別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2026年1月18日日曜日

東慶寺の涅槃図お絵解き 2026年2月15日


東慶寺涅槃図


「涅槃図お絵解き」は、涅槃図を前にして絵解き師の岡澤恭子先生が「お釈迦さまの誕生から涅槃に入られるまで」をお話して下さいます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


日時
2026年2月15日(日)
10:30〜12:00(10:00受付開始)

場所
東慶寺本堂(受付は書院)

料金
一人 3000円

申込
申込専用フォームから。
詳しくは東慶寺HPで。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


2月15日は、お釈迦さまが入滅したとされる日。

各寺院では、涅槃図が掲げられ涅槃会が執り行われます。




涅槃会


東慶寺



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鎌倉江の島七福神

京都は七福神発祥の地
都七福神


鎌倉の節分

豆まき発祥の伝説


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鬼は頭に角を生やして虎のパンツをはいている!~鬼と節分と豆まき~




鬼とは・・・

頭に角が生やし、虎の皮のパンツをはいた(虎のふんどしを締めた)怪物。

何故、角があって虎のパンツをはいているのか?

鬼が出入りする方角を鬼門と呼びます。

鬼門は、丑寅(うしとら)の方角(北東)。

だから、牛の角を生やし、虎のパンツをはいた姿なのだとか。


♪おにのパンツはいいパンツ

つよいぞつよいぞ♪


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


京都の貴船神社は「豆まき発祥の地」といわれます。

伝説によると・・・

中将定平という貴族は、鬼国の大王の娘に恋をし結ばれますが、それを知った大王は激怒。

節分の夜、大王は二人を襲いますが、定平は鞍馬の毘沙門天の霊言で豆を炒り、それを鬼軍に打ちつけて退散させます。

その後、2人は幸せに暮らし、やがて姫は貴船の大明神に、中将は客神となって、人々の恋の守護神となったのだとか。


貴船明神鞍馬寺の毘沙門天は平安京の鬼門(丑寅)の守護神。

鞍馬寺は、鑑禎(がんてい)が毘沙門天を祀ったことにはじまる寺院。

鑑禎は鞍馬山で鬼女に襲われ、毘沙門天に助けられたのだとか・・・

参考までに、貴船明神が降臨したのが丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻。

鑑禎が毘沙門天に助けられたのは寅の月、寅の日、寅の刻。


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鎌倉の節分 豆まき情報


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鞍馬寺の白馬伝説

豆まき発祥伝説

恵方巻き



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2026年1月17日土曜日

源義朝が奉納した榎観音~浅草寺の初観音~




平安時代後期の1079年(承暦3年)、浅草寺が炎上した折、本尊は自ら榎の梢に避難したという故事が伝えられていますが・・・

後にその霊験を知った源義朝は、その榎で彫刻させた観音像を浅草寺に奉納したのだとか。

それが木造観音菩薩立像。

義朝の伝説から「榎観音」と呼ばれ、毎年1月12日から18日までの年頭法要「温座秘法陀羅尼会」(おんざひほうだらにえ)の本尊とされています。


「温座秘法陀羅尼会」は、7日間にわたって昼夜を問わず経を読み修法に励む儀式。

僧が次々に交代して経を読むので座が冷めることがないので温座と呼ばれています。

最終日の18日は初観音。

午後5時頃からの結願法要が終わると、松明を持った2人の鬼が現れる「亡者送り」と呼ばれる行事が行われます。

鬼が境内を駆けめぐって災厄を浄化し、最後に銭塚地蔵堂脇の供物が投入された穴に松明を投入します。

鬼が撒いた松明の燃えかすは、火除け・厄除け・疫病除けの縁起物とされ、参拝者が持ち帰ることができます。



浅草寺


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隅田川沿いの源頼朝伝説


歴史めぐり源頼朝


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2026年1月15日木曜日

1月16日は閻魔大王の休日~鎌倉:円応寺の初閻魔~


1月16日は閻魔大王がお休みになる日(閻魔縁日)。

閻魔大王は、地獄の釜の蓋を開くよう命じ、餓鬼たちを解放します。

閻魔大王の寺・円応寺では大般若会が行われます。

※法要は14:00からですが、参加は事前申込(一般参拝不可)。



圓應寺の閻魔大王


円応寺は、1250年(建長2年)、長谷に創建され、新居閻魔堂と呼ばれていました。

鎌倉西方の境界だった長谷には墓地が置かれ、閻魔大王をはじめとする死後に出会う十王が祀られたのだといいます。

新居閻魔堂は材木座に移された後、山ノ内に移され、建長寺の塔頭円応寺となっています。

そのため、「閻魔縁日」は「新居の閻魔さま」といわれてきました。

本尊の閻魔大王運慶が彫ったものと伝えられています。



閻魔縁日


圓應寺の十王像


円応寺


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鎌倉 初詣情報


鎌倉 新年のイベント


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「河内源氏と壺井八幡宮」大阪歴史博物館特別展




河内源氏は、源経基から始まる清和源氏の一流。

経基の孫頼信が河内国壺井を根拠地としたことに始まります。


初代頼信は、1028年(長元元年)に房総半島で起こった平忠常の乱を鎮圧。

乱後、坂東武士たちと主従関係を結び、後の東国支配の礎を築いています。

二代頼義は、平忠常の乱で活躍し、平直方から鎌倉の地を寄進され東国支配の拠点としました。

三代義家は、石清水八幡宮で元服したことから「八幡太郎」と呼ばれました。

1063年(永保3年)から始まった後三年の役を鎮圧し、武神と崇められました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


河内源氏は頼信・頼義・義家の三代で「武家の棟梁」という地位を確立しますが、義家の跡を継いだ四代義忠は、叔父義光らによって暗殺され、河内源氏は一時勢いを失います。

その後、為義が河内源氏の棟梁を名乗りますが(諸説あり)、為義は1156年(保元元年)の保元の乱で嫡男の義朝平清盛に敗れて斬首され・・・

六代棟梁となった義朝は、1159年(平治元年)の平治の乱平清盛に敗れ、尾張国野間に逃れた後、家臣長田忠致の裏切りに遭い殺害されてしまいます。

義朝の嫡男頼朝は、平治の乱後、伊豆国に配流となりました。

それから約20年後の1180年(治承4年)、頼朝伊豆国源氏再興の挙兵を果たし、鎌倉を本拠とし、武家の都を創りあげています。


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壺井八幡宮は、1064年(康平7年)に源頼義が石清水八幡宮を勧請して創建されました。

壺井権現社

境内摂社の壺井権現社は、河内源氏三代、頼信・頼義・義家を祀る社です。


大阪歴史博物館特別展の特別展「河内源氏と壺井八幡宮」では・・・

壺井八幡宮の寺宝「木造僧形八幡神及諸神坐像」(重要文化財)や「黒韋威胴丸(壺袖付)」(重要文化財)、刀工・安綱の「天光丸」(重要美術品)などとともに、河内源氏に関する館蔵資料等があわせて展示されます。

【会期】
 2026年1月16日~3月15日
 火曜日休館

【開館時間】
 午前9時30分~午後5時

【観覧料】
 大人600円
 高校・大学生400円

📎大阪歴史博物館HP


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通法寺は、源頼義が河内源氏の氏寺として建立した寺。

通法寺跡には、源氏三代の墓が残されています。



源頼朝をめぐる大坂


歴史めぐり源頼朝


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2026年1月14日水曜日

小豆粥~小正月の邪気払い!~


1月15日は小正月。



小正月には、「小豆粥」を食べる風習がありますが・・・

平安時代、一年中の邪気を払うため、小正月の朝に「十五日粥」(じゅうごにちがゆ)を食べる風習がありました。

十五日粥には、米・粟・黍・稗子・篁子・胡麻・小豆の七種類の穀物が使われたので「七種粥」(ななくさがゆ)とも呼ばれていました。

中国から伝えられた「小豆粥」がもとになっていましたが、次第に略式化され、小豆のみを使用した粥になっていったようです。


小豆の赤色には魔除けの力がある!


京都の下鴨神社妙心寺の塔頭東林院などでは、「餅入りの小豆粥」が振舞われますが・・・

正月15日に食べる粥は「望粥」(もちがゆ)とも呼ばれたことから、「望」が「餅」に読み替えられて「餅入りの小豆粥」が生まれたのだとか。



小豆粥


七草粥


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鎌倉 初詣情報


鎌倉 新年のイベント


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「源頼朝旗挙祭2026」 3月22日に開催!~真鶴町~


「源頼朝旗挙祭」は、源頼朝船出の浜・真鶴町の岩海岸で開催されるイベント。

かつて、真鶴町では「源頼朝旗挙げフェスティバル」が開催されていました。

1997年(平成9年)に開催されて以降、途絶えてしまいますが、2025年(令和7年)、町の有志からなる一般社団法人MMKが「源頼朝旗挙祭2025」を開催!

「源頼朝旗挙げフェスティバル」のメインイベントだった「源頼朝 旗挙げ鍋」も復活しました。

2026年(令和8年)も3月22日(日)に開催される予定です。



「源頼朝 旗挙げ鍋」は、1180年(治承4年)、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が安房国へ船で渡る際、地元の人々が食事でもてなしたといういわれにちなんだもの。



「源頼朝旗挙祭」を企画しているのは一般社団法人MMK

MMKとは「真鶴(Manazuru)盛り上げよう(Moriageyou)会(Kai)」のという意味なのだそうです。



岩海岸は、源頼朝が安房国へ向けて船出した浜と伝えられています。



大鍋の上に立てられた幟の先には、頼朝が上陸した安房国の平北郡猟島(現在の鋸南町竜島海岸)。



源頼朝旗挙祭2026


源頼朝旗挙鍋


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湯河原・真鶴の源頼朝伝説


湯河原町では・・・
土肥祭
(4月5日)

夏には・・・
貴船祭
(7月24日・25日)


歴史めぐり源頼朝


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