別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2025年10月30日木曜日

2026年は午年!白旗神社の絵馬と源義経の愛馬大夫黒




藤沢の白旗神社に午年の大絵馬が設置されました。

牛若丸(源義経)が乗馬で疾走しています。

愛馬の大夫黒かもしれません。

たくさんの馬が描かれていますが、青に白の斑点の馬は兄頼朝の愛馬池月

畠山重忠三日月なども描かれているのかも。



白旗神社源義経を祀る社。

毘沙門堂の毘沙門天は、義経が幼少期を過ごした鞍馬寺から勧請されたものと伝えられています。




大夫黒(たいふくろ)は、源義経後白河法皇より賜り、一ノ谷の戦い鵯越屋島の戦いで乗馬したという名馬。

『吾妻鏡』によると、屋島の戦いで郎党佐藤継信が討死すると、義経は継信を埋葬してくれた僧に大夫黒を与えたのだといいます。


大夫黒の墓

大夫黒は、死後、継信の墓のそばに葬られたのだと伝えられています。





白旗神社


源義経








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2025年10月27日月曜日

実慶の阿弥陀三尊~北条時政が造立させた仏像~




函南町の「かんなみ仏の里美術館」に所蔵されている阿弥陀三尊像(阿弥陀如来及両脇侍像)は、慶派仏師・実慶の作。

北条時政石橋山の戦いで討死した長男・宗時の慰霊のために造立させたものと考えられています。




阿弥陀如来の首枘(くびほぞ)の裏には「大仏師實慶」の墨書があるらしい。


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『吾妻鏡』によると・・・

1180年(治承4年)8月24日、石橋山の戦いでの敗北後、時政と次男の義時は箱根の湯坂道を経て甲斐国へ向かおうとし、宗時は土肥から桑原(函南町)を経て平井郷(函南町)へ向かおうとしたようですが・・・

宗時は平井郷を目の前にして伊東祐親軍に討たれてしまったようです。




函南町には北条宗時の墓と伝えれる塔が残されています。

『吾妻鏡』によると、1202年(建仁2年)6月1日、北条時政は夢のお告げによって伊豆国へ下向し、宗時の墳墓堂で追善供養を行っているようです。

阿弥陀三尊像もこの頃に造立されたのかもしれません(「かんなみ仏の里美術館」の説明では建久年間(1190~1198年)の末頃とされています。)。

時政といえば、願成就院の造仏を運慶に依頼したことで知られていますが・・・

このころの運慶は東大寺大仏殿の造仏に携わり、1203年(建仁3年)には南大門に快慶らとともに造立した金剛力士像が安置されています。

実慶は、運慶が1183年(寿永2年)に完成させた「運慶願経」に名を連ねている慶派の有力仏師。

運慶や快慶が南都復興の造仏に携わっている間、実慶は東国での仏像需要に応じた活動をしていたようです。

1210年(承元4年)には、修禅寺大日如来像を造立しています。




願成就院の運慶仏

願成就院


実慶の大日如来と納められていた3束の頭髪


修禅寺


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運慶


運慶 祈りの空間


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2025年10月26日日曜日

実慶の大日如来御開帳~北条政子が寄進した修禅寺の本尊~




修禅寺の本尊大日如来が開帳されます。

2025年11月1日(土)~11月30日(日)

場所は、修禅寺宝物館。

9:00~16:00


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修禅寺の本尊 大日如来坐像は、修禅寺で暗殺された源頼家の七回忌(1210年(承元4年))に母の北条政子が寄進したもの。

制作者は、慶派仏師の実慶。

実慶は、運慶が1183年(寿永2年)に完成させた「運慶願経」に名を連ねている慶派の有力仏師。

東国で鎌倉幕府関連の造仏をしていたと推測され、北条時政石橋山の戦いで討死した子宗時の慰霊のために造立させた阿弥陀三尊像も実慶の作と伝えられています。




実慶の大日如来と納められていた3束の頭髪


修禅寺








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運慶


運慶 祈りの空間


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2025年10月25日土曜日

2026年は午年。青馬「池月」が現れた千束八幡神社


千束八幡神社


東京都大田区の洗足池に鎮座する千束八幡神社は「旗挙げ八幡」とも呼ばれる古社。

1180年(治承4年)、この地に陣を構えて諸将の参陣を待ったという源頼朝の前に野馬が飛来。

「池に映る月影のよう」であったことから「池月」と名付けられたのだとか・・・

千束八幡神社は名馬池月発祥の社。


名馬池月

1184年(寿永3年)の木曽義仲追討(宇治川の戦い)の際に頼朝から池月を与えられた佐々木高綱は、同じく磨墨を与えられた梶原景季宇治川の先陣争いを繰り広げました。

池月は、その余生を高綱館があった鳥山(横浜市港北区)で過ごしたのだといわれています。

高綱は鳥山に駒形明神を建てたと伝えられていますが、今はなく、その代わりに馬頭観音堂が残されています。


千束八幡神社
池月の絵馬

池月は、青い毛並みで白の斑点を浮かべていたのだとか。

古代の宮中では正月7日に「白馬節会」(あおうまのせちえ)が行われ、青馬を見ることでその一年の邪気が除かれるとされてきました。

白馬」と書かれるようになったのは平安中期頃からで、それまでは青馬が用いられてきましたが、白馬を用いるようになったために名称が変化したのだとか。




千束八幡神社


名馬 池月








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2025年10月23日木曜日

特別展「釈宗演老師と神津コレクション」~2025 円覚寺の宝物風入~


2025年の円覚寺宝物風入では、特別展「釈宗演老師と神津コレクション」が開催されます。

11月1日(土)~3日(月祝)
9:00~16:00




釈宗演は、円覚寺建長寺の管長を勤め、廃仏毀釈によって荒廃していた東慶寺を中興した高僧。

仏教学者の鈴木大拙や小説家の島崎藤村・夏目漱石など多くの信奉者がいました。

1893年(明治26年)にシカゴで開かれた万国宗教大会で「禅(ZEN)」についての講演を行い、日本人の僧として初めて「禅」(「ZEN」)を欧米に紹介したことで知られています。

神津コレクションは、宗演と交流のあった信州佐久の豪農 神津禎次郎・猛 父子が遺した宗演の遺品群。

島崎藤村が小諸義塾の講師をしていた頃に書き始めた『破壊』は、神津猛の援助があって出版されたのだといいます。


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島崎藤村や夏目漱石は、円覚寺塔頭の帰源院に止宿し、釈宗演に参禅。

その時の体験を藤村は『春』に漱石は『門』に描いています。


釈宗演の墓
(東慶寺)

釈宗演は、1919年(大正8年)11月1日、東慶寺で遷化(61歳)。


松岡宝蔵

東慶寺の寺宝を展示する松岡宝蔵は、釈宗演の遺言で建てられた宝物館。



宝物風入

円覚寺舎利殿



円覚寺








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湘南キャンドル

旧川喜多邸別邸

旧華頂宮邸 建物公開


円覚寺の紅葉

建長寺夜間拝観・紅葉ライトアップ


鎌倉の紅葉

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2025年10月22日水曜日

円覚寺の善光寺式阿弥陀三尊像


円覚寺 善光寺如来


円覚寺「銅造阿弥陀如来及両脇侍立像」(善光寺式阿弥陀三尊像)は、1271年(文永8年)に鋳造された信濃善光寺「一光三尊阿弥陀如来」の模刻といわれています。


信濃善光寺源頼朝が信仰した寺院。

頼朝は1179年(治承3年)に焼失した信濃善光寺の再建に尽力しました。

頼朝亡き後も北条氏に支援されてきましたが、1268年(文永5年)に焼失。

直ちに再建が進められ、1271年(文永8年)10月19日に堂供養が行われました。

導師は、鶴岡八幡宮の第九代別当の隆弁。

この日は、円覚寺の善光寺式阿弥陀三尊像が鋳造された日。

翌年、北条時宗は円覚寺を創建しています。

円覚寺に善光寺式阿弥陀三尊像がなぜあるのかは不明のようですが・・・

もしかすると、鶴岡八幡宮に仮置きされてから円覚寺に移されたのかもしれません。


善光寺式阿弥陀三尊像は11月の宝物風入で公開されていましたが、今年はどうでしょうか?



円覚寺

宝物風入


信濃善光寺

善光寺御開帳








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