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第11回鎌倉藤沢スタンプラリー~紅葉めぐり~

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鎌倉藤沢スタンプラリーが開催されています。 8ヶ所のポイントのうち4ヶ所以上押印するとオリジナルボールペンがもらえます。 スタンプ設置場所 遊行寺 藤沢駅から徒歩15分。 時宗総本山。大銀杏は藤沢市の天然記念物。 江ノ電藤沢駅 龍口寺 江ノ電江ノ島駅 から徒歩3分 片瀬の 刑場跡 に建てられた日蓮宗の寺。 江の島サムエル・コッキング苑 湘南モノレール湘南江ノ島駅、江ノ電江ノ島駅から徒歩25分、 小田急片瀬江ノ島駅から徒歩20分。 平成15年に開園。もとの江の島植物園。 展望灯台(シーキャンドル) もこの中にあります。 長谷寺 江ノ電長谷駅 から徒歩5分。 日本最大級といわれる十一面観音で知られる寺。 (参考: 長谷寺紅葉ライトアップ ) 江ノ電鎌倉駅 妙本寺 鎌倉駅から徒歩7分。 比企能員一族が滅亡した所。11月27日には 程農化二胡コンサート が開かれます。 鎌倉宮 鎌倉駅から京急バスで大塔宮下車。 悲運の皇子護良親王を祀る神社。 鎌倉:紅葉・黄葉の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/koyo-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

鎌倉妙本寺祖師堂のサザンカ2011/11/12

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妙本寺 の 祖師堂 横にはピンク色のサザンカが咲いています。 妙本寺 は「サザンカ寺」とも呼ばれます。 もう少しすれば、境内のあちらこちらでサザンカが咲き始めると思います。 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

鶴岡八幡宮平家池のイチョウ2011/11/12

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鶴岡八幡宮 の 平家池 のイチョウが色づきました。 このイチョウは、毎年早い時期に色付き始め、他が紅葉の見頃になる頃には散ってしまいます。 今年は、9月の台風で潮の被害を受けてしまいましたので少し寂しい黄金色です。 鎌倉:紅葉・黄葉の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/koyo-kamakura.htm 鶴岡八幡宮の紅葉・黄葉 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/koyo-hatiman.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

鎌倉長谷寺の菊花展2011/11/12

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長谷寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136hasedera.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

鎌倉長谷寺の花2100/11/12

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ヒメツルソバ サフラン ^ オキザリス コンギク ダリヤ ウメモドキ ツワブキ 長谷寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136hasedera.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

秋の稲村ヶ崎2011/11/12

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稲村ヶ崎 から見た 七里ヶ浜 と富士山 イソギク が咲き始めています。 由比ヶ浜 側では ススキ がきれいです。 稲村ヶ崎 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page136inamura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

足利尊氏の建武式目

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1336年(建武3年)、 後醍醐天皇 の建武の新政から離脱した 足利尊氏 は、後醍醐天皇から光明天皇へ神器の授受が行われると、11月7日、 「建武式目」 を制定します。 「建武式目」は二項十七条からなるもので、答申書という形で作られた法令で、鎌倉幕府の政務に携わっていた二階堂是円・真恵兄弟ら8人が答申者となっています。 第一項には、「鎌倉を武家政治の本拠とすべきか」について答申がなされています。 その内容は・・・、 「鎌倉は 源頼朝 が幕府を開き、 北条義時 が天下を併呑した吉土であるから、本拠と定めるべき。 北条氏が滅亡したという不吉な地という批判もあろうが、それは北条氏が驕り極めて悪政を重ねたからであり、場所が凶だからではない。 ただ、鎌倉を離れたいという者が多ければそれに従うべき」 というものです。 第二項は、政道についてで、 「鎌倉幕府の全盛期の政治を模範とし、民を安んずることをもって、政治の至要とすべき」 として、その指針となる十七ヵ条が列挙されています。 この十七ヵ条という数は、聖徳太子の「憲法十七条」によったという説があるようです。 そういえば・・・ 北条泰時 が制定した 「御成敗式目」 は五十一ヵ条ですが、これも憲法十七条の三倍の数にしたということでした。 ※「御成敗式目」と「建武式目」を合わせて「貞建の式条」と呼ばれています。 足利尊氏 鎌倉幕府の成立と同じように、室町幕府がいつ成立したのかという問題には議論があるようですが、政治方針を明らかにした文書「建武式目」が作成されたこのときとする説が有力のようです。 「建武式目」制定から2年後の1338年(暦応元年/延元3年)、 足利尊氏 は光明天皇より征夷大将軍に任じられています。