別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


ラベル 鎌倉:人物と歴史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 鎌倉:人物と歴史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2025年11月25日火曜日

初午に開帳される千手観音~源頼朝に助命された平盛久の伝説~



1185年(元暦2年)、壇ノ浦の戦いで平家が滅亡。

平家の家人だった平盛久は京都に潜伏していましたが、1186年(文治2年)、清水寺に参詣した帰りに北条時政によって捕らえられ、鎌倉へ送られてきたのだといいます。

主馬盛久之頸坐は盛久が処刑されそうになった地。

伝承によると・・・

文治2年6月、由比ヶ浜で斬首されることとなった盛久ですが、信仰していた清水寺の千手観音に祈り続けると、刀が折れて命拾いしたのだといいます。

清水観音の信者だった源頼朝は、それを聞いて盛久を助命したのだとか。

北条政子の夢に清水寺の高僧が現れて赦免を願ったとも。



寛永寺清水観音堂の本尊は秘仏の千手観音。

清水寺の千日詣を続けていた盛久が、清水寺に奉納したものと伝えられています。

盛久が処刑されそうになった文治2年は午年。

清水観音の力で命拾いしたのが午の日の午の刻だったのだとか。

そのため、毎年初午に開帳されています。

2026年午年の初午は2月1日(日)。



清水観音堂


寛永寺


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉 初詣情報


鎌倉 新年のイベント


鎌倉江の島七福神


よりともジャパン.com




清水寺伝説~坂上田村麻呂と地蔵菩薩・毘沙門天と百頭の木馬~




京都の清水寺の本尊は十一面千手観世音菩薩。

脇侍は地蔵菩薩と毘沙門天。

伝説によると・・・

蝦夷討伐を命じられた坂上田村麻呂は、清水観音に祈り続けながら戦っていました。

すると、僧侶と老翁が現れ、僧侶が敵の矢を防ぎ、老翁が敵に次々と矢を射かけてくれたおかげで蝦夷を打ち破ることができたのだといいます。

僧侶と老翁は、田村麻呂が蝦夷征討に赴く際、開山の延鎮が必勝祈願のために彫った地蔵菩薩と毘沙門天だったのだとか。



延鎮は、地蔵菩薩と毘沙門天を彫った残りの木切れで100頭の木馬も作ったらしい。

福島県三春町に伝わる伝統的な木製の馬の玩具「三春駒」(みはるこま)は、

一説によると・・・

蝦夷征討で100頭の木馬が坂上田村麻呂を助けたという伝説がもととなって作られるようになったのだとか。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆




清水寺は、778年(宝亀9年)、奈良興福寺の延鎮が千手観音像を音羽の滝の上に祀ったことに始まります。

798年(延暦17年)に蝦夷を平定して凱旋した坂上田村麻呂は、帰依していた延鎮に自邸を仏殿として寄進し、千手観音像と脇侍の地蔵菩薩と毘沙門天を祀ったのだと伝えられています。




清水寺


清水寺の千手三尊

☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉 初詣情報


鎌倉 新年のイベント


鎌倉江の島七福神


よりともジャパン.com


2025年11月22日土曜日

運慶展 11月30にまで!お見逃しなく!




東京国立博物館で開催されている特別展「運慶」は11月30日まで。

鎌倉復興期の北円堂内陣の再現された「祈りの空間」には七軀の国宝仏が並んでいます。

お見逃しなく!

開館は9:30~17:00ですが・・・

11月23日(日)・27日(木)・28日(金)・29日(土)は20:00まで延長するそうです。

【観覧料】
一般 1,700円
大学生 900円
高校生 600円

前もってチケットを購入しておくと入館がスムーズです。




興福寺北円堂は、興福寺の開基藤原不比等の一周忌に創建されました。

1180年(治承4年)の南都焼討後の復興造仏を任されたのが運慶

本尊の弥勒如来坐像、肖像彫刻として日本彫刻史上屈指の名作といわれる無著・世親菩薩立像は、1212年(建暦2年)に運慶が一門を率いて造立したもの。

もとは北円堂に安置されていたという中金堂の四天王立像も運慶作ではないかと考えられています。




運慶


運慶 祈りの空間


興福寺北円堂

興福寺中金堂

興福寺南円堂


興福寺











☆ ☆ ☆ ☆ ☆


東大寺大仏殿にも運慶仏があった!
東大寺大仏殿

東大寺南大門の金剛力士像は運慶作!
東大寺南大門


東大寺


よりともジャパン.com



2025年11月17日月曜日

伊豆山にあった快慶の阿弥陀如来~熱海 伊豆山神社~


明治の神仏分離までの伊豆山には、上常行堂と下常行堂がありました。

上常行堂と下常行堂の本尊は木造阿弥陀如来坐像(宝冠阿弥陀)。


快慶の阿弥陀如来

下常行堂にあった阿弥陀如来は、運慶とともに東大寺金剛力士像を造立した快慶作の宝冠阿弥陀如来坐像。

現在は、大正・昭和期の実業家金本耕三(耕三寺耕三)に収集され、耕三が広島県尾道市に開いた耕三寺の所蔵。

運慶は北条時政和田義盛北条義時北条政子などに依頼により東国で多くの造仏に携わりましたが、快慶が東国の造仏に携わったという確証のあるものは、伊豆山の阿弥陀如来と栃木県足利市真教寺の阿弥陀如来のみ。


上常行堂の阿弥陀如来

上常行堂にあった阿弥陀如来は、神仏分離後、逢初地蔵堂に移されていましたが、現在は伊豆山神社境内にある伊豆山郷土資料館に収蔵されています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



この仏像は、鎌倉の教恩寺阿弥陀如来像

運慶作と伝えられていますが、作風からすると快慶あるいはその周辺の仏師の作ではないかといわれています。



快慶の阿弥陀如来


伊豆山神社


伊豆山神社 新嘗祭


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


熱海と源頼朝の伝説

伊豆・箱根の二所詣

あたみ桜


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com


2025年11月16日日曜日

住吉大社に神馬を奉納した源頼朝~2026年は午年~




住吉大社は、源頼朝ゆかりの社。

『吾妻鏡』によると、1195年(建久6年)、東大寺大仏殿落慶供養参列のため上洛していた頼朝は、住吉大社に梶原景時を代参させ、幣帛(布)を納め、神馬を奉納しています。

夕刻になって到着した景時は、和歌一首を釣殿の柱に貼ったのだといいます。

我君の
手向の駒を
引つれて
行末遠紀
志るしあらはせ


「頼朝様からの馬を連れてきましたので、行く末永く、御武運や御繁栄の験を現してください」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


古代から日本には、祈願のために神が騎乗する馬(神馬)を奉納する習わしがありました。

現在では、馬の像や絵馬で代用されたりしていますが、住吉大社では生きた馬が飼育されています。

住吉大社の神馬は代々白馬。

1月7日の「白馬神事」(あおうましんじ)は、宮中で行われていた「白馬節会」を伝承している神事。

「年初に白馬(青馬)を見れば年中の邪気が祓われる」

といわれています。




住吉大社


白馬節会

青馬「池月」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉 初詣情報


鎌倉 新年のイベント


よりともジャパン.com


2025年11月7日金曜日

馬頭観音~無病息災・動物救済・厄除け・旅行安全~2026年は午年!




馬頭観音は、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)のそれぞれの衆生を救うとされる六観音の一つ。

六観音の中で唯一忿怒相をとり、頭上に馬の頭をいただき、第三の目、三つの顔、複数の腕を持っています。

畜生道の衆生を救うとされる観音菩薩。


馬頭観音
(京都 千本釈迦堂)

馬頭観音の忿怒の表情は、怒りそのものを表すものではなく、煩悩や邪悪を打ち砕き、人々を正しい道へと導くための相。



六観音
(京都 千本釈迦堂)

千本釈迦堂の六観音は、鎌倉時代に慶派仏師・肥後定慶の主導で造立されたもの。

肥後定慶は、運慶の子康運のこととする説が有力。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


今日では、無病息災・動物救済・厄除け・旅行安全のご利益があるとされている馬頭観音ですが、馬の守護神としても信仰されてきました。

日本の各地には馬頭観音の石仏が多く置かれていますが、馬とともに生活していた人々が馬の無病息災や冥福を祈ったものといわれています。


(横浜市港北区鳥山)

横浜市港北区鳥山は、源頼朝から名馬池月(生食)を賜った佐々木高綱の所領でした。

高綱は池月の霊を慰めるため駒形明神として祀ったのだと伝えられています。



(静岡市駿河区曲金)

静岡市は、梶原景時終焉の地。

駿河区曲金の馬頭観音堂は、合戦で斃れた景時の愛馬・磨墨と郎党の愛馬の供養のために建てられたのだといいます。



名馬 池月

名馬 磨墨


白馬節会


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉 初詣情報


鎌倉 新年のイベント


よりともジャパン.com