2024年(令和6年)8月27日、藤原道長と曾孫の師通直筆の「金峯山経塚出土紺紙金字経」(きんぷせんきょうづかしゅつどこんしきんじきょう)が国宝に指定されました。
山上ヶ岳の大峯山寺周辺の金峯山経塚から出土したもので、国宝に指定されたのは金峯神社の79紙と金峯山寺の200紙。
★藤原道長筆の法華経巻一、四、五、六、七、八断簡(巻五、六に寛弘4年の奥書)。
★藤原道長筆の観普賢経断簡(寛弘4年の奥書)
★藤原道長筆の阿弥陀経断簡(寛弘4年の奥書)
★藤原師通筆の法華経巻一、二、四、五、六、七、八断簡
★藤原師通筆の無量義経断簡
★藤原師通筆の観普賢経断簡
藤原道長筆 観普賢経巻末
(文化庁資料より)
文化庁が発表した文化審議会の答申の資料の中にあったもので、長徳四年奥書があります。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
藤原道長は、1007年(寛弘4年)に金峯山に参詣して、「金銅藤原道長経筒」に自筆の法華経など15巻を収めて埋納。
経筒の銘文から、法華経等10巻は998年(長徳4年)に書写し、残る5巻は寛弘4年に書写したものであることが判っています。
道長の曾孫・師通は、1088年(寛治2年)に金峯山に詣でて自筆の法華経等12巻を埋経しました。
道長が経を収めた「金銅藤原道長経筒」は、金峯神社の所蔵で国宝に指定されています(京都国立博物館に寄託)。
📎金銅藤原道長経筒と道長の願い
金峯山寺は、修験道の開祖・役行者(役小角)が、山上ヶ岳と吉野山に蔵王権現を祀ったことに始まります。
現在は山上ヶ岳(現在の大峯山寺)と吉野山(現在の金峯山寺)は別個の寺院になっていますが、近世までは「山上の蔵王堂」・「山下の蔵王堂」と呼ばれ、金峯山寺とは本来2つの蔵王堂とその関連施設の総称でした。
金峯山経塚出土紺紙金字経の金峯山寺分の大半は、2015年(平成27年)に金峯山寺本坊で発見されたもの。
📎藤原道長の御嶽詣~彰子の男児出産を願っての金峯山参詣か?~
☆ ☆ ☆ ☆ ☆