別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2025年6月17日火曜日

源義経の青葉の笛と静御前の小鼓の胴~琵琶湖竹生島~




かつて琵琶湖の竹生島には源義経所持と伝えられた「青葉の笛」と静御前所持と伝えられた「小鼓の胴」があったのだとか。

織田信長は「青葉の笛」を借り出し、「小鼓の胴」も見たいと言っていたらしい。


「青葉の笛」といえば、一ノ谷の戦いで義経に討たれた平敦盛の笛。

信長は「人間五十年・・・」という『敦盛』 (幸若舞・こうわかまい)を好んだといわれていますが・・・

竹生島の「青葉の笛」をどう感じながら見たのだろう???


現在、「青葉の笛」は、彦根城博物館が所蔵。

「小鼓の胴」は、MIHO MUSEUM所蔵。

一ノ谷古戦場にある須磨寺にも「青葉の笛」が伝えられているが、信長が見た青葉の笛とは別物。




竹生島の青葉の笛



竹生島


宝厳寺

竹生島神社








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2025年6月16日月曜日

源義経が祈願した恵比寿神~京都:粟田神社~




1174年(承安4年)、少年期を過ごした鞍馬寺を出て奥州平泉に下ることにした源義経は、粟田口の蹴上で恵比寿神に源氏再興の祈願したのだと伝えられています。

粟田神社の摂社・出世恵比寿神社は、蹴上にあった社なのだとか。

御神像は最澄作と伝わる日本最古の恵比寿像。








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源義経








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2025年5月31日土曜日

安土城の摠見寺に竹生島弁財天を勧請した織田信長。


1581年(天正9年)4月10日、織田信長は竹生島を参詣。

安土城の郭内に創建した摠見寺に弁才天を勧請したのだとか。

一説には竹生島の弁才天そのものを安置したとも。




安土城は、織田信長が天下統一のために琵琶湖東岸に築いた城。



1582年(天正10年)の本能寺の変後、安土城は焼失してしまいますが、摠見寺は類焼を免れました。

水の神・弁財天が祀られていたからなのかも・・・







竹生島


織田信長の竹生島参詣

琵琶の名手・平経正の竹生島詣

浅井氏と竹生島


宝厳寺

竹生島神社








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2025年5月28日水曜日

平経正の竹生島詣




1183年(寿永2年)、木曽義仲追討の副将軍として北陸道へ下った平経正は、その途中で竹生島へ渡り戦勝を祈願して琵琶を奏でたのだとか。

すると袖の上に白竜が・・・

勝利を確信した経正は、

ちはやぶる
神に祈りの
叶へばや
著くも色の
現れにけり


と詠んで竹生島をあとにしたのだとか。


しかし・・・

平家軍は倶利伽羅峠の戦いで木曽義仲に大敗。

そして、平家一門は都落ち。

平経正は、1184年(寿永3年)の一ノ谷の戦いで、河越重房の手勢に討ち取られています。





竹生島


琵琶の名手・平経正の竹生島詣

浅井氏と竹生島

織田信長の竹生島参詣


宝厳寺

竹生島神社








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2025年5月25日日曜日

松原橋と寿延寺~牛若丸と弁慶ゆかりの地・京都~



松原橋は、平安時代の五条通の鴨川に架けられている橋。

かつての五条橋。

伝説によると、牛若丸弁慶は五条の橋の上で出会い、対決しました。

勝負は牛若丸の勝利。




対決後、牛若丸弁慶は十禅師の森で主従の誓いをたてたのだといいます。

寿延寺は、その旧跡に建てられています。




源義経

源義経に臣従した武蔵坊弁慶









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2025年5月1日木曜日

早雲寺~北条五代の菩提寺:箱根湯本~



箱根湯本の早雲寺は、北条早雲の遺言により北条氏綱が創建した臨済宗大徳寺派の寺院。

開山の以天宗清(いてんそうせい)は、大徳寺八十三世。

早雲は伊豆韮山香山寺に住まわせ、氏綱は香山寺から早雲寺の開山に迎えたのだといいます。



早雲寺は、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で焼き払われてしまいますが、その後再興されました。

小田原征伐後、北条氏は北条氏規(北条氏康の五男)が継承し、その子氏盛は狭山藩主となっています。

北条五代の墓は、1672年(寛文12年)に狭山藩五代藩主の北条氏治が建立した供養塔です。

毎年5月3日に開催される北條五代祭りに先立って、祭の安全を祈願する墓前祭が執り行われています。





早雲寺


北條五代祭り


小田原城


小田原征伐







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