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妙本寺の紅葉・黄葉

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妙本寺 の紅葉は、12月下旬ころまで楽しめます。 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉:紅葉・黄葉の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/koyo-kamakura.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

妙本寺のサクラ

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妙本寺 のお堂とサクラはよく似合います。 (掲載の写真は、2009・2010年のものです。) ~本堂前のサクラ~ ~二天門横のサクラ~   ~祖師堂とサクラ~ ~日蓮像とサクラ~ 鎌倉:桜の名所 http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sakura-kamakura.htm 伝説の桜~鎌倉~ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sakura-densetu.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

妙本寺のシャガ

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初夏の 妙本寺 ではシャガの花が咲き誇ります。 祖師堂 前から比企一族墓にかけて群生しています。 鐘楼のある小山の崖にも群生しています。 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉のシャガ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/sizen/shaga.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

妙本寺の緑

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妙本寺 は、駅から近い割には、深い山の中という感じの自然が楽しめる場所です。 花の季節も人気のある寺ですが、新緑の季節も見逃せない寺です。 持国天と多聞天を安置した「二天門」 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji-nitenmon.htm 二天門と緑のカエデ 二天門 は紅葉の季節も見逃せません。 http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_5985.html 日蓮聖人像 鎌倉市の天然記念物の「イチョウ」 その下に讃岐局の墓があります。 参考: 蛇苦止堂と蛇苦止ノ井 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji-jyakusi.htm 宗祖日蓮を祀る祖師堂 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji-sosido.htm 鐘楼 初夏の鐘楼脇の シャガ が見事です。 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

妙本寺のカイドウ~鎌倉三大カイドウ~

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かつて、 妙本寺 には、 「鎌倉三大カイドウ」 の一つに数えられ、小林秀雄が『中原中也の思ひ出』に描いた有名な木があったそうです。 『中原中也の思ひ出』 花びらは死んだ様な空気の中を、まっ直ぐに間断なく、落ちていた。 樹陰の地面は薄桃色にべっとりと染まっていた。 あれは散るのじゃない、散らしているのだ、 一とひら一とひらと散らすのに、きっと順序も速度も決めているに違いない、 何という注意と努力、 私はそんな事を何故だかしきりに考えていた。 現在も 祖師堂 の両側にカイドウが植えられています。 現在のカイドウは、『中原中也の思ひ出』に描かれた木から三代目に当たるそうです。 小林秀雄と中原中也は、長谷川泰子という女性のことでいろいろとあったようですが、 妙本寺 のカイドウの木の下で和解したという話もあります。 実際は、もっと前に和解していたようですが・・・。 カイドウの木の下で話した後、 鶴岡八幡宮 近くの茶店でビールを飲んだという話も残されています。 「和解した後、ビールで乾杯した」ということでしょうか。 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉三大カイドウ http://www8.plala.or.jp/daisho/kamakura/kaido.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

妙本寺の二天門

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山門から民家の並ぶ参道を抜け、杉木立の中を上っていくと 二天門 があります。 二天門 仏教の守護神「四天王」のうち、 東方の守護神「持国天」と北方の守護神「多聞天」が祀られています。 だから「二天門」と呼ばれているそうです。 右に持国天、左に多聞天(毘沙門天)が祀られています。 二天門 は、天保年間(1830~43年)に建立されたと伝えられています。 朱塗りの門には、龍の彫刻が施されていて「鳴龍」の伝説も残されているようです。 二天門 を抜けると宗祖 日蓮 を祀った 祖師堂 です。 妙本寺の祖師堂 http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_21.html 二天門 背後の ノウゼンカズラ 棚と梅の木に巻き付いた2対のノウゼンカズラは見事です。 妙本寺のノウゼンカズラ http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_336.html 妙本寺 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/page043myohonji.htm 鎌倉手帳 http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

妙本寺の祖師堂

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源氏再興を果たした 源頼朝 は、乳母であった比企尼を鎌倉に呼び寄せ住まわせました。 その場所が 妙本寺 の 祖師堂 辺りだったといわれています。 そして、「比企ヶ谷」という地名の由来もそこにあるといいます。 1159年(平治元年)に起こった 平治の乱 で敗れた 源頼朝 は、伊豆国の 蛭ヶ小島 に流されました。 その流人生活を支えたのが比企尼だったといわれています。 祖師堂 宗祖 日蓮 を祀るお堂です。 https://www.yoritomo-japan.com/page043myohonji-sosido.htm 逗子の中央に 日蓮 、向かって右に日朗、左に日輪が祀られています。 祖師堂 は、第二祖日朗によって建立され、現在のお堂は、天保年間(1830~1843年)、第四十七代日教よって再建されたものと伝えられています。 大きくて迫力のあるお堂です。 比企一族の墓 祖師堂 の横には比企一族の墓とされる供養塔が並んでいます。 1199年(正治元年)、 源頼朝 が亡くなると、嫡子の 頼家 が後を継ぎますが、北条氏と 頼家 の乳母夫だった比企能員との対立が起こり、 1203年(建仁3年)9月2日、能員は北条時政邸( 名越亭 )で暗殺されました。 時政 は薬師如来の供養といって能員を自邸におびき寄せ、仁田忠常に命じて暗殺させたといわれています。 そして、比企ヶ谷の館も 北条義時 らによって攻められ、比企氏は滅亡しました( 比企氏の乱 )。 ※能員は比企尼の甥で、のちに養子になっています。 一幡の袖塚 比企氏の乱 後、焼け跡から見つかった子一幡の袖が葬られていると伝わっています。 一幡は、二代将軍 頼家 の子です。当時6歳だったといいます。そして、父 頼家 は、伊豆の 修禅寺 に幽閉されたのち、翌年暗殺されました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆