源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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2026年10月2日金曜日
2026荏柄天神社の絵筆塚祭~10月3日・4日~
絵筆塚祭
は、神前で筆の焚き上げ供養をし、筆技の上達を祈る祭事。
祭典・筆供養
10月4日(日)13:00~
筆供養では、古筆が焚き上げられ、漫画家の先生方の寄せ書きも一緒に炊き上げられます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「まんが行灯」
境内には漫画家の先生方が書き下ろした「まんが行灯」が掲揚され、10月3日(土)の夕刻から点灯されます(20:00まで)。
4日の掲揚時間は8:00~16:00(点灯はありません)。
2026年9月28日月曜日
荏柄天神社の「絵筆塚」
荏柄天神社
の
絵筆塚
は、1989年(平成元年)に漫画家の横山隆一らによって建立されたブロンズ製の塚。
鉛筆をかたどった塚は横山隆一のデザインで、周囲には昭和の著名な漫画家たちによる河童モチーフのレリーフが飾られています。
絵筆塚の建立以来、毎年10月に行われているのが
絵筆塚祭
。
2026年は10月4日(日)。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年9月27日日曜日
「鳩サブレー」誕生物語
豊島屋の「鳩サブレー」は、その名のとおり鳩の形。
これは、鶴岡八幡宮の本宮楼門の額。
「八」の字は2羽の鳩が向かい合ったもの。
鳩サブレーは、この2羽の鳩をモチーフにして、1897年(明治30年)頃誕生しました。
豊島屋の初代 久保田久次郎は、こうイメージしたのかも。
だけど、「サブレー」という言葉は、当時の人たちには馴染みがなかったため、久次郎は親しみを込めて「鳩三郎」と名付けていたらしい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年9月22日火曜日
荏柄天神社の「かっぱ筆塚」
荏柄天神社
の
「かっぱ筆塚」
は、漫画家の清水崑が鎌倉の古道具屋で購入して愛用していた絵筆を納めたもので、1971年(昭和46年)に建てられました。
表には、大きな筆を担いで片膝をたて、片方の足を投げ出している河童の絵。
裏には川端康成揮毫の「かっぱ筆塚」の文字。
毎年10月には、清水崑を偲ぶ
「絵筆塚祭」
が行われています。
鎌倉の源氏館は亀ヶ谷にあった?
鎌倉は、
源頼朝
が鎌倉入りする前から源氏ゆかりの地。
頼朝の父
義朝
の屋敷は亀ヶ谷(現在の
壽福寺
)にあったようですが、それ以前の源氏館は?
頼朝の先祖で河内源氏二代棟梁の源頼義は、平直方から鎌倉の地と屋敷を譲り受けたのだと伝えられています。
その屋敷は何処にあったのか?
『天養記』によると、義朝は「鎌倉之楯」と呼ばれる拠点を先祖から受け継いるようです。
ということは、平直方の館も源頼義館も亀ヶ谷にあったということなのでしょうか?
壽福寺
門前から
鉄ノ井
までの
窟小路
は、かつては
朝比奈峠
を越えて六浦津にいたる幹線道路の一部として機能していました。
この道が敷かれたのが、平直方が房総半島で起きた平忠常の乱を鎮圧するため、鎌倉の館に兵や物資を集めていた1028年(長元元年)頃という説があるようです。
だとすると、兵や物資調達の起点は亀ヶ谷だったのかも?
2026年9月21日月曜日
仏光国師の大法要~円覚寺開山忌 10月3日~
円覚寺の開山忌
は、開山の仏光国師(無学祖元)の命日を供養する法要。
開山の
無学祖元
は、中国宋の禅僧。
八代執権
北条時宗
の招きにより来日し、
建長寺
に住しました。
のちに
円覚寺
の開山となり、北条氏をはじめとする鎌倉武士の教化に努め、我が国臨済宗の基礎を確立しました。
1286年(弘安9年)9月3日、
建長寺
で没し、仏光国師の号を賜わています。
開山忌は1か月遅れの10月3日に行われています。
午前10時、一山の僧侶が
正続院
の
舎利殿
に集まり経を唱えます。
その後、正続院から
仏殿
に移動し、更に経が唱えられます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年9月20日日曜日
源頼朝が日金地蔵を祀った地蔵堂(松源寺)
明治の神仏分離令が出されるまで、鎌倉には、
鶴岡八幡宮
の
供僧
の菩提寺だった
松源寺
がありました。
伝承によると・・・
源頼朝
が伊豆の流人時代に信仰していた
日金山
の地蔵尊を模刻させて安置した地蔵堂が始まり。
本尊の地蔵菩薩は
運慶
の作だったのだとか。
その場所は、
鉄観音
の西、窟堂の山の中壇。
現在の
「鎌倉市川喜多映画記念館」
と
「旧川喜多邸別邸」
の敷地内と考えられています。
2024年(令和6年)末から2025年(令和7年)の川喜多映画記念館の南側で行われた発掘調査では、石敷き遺構が発見されいますが、松源寺に関連するものという可能性も。
日金地蔵
明治の神仏分離により廃寺となった松源寺の地蔵尊は、一時、
長谷寺
に安置されていたようですが、昭和のはじめ頃に横須賀の
東漸寺
に移されています。
東漸寺
の日金地蔵は
鎌倉二十四地蔵
の一つ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
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