古代の伊豆国は、生産力が低く「下国」と呼ばれ、国力に応じて分けられた階級のうち、一番低い位の国だったといいます。
平治の乱で平清盛に敗れた源頼朝も、古代国家の規定によって伊豆国に流されています。
平清盛は、頼朝を処刑する予定でしたが、継母池禅尼の懇請で伊豆に流したのだと伝えられています(参考:平清盛と源頼朝)。
しかし、処刑するか否かは別として、源氏の嫡流を伊豆に流したというのは、どうも失敗だったようです。
なぜなら、頼朝が流された頃の伊豆国は、律令制が始まった時代とは大きく変わっていたのではないでしょうか。
温暖な気候に恵まれ、海の幸も豊富だったでしょうし、現地の豪族が開発して耕地を開いていたと考えられます。
さらに伊豆の東側の関東では、三浦氏、千葉氏、上総氏、畠山氏といった豪族が、広大な土地を切り開き、その領域を広げ、大きな勢力として成長を遂げていたと思われるからです。
頼朝は、1160年(永暦元年)、伊豆国の蛭ヶ小島に流されたといわれています。
現在は、その地と思われる韮山の田園地帯の真ん中に頼朝と政子の像が建てられています。
(参考:平治の乱・・・伊豆流罪となった源頼朝)
頼朝は、約20年間を伊豆で過ごします。
そして、北条時政の娘政子と結婚します。
いつ結婚したのかは分かりませんが、長女大姫が1178年(治承2年)頃に生まれていると考えられるので、その少し前なのでしょう。
伝説の中には、「時政は娘の結婚に反対して、目代山木兼隆に嫁がせようとした」いうものもあるようですが・・・
兼隆は、1179年(治承3年)に犯罪人として伊豆に流されてきた人物で、目代となったのは1180年(治承4年)のことです。
当時伊豆の知行国主は源頼政、子仲綱と引き継がれたいたようです。
しかし、頼政が以仁王とともに平氏打倒の挙兵をしたため免ぜられ、代わって、平時忠が国主に任ぜられ、目代に山木兼隆という具合になったようです。
したがって、兼隆と政子の結婚という事実はなかったものと考えられます。
(真珠院)
頼朝は、政子と結婚する前、伊東祐親の娘八重姫と恋仲になり、一子千鶴を授かっています。
祐親は、伊豆国で最も有力だった武将。
そして、頼朝の乳母比企尼の娘の一人が祐親の子祐清に嫁いでいました。
(参考:乳母制度と頼朝・頼家・実朝)
そんな関係もあって、頼朝は祐親の娘に目をつけたものと思われます。
しかし、祐親の反対にあって、二人の仲は引き裂かれ、千鶴は殺されてしまいます。
頼朝も殺されそうになったといいますが、祐清の内通によって救われたといいます。
韮山の真珠院には、伊東の館を抜け出して頼朝のもとに走った八重姫の悲しい伝説が残されています。
毘沙門堂の仁王像
伊豆に流された頼朝は罪人ですので、その社会的な地位は否定されていました。
したがって、所領を持つこと、家来を持つこと、伊豆国の外へ出ることなどができませんでした。
しかし、頼朝の乳母たちの援助によって、生活には困らなかったようですし、乗馬や狩猟は自由だったといいます。
特に比企尼の物資の援助は、頼朝を助けたと思われますし、尼の娘婿の安達盛長、比企能員、河越重頼、伊東祐清なども頼朝の支援者として働いていたのでしょう。
また、京都の三善康信は、伯母が頼朝の乳母だったということから、京都の情報を送り続けていたといいます。
(参考:乳母制度と頼朝・頼家・実朝)
頼朝が挙兵した1180年(治承4年)、京都では平清盛の娘徳子が生んだ安徳天皇が即位しています。
しかし、すでに平家の全盛は終わっていました。
(参考:武家政権を樹立した平清盛)
4月には、後白河法皇の皇子以仁親王が挙兵し、全国の源氏に平氏打倒の令旨を発します。
頼朝のもとにも4月27日に届けられました。
頼朝もすぐに挙兵というわけにはいきませんでしたが、6月19日、三善康信から「平氏が以仁王の令旨を受け取った者を追討する」という知らせが届くと忙しくなります。
6月27日には、京からの帰りの三浦義澄と千葉胤頼(常胤の子)が頼朝を訪れて、京都の様子を知らせています。
そして、8月17日、ついに頼朝は源氏再興の挙兵を果たします。
(参考:源頼朝の鎌倉入り~源氏再興の挙兵~)
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