鶴岡八幡宮 の 流鏑馬馬場 (東の鳥居付近)には、福島県郡山市の 静桜 が植樹されています。 写真は、今年の4月13日のものです。まだ小さい木ですが、たくさんの花を咲かせていました。 静桜 福島県郡山市は、静御前の聖地の一つです。 静御前は京の白拍子で、 源義経 の愛妾として知られています。 義経 が兄 頼朝 と対立して都を落ちるとそれに同行しました。 しかし、逃亡途中の吉野で 義経 と別れます。 その後、捕らえられ、1186年(文治2年)3月1日、母磯禅師とともに鎌倉に送られてきました。 頼朝 は 義経 の行方を尋問しますが、静は拒否し続けたといいます。 静の舞 4月8日、静は 頼朝 に命じられて「舞」を披露することになります。 静は、今様を歌いながら舞いました。 よし野山みねのしら雪ふみ分けていりにし人のあとぞこいしき しづやしづしづのおだまきくり返し昔を今になすよしもがな その素晴らしさに参列した者はみな感嘆したといいます。 頼朝 は、 義経 を慕う歌に激怒したということですが、妻 政子 になだめられたと伝わっています。 (参考: 静の舞~鶴岡八幡宮~ ) 静は鎌倉で 義経 の子を出産しています。 しかし、生まれたのが男子だったため 由比ヶ浜 に捨てられてしまいます。 (参考: 母と子の悲しい運命・・・静御前 ) 9月16日、静は傷心のまま鎌倉を去ったと伝えられています。 その後の静の消息は定かではありませんが、全国各地に静御前の伝説が残されています。 福島県郡山市には静御前堂という堂があります。 静は、奥州に落ちた 義経 を慕ってこの地まで辿りつきますが、会うことは叶わず、池に身を投げて短い生涯を遂げたと伝えられています。 静御前堂の前には、「義経桜」と「静桜」が植えられ、裏手には、静の霊を鎮めるために植えられたという「さいはら桜」があるそうです。 鶴岡八幡宮 https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm 鎌倉手帳 https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html