別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2025年3月18日火曜日

「平泉から鎌倉へー兵どもが夢の先ー」~奥州藤原氏三代の黄金の都・平泉~


3月15日から鎌倉歴史文化交流館の企画展「平泉から鎌倉へー兵どもが夢の先ー」が始まりました。





奥州平泉は、奥州藤原氏三代(藤原清衡・基衡・秀衡)が築いた黄金の都。


平泉文化遺産センター掲示

『吾妻鏡』によると・・・

初代清衡は、継父・清原武貞(鎮守府将軍の清原武則の子)亡き後、奥六郡(伊澤、和賀、江刺、稗貫、志波、岩井)を伝領し、嘉保年中(1094-1095)頃に江刺郡豊田館を平泉に移して宿館としました。



柳之御所遺跡は、『吾妻鏡』に記された平泉館の跡と考えられています。


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中尊寺は、清衡が奥六郡の管理を初めて最初に建てられた寺。

📎吾妻鏡が伝える中尊寺


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毛越寺は、中尊寺とともに円仁 (慈覚大師) によって開かれたと伝えられる寺院。

二代基衡、三代秀衡が再興。

往時には堂塔40、僧坊500を数え、京都白河の法勝寺を模して築かれたと考えられています。

📎吾妻鏡が伝える毛越寺


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無量光院は、三代秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院。


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約100年にわたって栄華を極めた藤原氏ですが、1189年(文治5年)の源頼朝奥州攻めによって滅亡します。



中尊寺金色堂の須弥壇内には、清衡・基衡・秀衡のミイラ化した遺体が納められ、頼朝の奥州攻めで討たれた四代泰衡の首も納められています。


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高館義経堂
(衣川館)

衣川館は、源義経が最期を迎えた場所。

1689年(元禄2年)、この地を訪れた松尾芭蕉は、100年にわたり栄華を極めた奥州藤原氏や、この地で自刃した義経を思い・・・

「夏草や 兵共が 夢の跡」

と詠みました。


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(鎌倉)

永福寺は、源頼朝中尊寺毛越寺無量光院などを模して建てた壮大な寺院でした。



永福寺跡のハスは、2019年(平成31年)に平泉町から鎌倉市に寄贈された中尊寺ハス

中尊寺ハスは、頼朝に滅ぼされた泰衡の首桶から見つかったハスの実が発芽したもの。


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(伊豆の国市)

願成就院は、北条時政が建立した寺院。

願成就院の伽藍は、永福寺と同じく奥州平泉の寺院を参考にしたもので、主に毛越寺を模した構成だったのだといいます。




奥州平泉


中尊寺

毛越寺

観自在王院

無量光院


源義経最期の地


奥州征伐~奥州藤原氏の滅亡~


源頼朝の永福寺と藤原秀衡の無量光院・藤原頼通の平等院


中尊寺ハス








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源義経

藤原秀衡

歴史めぐり源頼朝


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2025年3月17日月曜日

円覚寺舎利殿の仏舎利と源実朝


円覚寺舎利殿


円覚寺の塔頭正続院にある舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。

開山堂前の昭堂(礼堂)で、仏舎利を祀っていることから「舎利殿」と呼ばれています。

現在の舎利殿は、鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿が移築されたもの。

毎年、ゴールデンウィーク中に特別公開されていますが、2025年も5月3日~5日に公開される予定です。


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舎利殿に納められている仏舎利は、源実朝が建立した大慈寺から移されたもので、実朝が宋より請来したものと伝えられています。


源実朝が請来した仏舎利の伝説



ただ、大慈寺では、1214年(建保2年)10月15日、壽福寺栄西による舎利会が行われています。

舎利会は仏舎利を供養する法会ですが、この2年前、実朝は栄西から仏舎利三粒を譲り受けていました。

とすると・・・

大慈寺には栄西から譲り受けた仏舎利と宋から請来した仏舎利があったのか???

もしかすると、舎利殿の仏舎利は栄西から譲り受けたものなのかも・・・



源実朝が栄西から譲り受けた仏舎利と宋から請来した仏舎利


毎年10月15日、円覚寺では舎利講式が行われます。

これは、栄西大慈寺で舎利会を行ったからとされているようです。

参考までに・・・

京都の鹿王院舎利殿に納められている仏舎利は、円覚寺の仏舎利の一部とされています。

鹿王院の舎利会は、実朝が請来した仏舎利が博多港に到着したとされる10月15日に行われているそうです。




円覚寺舎利殿


円覚寺









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2025年3月12日水曜日

2025極楽寺の仏生会~秘仏本尊開帳・忍性墓公開・花まつり~




仏生会では、本尊の清凉寺式釈迦如来立像が開扉されます。

京都清凉寺「三国伝来の釈迦如来」を模刻したもので、扇ヶ谷にあったいう新清凉寺釈迦堂の本尊であったともいわれています。





極楽寺は、北条重時が建てた念仏堂を起源とする寺。

重時は二代執権北条義時の三男。

母は姫の前

三代執権北条泰時の時代には六波羅探題として、五代執権北条時頼の時代には連署として北条得宗家を支えました。

八代執権北条時宗の母は重時の娘・葛西殿です。

1261年(弘長元年)11月3日、死去(64歳)。


開山の忍性は、1232年(貞永元年)、信心深かった母の臨終を機に大和国額安寺に入って出家し、翌年東大寺戒壇院で受戒。

1240年(仁治元年)、叡尊を師と仰ぎ奈良西大寺に入って「律」を学びます。

1261年(弘長元年)、鎌倉の新清涼寺釈迦堂に住み、翌1262年(弘長2年)、北条業時の招きによって多宝寺に住持。

1267年(文永4年)には極楽寺の開山に迎えられ(51歳)、以後37年間を極楽寺で過し、律の布教と慈善救済事業に力を注ぎました。



極楽寺本尊開扉


極楽寺


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極楽寺の本堂前に植えられているのは、一重と八重の花が混生する「八重一重咲分け桜」

室町時代に京都御所紫宸殿に植えられて「鎌倉桜」といわれた「桐ヶ谷」です。

八代執権の北条時宗お手植えと伝えられています。

毎年、仏生会の頃に見ごろとなります。



桐ヶ谷~鎌倉原産の桜~


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灌仏会で誕生仏に灌ぐ甘茶の花です。

アジサイシーズンになると本堂前に咲きます。



アジサイ:極楽寺山門前


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