「稲村ヶ崎・磯づたいのみち」は、
鶴岡八幡宮の参道・
若宮大路から海岸沿いの国道を
由比ヶ浜、
稲村ヶ崎、
七里ヶ浜、
江ノ島と、古都鎌倉の海の名所をだどるコース。
大巧寺は「おんめさま」の名で親しまれている安産祈願の寺。
鎌倉市農協連即売所(レンバイ)は、1928年(昭和3年)に発足した鎌倉野菜の販売所。
かつて、
下馬四ツ角から
鶴岡八幡宮までは、馬の乗り入れが許されず、参拝するときはここで馬を下りのだそうです。
かつて、一の鳥居から二の鳥居の間は「琵琶小路」と呼ばれていたのだといいます。
琵琶橋は
鎌倉十橋の一つ。
日本基督教団鎌倉教会会堂は、1926年(大正15年)に建てられた戦前のプロテスタント教会会堂の代表的建築物。
戦国時代に
北条氏康が造立した鳥居の跡と考えられているようです。
鶴岡八幡宮の一の鳥居は
浜の大鳥居と呼ばれ、創建当初はこの辺りにあったとも考えられています。
現在の
一の鳥居は、1668年(寛文8年)に江戸幕府四代将軍徳川家綱によって寄進された石造明神鳥居。
一の鳥居の傍らに建つ宝篋印塔は、
畠山六郎重保の墓と伝えられています。
~由比ガ浜地区~
江ノ電の107号車(
タンコロ)は、1931年(昭和6年)に誕生し、約50年間鎌倉の街を走り続けた車両。
鎌倉海浜院は、わが国最初の海浜サナトリウム(結核療養所)。
ホテルとしても営業されていました。
由比ヶ浜は、1884年(明治17年)、医学者長与専斎によって「海水浴に最適の地」と称されて開かれた海。
稲瀬川は、長谷から
由比ヶ浜に注ぐ川で、
源頼朝が鎌倉入りした当時は、この川が鎌倉の境界になっていたようです。
坂ノ下海岸は、
稲瀬川から霊山ヶ崎(
稲村ヶ崎)までの漁師の海岸。
~坂ノ下地区~
鎌倉海浜公園の
源実朝歌碑。
「世の中はつねにもがもななぎさこぐあまの小舟の綱手かなしも」
磯づたいの道
~坂ノ下地区~
稲村ヶ崎は、新田義貞の鎌倉攻めの際の古戦場。
かつて
七里ヶ浜に注ぐ極楽寺川や音無川の河口では、多くの砂鉄が採取されていたのだそうです。
磯づたいの道
西田幾多郎歌碑
海沿いを走る江ノ電
七里ヶ浜は、
稲村ヶ崎から
小動岬までの約2.9㎞の海岸。
小動神社(こゆるぎ)は、佐々木盛綱が近江の八王子宮を勧請したのが始まり。
浄泉寺は、空海によって開かれたと伝えられる真言宗の寺院。
腰越漁港は、
小動岬の西側に隣接する第1種漁港。
江の島と
小動岬の間の海岸は、東側が
腰越海岸で、西側が
片瀬東浜海岸。
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