源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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2026年11月1日日曜日
関東の連れ小便~豊臣秀吉と徳川家康 石垣山一夜城~
1590年(天正18年)、
小田原征伐
の最中・・・
豊臣秀吉は
德川家康
を連れ立って小田原城攻略のために築いた
石垣山城
から
小田原城
に向かって小便をしたのだとか。
その時、家康は秀吉から「関東をやるから、今までの領地は明け渡せ」と関東移封を命じられたのだと伝えられています。
家康は小田原征伐が終わった後は、三河・駿河・遠江・甲斐・信濃に加えて伊豆が加増されると予想していたようですが、家康を警戒していた秀吉は地縁の薄い関東八州への移封を命じたのだと考えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年10月31日土曜日
無学祖元の臨刃偈~円覚寺開山仏光国師の漢詩(偈)~
「臨刃偈」
(りんじんげ)は、
円覚寺
の開山
無学祖元
(仏光国師)が元(蒙古)の兵士に刃を突きつけられた際に詠んだとされる漢詩(偈)。
まだ、祖元が来日する前の事。
能仁寺で蒙古軍兵士たちに包囲され、のど元に刃を突きつけられた祖元は、凄まじい気迫で臨刃偈を堂々と詠み上げたのだとか。
「振りかざされた剣も、生死を超えた身には稲光のあいまに春風を斬るようなものだ」
圧倒された元兵士たちは、祖元を傷つけることなく去っていったのだと伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年10月26日月曜日
「莫煩悩」~無学祖元が北条時宗に与えた禅語~
「莫煩悩」
(まくぼんのう・煩悩するなかれ)
八代執権
北条時宗
に宋から招かれて
建長寺
・
円覚寺
に住持した無学祖元が、蒙古襲来という国難に立ち向かう時宗に贈った語。
一切の迷いの心・何かを満たそうと望む心を捨て、為すべき事に集中せよ!
「莫煩悩」の文字を師より受けた
時宗
は、元の襲来の報が入ると、
無学祖元
に「喝」(かつ)という言葉を告げて、自分の決意を示したと伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年10月25日日曜日
北条義時の菩提寺だった釈迦堂~鎌倉の廃寺~
かつて、
衣張山
中腹の釈迦堂ヶ谷には、1225年(嘉禄元年)、三代執権
北条泰時
が父
義時
の菩提を弔うために建てた
釈迦堂
がありました。
本尊は、京都の
清凉寺
の
三国伝来の釈迦如来
を模刻した清涼寺式釈迦如来像。
廃寺となった時期は不明ですが、清涼寺式釈迦如来像は
杉本寺
に安置された後、東京目黒の
大円寺
に移されたのだといわれています。
大町釈迦堂口遺跡
は釈迦堂跡という説も・・・
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年10月6日火曜日
うなづきの弥陀に救われた伊勢貞国~お十夜~
伝説によると・・・
室町時代、世の無常を感じていた伊勢貞国は、
真如堂
に参籠し、
「うなづきの弥陀」
から受けたお告げによって出家を思いとどまり、室町幕府の政所執事になることができたのだとか。
貞国の真如堂参籠が「お十夜」の始まりと伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年9月27日日曜日
「鳩サブレー」誕生物語
豊島屋の「鳩サブレー」は、その名のとおり鳩の形。
これは、鶴岡八幡宮の本宮楼門の額。
「八」の字は2羽の鳩が向かい合ったもの。
鳩サブレーは、この2羽の鳩をモチーフにして、1897年(明治30年)頃誕生しました。
豊島屋の初代 久保田久次郎は、こうイメージしたのかも。
だけど、「サブレー」という言葉は、当時の人たちには馴染みがなかったため、久次郎は親しみを込めて「鳩三郎」と名付けていたらしい。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
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