別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2025年9月29日月曜日

浄光明寺の三千仏図~鎌倉検定に出るかも。~


2025年(令和7年)2月14日、浄光明寺の三千仏図と若宮大路周辺遺跡群出土の貿易陶磁器24点が鎌倉市の文化財に指定されました。


三千仏図
(鎌倉市HPより)


「三千仏」(さんぜんぶつ)とは、過去・現在・未来の三つの世に、それぞれ千体ずつ出現するとされる仏。

浄光明寺の三千仏図は、南北朝期から室町期の作とされ、中央に三世仏、周囲に二千体を超える小仏が描かれています。




浄光明寺は赤橋流北条氏の菩提寺。

本尊の木造阿弥陀如来及両脇侍坐像は、北条久時の発願によって造立されたもの(国の重要文化財)。

室町時代には足利尊氏直義兄弟の厚い帰依を受けました。



鎌倉検定


浄光明寺









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円覚寺開山忌

絵筆塚祭

お十夜


運慶 祈りの空間


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2025年9月27日土曜日

運慶と鎌倉検定


(鎌倉検定過去問)
運慶が笑いながら彫ったことから像も笑っているように見えると言い伝えられる、圓應寺の本尊は何か。


圓應寺の閻魔大王

圓應寺閻魔大王像は、閻魔大王に生き返らせてもらった運慶が彫ったものなのだとか。

延命寺の阿弥陀如来像は、圓應寺の閻魔大王を彫ったあまりの木で作られたとも。


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運慶は奈良の興福寺を拠点に活動した仏師。

奈良仏師の中でも運慶らは「慶派」と呼ばれますが、慶派は奈良仏師の傍流で、運慶の父康慶からはじまる仏師集団。

奈良仏師の嫡流は源頼朝が鎌倉に呼んでいます。


(鎌倉検定過去問)
雪ノ下の大御堂にあった〔  〕は、〔  〕が父親の供養のために創建し、奈良から仏師〔  〕を招いて、黄金の〔  〕像を造らせて安置し、盛大な儀式を行ったと伝えられる。

1185年(文治元年)、源頼朝は父義朝の菩提を弔うために勝長寿院を建立すると、奈良仏師の成朝を鎌倉に呼びよせて本尊の阿弥陀如来を造立させました。

頼朝が奈良仏師の中から成朝を選んだ理由は、成朝が藤原道長の時代に活躍した定朝の嫡流だから。

当時、奈良仏師で位階を与えられていたのは、運慶の父康慶のみでしたが、それでも嫡流に拘った頼朝は成朝を選びました。

その後、成朝は・・・

1194年(建久5年)に興福寺金堂の「弥勒浄土」の造仏に携わったようですが、間もなく亡くなったのかと思われます。

運慶は・・・

1196年(建久7年)、東大寺大仏殿の虚空蔵菩薩と増長天を造立。

1203年(建仁3年)、東大寺南大門の金剛力士像を造立。

1212年(建暦2年)、興福寺北円堂の本尊の弥勒如来坐像、肖像彫刻として日本彫刻史上屈指の名作といわれる無著・世親菩薩立像などを造立。


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運慶の真作とされている仏像の半分は東国にありますが、残念ながら鎌倉には残されていません。


願成就院の運慶仏

浄楽寺の運慶仏



(鎌倉検定過去問)
阿弥陀如来の信仰に熱心な下働きの法師に盗みの疑いがかかり、左の頬に焼印を押されたのに跡が残らず、法師の身代わりとなって頬に焼印の跡がついたという伝説がある、「頬焼阿弥陀」を本尊とする寺はどこか。

光触寺の本尊は阿弥陀三尊像

中尊の阿弥陀如来像は運慶作で『頬焼阿弥陀縁起』(国重文)に登場するの阿弥陀仏なのだと伝えられています。

『新編鎌倉志』によると、運慶は1215年(建保3年)に源実朝の招きで鎌倉に下向。

その時に彫ったのが光触寺の阿弥陀如来像で、脇侍の観音は快慶、勢至は湛慶(運慶の子)の作なのだとか。

頬焼阿弥陀が彫られたという1215年(建保3年)頃からの運慶は、源実朝北条政子北条義時などの依頼による造仏に携わりました。

『吾妻鏡』によると・・・

1216年(建保4年)、源実朝の持仏堂の本尊・釈迦如来

1218年(建保6年)、北条義時の大倉薬師堂(覚園寺)の薬師如来

1219年(承久元年)、北条政子の依頼により勝長寿院の五大尊像を手掛けています。

これらの仏像は現存しませんが・・・

1216年(建保4年)に実朝の養育係だった大弐局の発願で造立された金沢の称名寺大威徳明王は現存しています。



運慶


鎌倉検定









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運慶 祈りの空間

運慶願経


東大寺

東大寺南大門


興福寺

興福寺北円堂


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2025年8月27日水曜日

運慶仏もある杉本寺の観音堂~鎌倉検定に出るかも?~





杉本寺は行基が開いたという鎌倉最古の寺。

本尊は行基・慈覚・恵心作と伝わる三体の十一面観音

『吾妻鏡』によると、1191年(建久2年)9月18日、源頼朝は杉本寺を参拝して修理代を寄進しています。

杉本寺の縁起によると、その時に本尊を内陣に安置させて秘仏とし、内陣前に運慶作の十一面観音像を寄進したのだといいます。


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2024年(令和6年)の鎌倉検定では、宝戒寺本堂内の仏像の配置が出題されました。

今年は杉本寺の出題があるかも。

杉本寺の観音堂には・・・

運慶作という地蔵菩薩

安阿弥(快慶)作という地蔵菩薩

昭和期に杉本寺の住職だった慈海僧正作の新十一面観音

宅間法眼作という毘沙門天

運慶作という観音三十三身

作者不明の不動明王

作者不明の賓頭盧尊者

なども安置されています。



鎌倉検定


杉本寺









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運慶

2025年9月9日から
運慶 祈りの空間


興福寺北円堂


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2024年12月10日火曜日

第18回鎌倉検定3級~銭洗弁財天と初巳の日~


特に商売繁盛の御利益が大きいといわれることから,銭洗弁財天宇賀福神社への商業関係者の参拝が多くなるのはいつか。

1 初子の日
2 初巳の日
3 初午の日
4 初未の日



初巳祭

銭洗弁財天宇賀福神社の祭神は、本宮が市杵島姫命、奥宮が弁財天(宇賀神)。

弁財天の使いは蛇。
蛇=巳
巳の日には蛇が弁財天に願いを届けてくれる!

2025年(令和7年)巳年の初巳の日は1月12日。

巳の刻(午前10時)から初巳祭が執り行われます。



初巳祭


銭洗弁財天









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鎌倉初詣特集

鎌倉新年のイベント


鎌倉江の島七福神


京都は七福神発祥の地
都七福神


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2024年12月8日日曜日

第18回鎌倉検定3級~鎌倉五山の問題~


(問)
室町時代に禅宗寺院の格式を定めた鎌倉五山で、円覚寺は第何位とされたか。




「五山」とは、禅宗寺院の格式を表したもの。

鎌倉時代に北条氏によって制定されたのが始まりだといいます。


鎌倉幕府が定めた五山では、鎌倉の建長寺円覚寺壽福寺浄智寺と京都の建仁寺が列せられていたと考えられています。

その後、後醍醐天皇、足利尊氏、足利義詮が五山を定めました。

そして、1386年(至徳3年)、足利義満は五山の上に南禅寺を置き、その下に鎌倉五山京都五山を定めています。


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五山之上


南禅寺は、五山の上に置かれ、禅宗寺院の中で最も格式の高い寺とされました。


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鎌倉五山

建長寺
第一位:建長寺

建長寺は、1253年(建長5年)、五代執権北条時頼が宋の禅僧・蘭渓道隆を招いて開いた日本で初めての「禅専門道場」。


円覚寺
第二位:円覚寺

円覚寺は、元寇(文永・弘安の役)によって死んだ兵達の菩提を弔うため、1282年(弘安5年)、八代執権北条時宗によって建立されました。

開山には、宋の禅僧・無学祖元が招かれています。


壽福寺
第三位:壽福寺

壽福寺は、1200年(正治2年)、源頼朝の妻北条政子の創建と伝えられる寺。

開山は我が国臨済宗開祖の栄西


浄智寺
第四位:浄智寺

浄智寺は、五代執権北条時頼の三男宗政の菩提を弔うため、夫人と子師時が創建。

創建年は定かではありませんが、1281年(弘安4年)以降と考えられているようです。


浄妙寺
第五位:浄妙寺

浄妙寺は、1188年(文治4年)、源頼朝の重臣足利義兼が父義康の菩提を弔うために創建した真言宗の極楽寺を前身としています。


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京都五山

第一位:天龍寺

天龍寺は、1339年(暦応2年/延元4年)、足利尊氏後醍醐天皇の菩提を弔うために大覚寺統の離宮であった亀山殿を寺に改めました。

開山は夢窓疎石


第二位:相国寺

相国寺は、1382年(永徳2年)、足利義満が将軍家邸宅の「花の御所」の隣接地に創建しました。

開山は夢窓疎石

鹿苑寺(金閣寺)や慈照寺(銀閣寺)は相国寺の塔頭。


第三位:建仁寺

建仁寺は、我が国臨済宗の開祖栄西が開いた寺。

開基は鎌倉幕府二代将軍源頼家

1202年(建仁2年)の創建。


第四位:東福寺

東福寺は、1255年(建長7年)、藤原(九条)道家が、藤原氏の氏寺として創建。

東大寺の「東」と興福寺の「福」をとって名付けられた寺です。

道家は、鎌倉幕府四代将軍九条頼経と五代将軍頼嗣の父。


第五位:万寿寺

万寿寺は、1096年(永長元年)、白河天皇が皇女郁芳門院の菩提を弔うために六条内裏に建てた六条御堂を始まりとしています。

現在は東福寺の塔頭。





鎌倉検定


鎌倉五山


山内荘と北条氏








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鎌倉初詣特集

鎌倉新年のイベント


2025年(令和7年)は巳年。

巳は蛇!

蛇は弁財天の使い。

巳の日には蛇が弁財天に願いを届けてくれる!


銭洗弁財天


鎌倉江の島七福神


京都は七福神発祥の地
都七福神


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