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源氏池のフジ~鶴岡八幡宮~

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鶴岡八幡宮 の 源氏池 の畔にある藤棚です。 鎌倉のフジ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/kamakura-fuji.htm 源平池 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/genpeiike.htm 鶴岡八幡宮 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041hatiman.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

足利貞氏の宝篋印塔~浄妙寺~

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浄妙寺 は、 足利義兼 の建てた極楽寺という真言宗の寺をその前身としています。 (義兼の子義氏の時に臨済宗に改められたと伝えられています。) 義兼 は、 源義家 を祖とする源氏で、1180年(治承4年)、 源頼朝 が挙兵すると、早い時期に頼朝に従い、源氏の血筋として鎌倉幕府では高い地位に置かれていました。 浄妙寺 1188年(文治4年)、 足利義兼 が父義康の供養のために創建した寺です。 義康は、「武神」とよばれた 八幡太郎義家 の孫に当たります。 中興開基は 足利貞氏 です。 浄妙寺 は、貞氏の時代に一番栄えていたといわれています。 https://www.yoritomo-japan.com/page042jyomyoji.htm 足利貞氏の墓 浄妙寺 の本堂背後の墓地には、 浄妙寺 を中興した 足利貞氏 のものと伝わる 宝篋印塔 があります。 貞氏は、 報国寺 開基の 足利家時 の子で、 八幡太郎義家 から八代の子孫に当たります。 のちに鎌倉幕府に反旗を翻し 室町幕府を開いた 足利尊氏 は、 貞氏の次男です。 貞氏の 宝篋印塔は、 中央に 宝生如来の浮彫が施されている珍しいものです。 貞氏は1331年(元弘元年)9月5日に亡くなったとされていますが、 この 宝篋印塔の基台の銘文には、「逆修塔」とあって、「 明徳3年 ( 1392年 )」の銘があります。 「逆修塔」は生前に建てる供養塔ですので、 もしかしたら・・・この 宝篋印塔は 貞氏のものではないのかもしれません。 浄妙寺 https://www.yoritomo-japan.com/page042jyomyoji.htm

伝説の頬焼阿弥陀~光触寺~

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光触寺 の本尊阿弥陀如来像(国重文)は、「頬焼阿弥陀縁起」(国重文)に描かれた仏像だと伝えられています。 光触寺 の門前には「頬焼阿弥陀」の石柱があります。 そして山門にも「頬焼阿弥陀」の文字があります。 運慶 作と伝わる阿弥陀如来像。 この像が 光触寺 にある伝説の頬焼阿弥陀です。 光触寺 の本尊阿弥陀如来像の伝説は、国の重要文化財に指定されている「頬焼阿弥陀縁起」に描かれています。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ~頬焼阿弥陀縁起~ (紙本淡彩 頬焼阿弥陀縁起 二巻(国重文)) 仏師運慶は町局(まちのつぼね)に招かれ阿弥陀如来像の製作を依頼されました。 完成した像に町局は喜び日夜供養を怠らなかったといいます。 ある日、局の家のものが無くなったのを、局は仕えていた万歳法師のせいにしました。 局は家人に命じて法師の頬に焼印を押すように命じます。 しかし、法師の頬には焼印の跡がつかなかったといいます。 そして、局の夢の中に阿弥陀如来が現れました。 阿弥陀如来は「何故私の顔に焼印を押すのか」と云ったそうです。 次の朝、局が阿弥陀如来像を見ると頬に焼印の跡があったそうです。 局は阿弥陀如来が法師の身代わりになったのだと悟ったそうです。 (法師も阿弥陀如来を信心していたといいます。) その後、局は阿弥陀如来像を修復しようとしますが、 頬の焼印は消えませんでした。 局は比企ヶ谷に岩蔵寺を建て、この阿弥陀如来像を本尊として祀り、 手を合わせながら往生したと伝えられています。 法師も、さらに信心を重ね大往生したそうです。 この伝説は、鎌倉時代の仏教説話集の『沙石集』にも描かれています。 (※様々に言い伝えられているので、他にも異なった伝説が記されているものがあるかもしれませんがご容赦願います。) 町局が建てた岩蔵寺の本尊が、現在の 光触寺 の本尊阿弥陀如来像だと伝えられています。 光触寺 光触寺 の山号は「岩蔵山」です。 比企ヶ谷にあった岩蔵寺が 光触寺 の前身だということです。 ※頬焼阿弥陀の特別御開帳日は、6月と10月の第一土曜日。これらの日以外は予約が必要です。

妙本寺のシャガ2011

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~参道~ ~比企一族の墓の前~ ~鐘楼下~ 鎌倉のシャガ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/shaga.htm 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

荏柄天神社のシャガ

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荏柄天神社 の境内社熊野社への石段には、 たくさんのシャガが群生しています。 絵筆塚の前にも・・・ 鎌倉のシャガ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/shaga.htm 荏柄天神社 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page041egaratenjinjya.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

竹の寺・・・緑の報国寺~2011/04/29~

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竹の寺として知られる 報国寺 には、十種類以上の苔が生息しています。 徐々に苔の緑が鮮やかになってきました。 ~竹の庭~ 木下利玄の歌碑の前にはシャガが咲いていました。 木下利玄の墓は 報国寺 にあります。 竹の庭は、開山堂であった休耕庵の跡に造られた孟宗の竹林です。 筍(タケノコ)の季節です。 茶亭 やぐらの中には、 報国寺 の開基 足利家時 と、 永享の乱 で敗れた 足利持氏 の嫡子義久の墓があるといいます。 迦葉堂の前には、 開山天岸慧広が作庭したという石庭が復元されています。 竹の庭~鎌倉:報国寺~ https://www.yoritomo-japan.com/hana-kesiki/takeniwa.htm 報国寺 https://www.yoritomo-japan.com/page042hokokuji.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html