別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


ラベル 祭・行事・イベント情報 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 祭・行事・イベント情報 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年8月16日土曜日

流鏑馬の射手・諸役定めの儀~鶴岡八幡宮例大祭~


『吾妻鏡』によると・・・

1187年(文治3年)8月4日、源頼朝は15日の鶴岡八幡宮の放生会で奉納する流鏑馬の「射手・諸役定めの儀」を執り行いました。

的立て役となった熊谷直実が役を拒んで領地を没収されたというような事件もあったようです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆




鶴岡八幡宮例大祭は、9月14日から16日。

1187年(文治3年)に行われた放生会を起源としています。

最終日の16日には流鏑馬が奉納されますが、今でも故実に基づいて「射手・諸役定めの儀」が行われています。

2025年は9月7日(日)。

13:00から舞殿で行われる予定です。




流鏑馬


鶴岡八幡宮例大祭








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


浜降式:鶴岡八幡宮例大祭

神幸祭:鶴岡八幡宮例大祭


鶴岡八幡宮



よりともジャパン.com


2025年8月15日金曜日

鎌倉青蓮寺の施餓鬼法要~8月16日 鎖大師御開帳~


8月16日は青蓮寺の本尊「鎖大師」(木造弘法大師坐像)が開帳される日。




青蓮寺の木造弘法大師坐像は、手足が動くように作られていることから「鎖大師」と呼ばれています。

鎌倉独特の裸形彫刻で絹の衣を纏っています。

明治の神仏分離までは鶴岡八幡宮等覚院に置かれていましたが、神仏分離が出されると松源寺に移されました。

その後、像が一人で壽福寺へ行き、しばらく壽福寺に滞在。

やがて、青蓮寺の住職の夢枕に現れ「迎えに来るように」とのお告げがあったため青蓮寺に移されたのだとか。


開帳は、11:00~15:30予定です(ご確認下さい。)。



鎖大師御開帳


青蓮寺









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


壽福寺

鶴岡八幡宮


神仏分離と鶴岡八幡宮


よりともジャパン.com



2025年8月14日木曜日

8月16日は閻魔大王の休日~鎌倉:円応寺の送り盆~


8月16日は閻魔大王がお休みになる日(閻魔縁日)。

閻魔大王は、地獄の釜の蓋を開くよう命じ、餓鬼たちを解放します。

閻魔大王の寺・円応寺では水施餓鬼会が行われ、経木に水をかけて餓鬼たちを供養します。

※施餓鬼法要は14:00からですが、参加は事前申込(一般参拝不可)。



圓應寺の閻魔大王


円応寺は、1250年(建長2年)、長谷に創建され、新居閻魔堂と呼ばれていました。

鎌倉西方の境界だった長谷には墓地が置かれ、閻魔大王をはじめとする死後に出会う十王が祀られたのだといいます。

新居閻魔堂は材木座に移された後、山ノ内に移され、建長寺の塔頭円応寺となっています。

そのため、「閻魔縁日」は「新居の閻魔さま」といわれてきました。

本尊の閻魔大王運慶が彫ったものと伝えられています。



閻魔縁日


圓應寺の十王像

運慶


円応寺








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


夏だ!休みだ!鎌倉だ!

夏の江ノ島


よりともジャパン.com


2025年8月10日日曜日

長谷寺へ朝詣り 2025/08/10 ~鎌倉の四万六千日~


8月10日は鎌倉の四万六千日



今年も長谷寺で御本尊の御影を授けて頂きました。




長谷寺坂東三十三箇所第四番札所。

四万六千日は、坂東三十三箇所第十三番札所の浅草寺で始められた観音菩薩の特別な縁日で、京都の清水寺千日詣りがもとになっているようです。

この日、観音さまにお参りすると46000日分の功徳が得られるとされています。

諸説あるようですが・・・

46000日÷365日=約126年

四万六千という数は「米1升が4万6千粒ある」ということに由来すると言われ、これを「人間の一生」にかけているのだとか・・・。

鎌倉の四万六千日は、朝早くからお詣りをすることから「朝詣り」ともいわれてきました。

長谷寺では毎年、午前4時開門で午前8時まで自由拝観。

本尊の十一面観世音菩薩の足に触れることのできる「御足参り」も行われます。



四万六千日



千日詣り 京都清水寺

四万六千日・ほおずき市


長谷寺








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


夏だ!休みだ!鎌倉だ!

夏の江ノ島


よりともジャパン.com


2025年8月9日土曜日

8月10日の深夜から響き渡る読経。~鎌倉覚園寺の黒地蔵縁日~




覚園寺の「地蔵菩薩立像」は「黒地蔵」と呼ばれています。

地獄では、罪人が猛火による「責め苦」にあうそうです。

「黒地蔵」は、地獄で火に苦しんでいる者を見て、少しでも罪人の苦しみを和らげてあげようと、自らが獄卒(地獄の役人)となって火焚きを行いました。

そして、火を焚くうちに、その全身は黒く焦げてしまったのだといいます。

8月10日は黒地蔵の縁日。

深夜0時から開門され、正午頃まで境内には絶え間ない読経が響き渡ります。


朝粥

黒地蔵縁日では朝粥の出店も予定されています。




黒地蔵盆



覚園寺








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ぼんぼり祭
8月6日~9日


鎌倉の四万六千日
8月10日


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


夏だ!休みだ!鎌倉だ!

夏の江ノ島


よりともジャパン.com


2025年8月8日金曜日

運慶の父康慶の代表作~興福寺南円堂の諸仏~




興福寺南円堂には、本尊の不空羂索観音像を中心に四天王像・法相六祖坐像が安置されています。


いずれも、1180年(治承4年)の平重衡の南都焼討後の再興像で、慶派仏師の康慶一門による制作。


康慶は、運慶の父。

慶派は興福寺を拠点としていた奈良仏師の傍系ですが、康慶は1177年(治承元年)に後白河法皇蓮華王院五重塔の造仏を担当して法橋の僧位を得ています。

当時、奈良仏師で僧位を得ていたのは康慶にみだったようです。

1180年(治承4年)、南都焼討で全焼した興福寺の復興造仏に正系の成朝とともに参加。

成朝は東金堂と食堂の造仏を担当し、康慶は一門を率いて南円堂の造仏を担当しました。

南円堂の諸仏は1189年(文治5年)に完成させたものです。

その後、法橋より一段上の法眼の位を得た康慶は、1196年(建久7年)、東大寺大仏殿の脇侍像・四天王像の造立に参加しているようですが、間もなく没したものと考えられています。



興福寺


興福寺南円堂

興福寺北円堂


運慶


南都焼討


2025年9月9日から
運慶 祈りの空間








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


南都焼討と東大寺の再興 ~重源と源頼朝~


東大寺


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com