浄妙寺 は、 足利義兼 の建てた極楽寺という真言宗の寺をその前身としています。 (義兼の子義氏の時に臨済宗に改められたと伝えられています。) 義兼 は、 源義家 を祖とする源氏で、1180年(治承4年)、 源頼朝 が挙兵すると、早い時期に頼朝に従い、源氏の血筋として鎌倉幕府では高い地位に置かれていました。 浄妙寺 1188年(文治4年)、 足利義兼 が父義康の供養のために創建した寺です。 義康は、「武神」とよばれた 八幡太郎義家 の孫に当たります。 中興開基は 足利貞氏 です。 浄妙寺 は、貞氏の時代に一番栄えていたといわれています。 https://www.yoritomo-japan.com/page042jyomyoji.htm 足利貞氏の墓 浄妙寺 の本堂背後の墓地には、 浄妙寺 を中興した 足利貞氏 のものと伝わる 宝篋印塔 があります。 貞氏は、 報国寺 開基の 足利家時 の子で、 八幡太郎義家 から八代の子孫に当たります。 のちに鎌倉幕府に反旗を翻し 室町幕府を開いた 足利尊氏 は、 貞氏の次男です。 貞氏の 宝篋印塔は、 中央に 宝生如来の浮彫が施されている珍しいものです。 貞氏は1331年(元弘元年)9月5日に亡くなったとされていますが、 この 宝篋印塔の基台の銘文には、「逆修塔」とあって、「 明徳3年 ( 1392年 )」の銘があります。 「逆修塔」は生前に建てる供養塔ですので、 もしかしたら・・・この 宝篋印塔は 貞氏のものではないのかもしれません。 浄妙寺 https://www.yoritomo-japan.com/page042jyomyoji.htm