕わないようであるなら、静は貞女とはいえません」 と続けたのでした・・・。 逢初橋 伊豆山権現 (伊豆山神社)にいる 源頼朝 を慕って熱海にやってきた 北条政子 。 2人が対面したのがこの橋だったのだとか・・・ 頼朝・政子の腰掛石 (伊豆山神社) 頼朝と政子は、 伊豆山神社 の境内にある石に腰かけて恋を語らったのだとか・・・ 伊豆山神社 頼朝が挙兵すると政子は 伊豆山権現 (伊豆山神社)の覚淵に匿われていました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

源頼朝の新亭で御弓始

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1180年(治承4年)12月20日、 源頼朝 の完成したばかりの 御所 では、頼朝を饗応する儀式「椀飯」が催されました。 担当は三浦義澄。 その後、弓始めが行われました。 計画されていたことではなかったようですが、橘右馬允公長の二人の息子が弓の達人だったからなのだそうです。 一番手射手 下河辺行平 対  愛甲季隆 二番手射手 橘公忠 対 橘公成 三番手射手 和田義盛  対 工藤行光 弓始めが終わると、御行始の儀があり、頼朝は安達盛長の 甘縄邸 へ入りました。 盛長は馬を賜わっています。 除魔神事 鶴岡八幡宮 で正月5日に行われる 除魔神事 は、頼朝が「御的始」「御弓始」と称して行った武家の事始めを起源としています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ (参考) 橘公長は、平知盛の家来だった武将。 傾き始めた平家政権に見切りをつけて、この前日に息子の公忠、公成を連れて鎌倉に到着したばかりでした。 後の1185年(元暦2年)6月21日、 源義経 に命ぜられ、近江国篠原宿で平宗盛を処刑しています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 京都は七福神発祥の地

茅ヶ崎:円蔵神明大神宮からの贈り物2017/12/19

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今年も茅ヶ崎市の 神明大神宮 総代の方から嬉しい贈り物を頂きました。 癌封じ御守 この御守りのおかげで、毎年、病気もせず、新年を迎えることができます。 これで来年も元気に過ごせそうです。 神明大神宮 https://www.yoritomo-japan.com/sinmei-daijingu.htm 神明大神宮 は、 源頼朝 の武家の都の成立に大きな貢献をした大庭景義の懐島城内に建立された社です。 所在:神奈川県茅ケ崎市円蔵2282 源頼朝と大庭景義をめぐる茅ヶ崎MAP

鎌倉の銭洗弁財天の霊水で銭を洗って有意義に使おう!

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銭洗弁財天宇賀福神社 https://www.yoritomo-japan.com/page137zeniaraibenten.htm 銭洗弁財天 の霊水で洗い清めたお金は「有意義なことに使うこと」。 使う事で福が巡ってきます。 まずは「線香とろうそく」を購入し、ざるをお借りします。 身を清めるために線香をたて、闇を照らす「ろうそく」を灯します。 そして本宮と奥宮にお参り。 最後にお借りしたざるに銭を入れて霊水で清めます。 銭洗信仰は「霊水で銭を洗うと数倍にもなって返ってくる」というもの。 「返ってくる」ということですから持っていたのでは増えないのでしょう。 感謝の心をもって有意義なことに使う事が大切です。 洗ったお金はハンカチなどでよく拭き取りましょう。 お札は「びしょびしょ」になるまで霊水をかける必要はないそうです。 端っこに少しかけるだけで御利益があるそうです。 初巳祭 https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/hatumisai.htm 2018年新年初巳の日は1月1日。 10:00から 初巳祭 が執り行われます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 京都は七福神発祥の地

関東以北で2番目に古い鐘~坂東八番:星谷寺~

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坂東札所八番の 星谷寺 (座間市)の梵鐘は、全国で50番目、関東以北では2番目に古い鐘(国重文)。 嘉禄3年(1227年)の銘のあるもので、佐々木定綱の四男・信綱の寄進。 参考までに・・・ 日本最古の梵鐘は京都の 妙心寺 の 「黄鐘調の鐘」 と言われています。 698年(文武2年)の鋳造で国宝。 1973年(昭和48年)までは鐘楼に吊るされていたようですが、今は 法堂 に置かれています。 関東最古の梵鐘と言われるのは、土浦市の等覚寺の梵鐘(国重文)。 建永年間(1206~1207)の鋳造とされています。 星谷寺 https://www.yoritomo-japan.com/shokokuji.htm ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 正月に楽しめる花

源頼朝の夢に現れた「かくれ里の稲荷神と宇賀福神」

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佐助稲荷神社 源頼朝 がまだ 伊豆国 の 蛭ヶ小島 に配流の身であったころのこと。 「かくれ里の稲荷」と名乗る神霊が夢に現れ、頼朝に挙兵を勧めました。 その後、 源氏再興の挙兵 をして鎌倉を本拠と定めた頼朝は、かくれ里と呼ばれる地に祠を発見。 畠山重忠 に命じて社殿を建立させました。 それが 佐助稲荷神社 の始まりなのだと伝えられています。 頼朝は、初陣を果たした1159年(平治元年)の 平治の乱 で、一時、右兵衛権佐(うひょうえごんのすけ)に任ぜられました。 すぐに 平清盛 に敗れて解官され、伊豆国の 蛭ヶ小島 に流されますが、前右兵衛権佐であることから「佐殿」(すけどの)と呼ばれていたようです。 佐助稲荷神社 の「佐助」という名には、「佐殿を助けた」という意味があるのだとか・・・ 初午祭 稲荷神は、その字で明らかのように「稲の神、食物の神」として、広く農民に信仰されてきました。 今日では、商運祈願の参詣者も多くみられます。 2018年の 初午祭 は2月7日。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 銭洗弁財天宇賀福神社 源平の戦いが終わり、民の加護を祈っていた 源頼朝 の夢に宇賀福神が現れます。 宇賀福神は頼朝にこう告げます。 「西北の仙境に湧きだしている霊水で神仏を祀れば、平穏に治まる」と。 それが、巳の年の巳の月の巳の日だったのだそうです。 夢のお告げのとおり西北の地に泉を見つけた頼朝は、そこに岩窟を掘らせ宇賀福神を祀っりました。 それが 銭洗弁財天宇賀福神社 の始まりなのだと伝えられています。 銭洗水 そして、いつのころからか、 霊水 で銭を洗うと数倍になるという信仰が生まれます。 特に己巳日(つちのとみのひ)は多くの参詣者で賑わいます。 (※己巳日=弁財天の縁日)。 参考までに、洗った銭は持っているのではなく、使う事によってご利益があるようです。 初巳祭 2018新年の最初の巳の日は1月1日。 巳の刻(10:00)から 初巳祭 が執り行われます。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 京都は七福神発祥の地

2018鎌倉:梅情報~梅の名所へご案内~

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鎌倉の梅は、1月中旬頃から徐々に咲き始めます。 鶴岡八幡宮では、1月15日の 左義長 の頃になると白旗神社参道や源氏池の畔で咲き始めます。 荏柄天神社では、 初天神 (筆供養)が行われる1月25日には、拝殿前の 「寒紅梅」 が見頃を迎えます。 各所の詳細情報は画像をクリック・タップ! 鶴岡八幡宮 荏柄天神社 青梅聖天 宝戒寺 浄妙寺 報国寺 瑞泉寺 瑞泉寺の黄梅 光触寺 十二所果樹園 2月に入ると、荏柄天神社の 「古代青軸」 や宝戒寺の 「枝垂れ梅」 が見頃となります。 鎌倉最大の梅林:十二所果樹園は2月下旬頃から白梅で覆われます。 本堂前に見事な梅の木が並ぶ瑞泉寺の見頃は2月中旬頃からで、同じ頃、本堂前の天然記念物の 「黄梅」 も見頃を迎えます。 隠れた梅の名所は、梅の伝説が残された青梅聖天。 円覚寺 東慶寺 明月院 浄智寺 北鎌倉の梅の名所として知られる東慶寺では、門前から本堂へと至る参道に紅白の梅が植えられています。 見頃は2月下旬から3月にかけてでしょうか・・・。 近くの円覚寺や明月院も梅の名所です。 海蔵寺 英勝寺 妙本寺 本覚寺 長谷寺 光則寺 貞宗寺 常立寺 鎌倉唯一の尼寺英勝寺では、梅の咲く頃、天然記念物のツバキ 「侘助」 も見頃を迎えます。 元国使の供養塔がある藤沢片瀬の常立寺は、本堂前の「枝垂れ梅」で知られています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 曽我梅林 2018年の曽我梅林の梅まつりは、2月3日(土)から3月4日(日)。 2月11日(祝)には原会場で 流鏑馬 が奉仕されます。 梅と雪 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆