鎌倉腰越の小動神社は、源頼朝の挙兵を助けた近江源氏の佐々木盛綱が創建した社。
『吾妻鏡』によると、1184年(元暦元年)12月7日、平家追討のため源範頼に従って西海に赴いていた盛綱は、頼朝の代官として備前国の児島に拠る平行盛を攻めるため進軍を開始。
しかし、海に遮られ、どうしていいか考えていると・・・
行盛がしきりに挑発してきます。
戦闘意欲を掻き立てられた盛綱は、家人六騎とともに馬に乗りながら藤戸の海三丁余(約300m)を渡り、行盛を攻め滅ぼしたのだとか(藤戸の戦い)。
社伝によると、合戦後、鎌倉に凱旋した盛綱は、神恩に報いるため、信仰していた近江国の「八王子権現」の分霊を鎌倉に迎えることにします。
その地を探していたところ、江の島弁財天へ参詣する途中に登った小動山の風光を気に入り、神域と定めまたのだといいます。
八王子権現は、近江国(現在の滋賀県)の八王子山(牛尾山)における山岳信仰と、天台宗および山王信仰が融合して誕生した神仏習合の神。
明治の神仏分離まで、日吉大社の奥宮・牛尾神社は八王子宮あるいは八王子権現とも呼ばれていました。
近江国を本拠としていた佐々木氏は、氏神の沙沙貴神社を信奉するとともに八王子権現を守護神として崇敬していたのだとか。
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