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鎌倉:英勝寺の梅

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鎌倉で唯一の尼寺。 徳川家ゆかりの寺だけに多くの伝説が残されています。 季節の花で人気の 英勝寺 ですが、 梅の木も多く植えられ、古建築物と梅がよく合います。 鎌倉:梅の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ume-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

常立寺の梅~藤沢:片瀬~

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常立寺 は、 龍ノ口刑場 で処刑された者を弔うために建てられたといいます。 蒙古襲来の折、元から派遣された杜世忠ら5人も 龍ノ口刑場 で処刑されました。 常立寺 には、杜世忠らの供養塔といわれる五輪塔があります。 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/ryukoji-keijyo.htm 本堂前の枝垂れ梅は知られています。 枝垂れ梅の背後の紅梅がまた見事です。 鎌倉:梅の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ume-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

鎌倉:東慶寺の梅

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北鎌倉の 東慶寺 の梅です。 鎌倉を代表する花の寺の梅は、やはり素敵ですね。 山門前の大きな梅の木が満開です。 鐘楼 と梅がまたよく似合うのです。 梅のトンネルを抜けると露座の釈迦牟尼です。 仏殿 前の紅梅 マンサク 紅白の梅の中に黄色の花がかなり目立っています。 鎌倉:梅の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/ume-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

勝長寿院の戦没者供養~万灯会~

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勝長寿院 は、 源頼朝 が建てた源氏の菩提寺です。 勝長寿院跡 1185年(文治元年)10月24日に開堂供養が行われたといいます。 https://www.yoritomo-japan.com/page042shotyojyuin.htm 源義朝と鎌田政清(政家)の墓 頼朝 は父 義朝 の首を探させ、1185年(文治元年)9月3日、 京から届けられた 義朝 と腹心鎌田政清の首を葬ったそうです。 源頼朝 は、奥州藤原氏を滅ぼした翌年の1190年(建久元年)7月15日、平氏の冥福を祈るための「万灯会」を催したといいます。 おそらく、平氏だけではなく、これまでの戦いで戦死した者を敵御方の関係なく供養するものだったのではないかと思われます。 「万灯会」というのは、文字通り灯明を灯して仏を祀る法会です。 ~小説『北条政子』と万灯会~ 永井路子先生の『北条政子』にも、「御堂にはおびただしい灯明が献じられたうえに、軒という軒には、灯籠がかけつらねられてある。」と、その様子が描かれています。 そして、この小説では・・・ 万灯会の日に、 政子 は老婆が出会います。 そして、その老婆が「政子に首を斬られた武士の母親だった」という設定でした。 (参考: 木曽塚 ) 源頼朝 の長女大姫は、木曽義高を慕い、 義高が討たれると病気になってしまいました。 大姫の母 北条政子 は、 「義高を討った武士(堀親家の家臣藤内光澄)を引き出し首を斬った」 と伝わっています。 https://www.yoritomo-japan.com/page140kisoduka.htm 源頼朝 の命令によって働い者の中には、当然、堀親家の家臣のように、誰かの犠牲になるとか、誰かの怒りを鎮めるために殺されたという者も多くいたのでしょう。 知られている事件では、 梶原景時 による 上総介広常 の暗殺も同じようなものなのかもしれません。 参考:梶原太刀洗水 https://www.yoritomo-japan.com/page042tatiarai.htm ~敵御方の供養~ 敵御方に関係なく供養するということでは、1192年(建久3年)に完成したという 永福寺 も

かっぱ筆塚と絵筆塚~荏柄天神社~

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かっぱ筆塚 荏柄天神社 の 「かっぱ筆塚」 は、1971年(昭和46年)、漫画家清水崑が、愛用した筆を供養するために建てたものです。 筆を担いだ河童の絵が彫られています。 清水崑の河童は、黄桜酒造のキャラクターとして採用されました。 裏側の「かっぱ筆塚」は、作家 川端康成 の揮毫 毎年、10月には、清水崑を偲ぶ絵筆塚祭が行われています。 絵筆塚 絵筆塚 は、清水崑の遺志を継いだ横山隆一らが1989年(平成元年)に建立しました。 鉛筆の形をした塚の側面には、横山隆一をはじめとする漫画家154人の河童の絵が飾られています。

三藤稲荷大明神~藤沢三富士町の初午祭~

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藤沢の三富士町の「三藤稲荷」です。 お稲荷さまは、農耕民族の日本人にとっては大切な神です。 農耕の開始に当たってのお祭を「初午祭」といいます。 今日は、藤沢の各所で行われているようです。 近くに歴史の街「鎌倉」がありますが、 町内の祭でこんなに盛り上がりをみせる所も珍しいでしょう。 鳶鈴木土建の名も見えます。 善行の居酒屋「よってけ」の名も見えますなぁ~。 三富士 町の稲荷社ですが、名称は「 三藤 稲荷」です。 もち米が蒸され・・・ (この装置はなかなか凄いです。) この男は三富士町の出身のようで・・・。 (呉服屋の倅ということで・・・) 神輿愛好会「若富会」の会長さんです。 この男はあまり力がなかったようで・・・。 申し訳ございません。私がokadoです。 県会議員の鈴木先生もついてました。 元県会議員の星野先生。 時期総選挙に出馬予定です。 餅も豚汁も最高の味でした。 どうもご馳走さまでした。 大和「信友睦」局長の井上さん。 これが三富士町の神輿です。 きれいな神輿でした。 三富士町の皆さま。 本日はどうもお世話になりました。 こういった伝統文化に触れさせてもらう度に、いろんな勉強ができます。 この素晴らしい藤沢の文化、日本の文化を大切に保存していって頂きたいと思います。 子どもたちにとってもいい経験です。 おじさんも兎の餅つきに参加したかった~。 最後に焼き芋が・・・ 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html