源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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2026年10月31日土曜日
無学祖元の臨刃偈~円覚寺開山仏光国師の漢詩(偈)~
「臨刃偈」
(りんじんげ)は、
円覚寺
の開山
無学祖元
(仏光国師)が元(蒙古)の兵士に刃を突きつけられた際に詠んだとされる漢詩(偈)。
まだ、祖元が来日する前の事。
能仁寺で蒙古軍兵士たちに包囲され、のど元に刃を突きつけられた祖元は、凄まじい気迫で臨刃偈を堂々と詠み上げたのだとか。
「振りかざされた剣も、生死を超えた身には稲光のあいまに春風を斬るようなものだ」
圧倒された元兵士たちは、祖元を傷つけることなく去っていったのだと伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年10月26日月曜日
「莫煩悩」~無学祖元が北条時宗に与えた禅語~
「莫煩悩」
(まくぼんのう・煩悩するなかれ)
八代執権
北条時宗
に宋から招かれて
建長寺
・
円覚寺
に住持した無学祖元が、蒙古襲来という国難に立ち向かう時宗に贈った語。
一切の迷いの心・何かを満たそうと望む心を捨て、為すべき事に集中せよ!
「莫煩悩」の文字を師より受けた
時宗
は、元の襲来の報が入ると、
無学祖元
に「喝」(かつ)という言葉を告げて、自分の決意を示したと伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年10月25日日曜日
北条義時の菩提寺だった釈迦堂~鎌倉の廃寺~
かつて、
衣張山
中腹の釈迦堂ヶ谷には、1225年(嘉禄元年)、三代執権
北条泰時
が父
義時
の菩提を弔うために建てた
釈迦堂
がありました。
本尊は、京都の
清凉寺
の
三国伝来の釈迦如来
を模刻した清涼寺式釈迦如来像。
廃寺となった時期は不明ですが、清涼寺式釈迦如来像は
杉本寺
に安置された後、東京目黒の
大円寺
に移されたのだといわれています。
大町釈迦堂口遺跡
は釈迦堂跡という説も・・・
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年10月6日火曜日
うなづきの弥陀に救われた伊勢貞国~お十夜~
伝説によると・・・
室町時代、世の無常を感じていた伊勢貞国は、
真如堂
に参籠し、
「うなづきの弥陀」
から受けたお告げによって出家を思いとどまり、室町幕府の政所執事になることができたのだとか。
貞国の真如堂参籠が「お十夜」の始まりと伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年9月27日日曜日
「鳩サブレー」誕生物語
豊島屋の「鳩サブレー」は、その名のとおり鳩の形。
これは、鶴岡八幡宮の本宮楼門の額。
「八」の字は2羽の鳩が向かい合ったもの。
鳩サブレーは、この2羽の鳩をモチーフにして、1897年(明治30年)頃誕生しました。
豊島屋の初代 久保田久次郎は、こうイメージしたのかも。
だけど、「サブレー」という言葉は、当時の人たちには馴染みがなかったため、久次郎は親しみを込めて「鳩三郎」と名付けていたらしい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年9月25日金曜日
伊豆国江間荘の北条義時館
若い頃の
北条義時
は伊豆国の江間荘を本拠としていました。
伊豆の国市の江間公園は、若き日の義時が「江間小四郎」を名乗って暮らしたと伝わる場所。
その一角に「北條義時屋敷跡」の碑が建っています。
近くには義時創建とされる
北條寺
や
豆塚神社
も。
2023年(令和5年)には、「北条義時・姫の前夫婦」の碑が建てられています。
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