1567年(永禄10年)、美濃攻略に成功し、稲葉山城を本拠とした織田信長は、翌年、室町幕府十二代将軍・足利義晴の子義昭を奉じて上洛し、室町幕府の再興を果たしていますが・・・
この上洛するにあたって、信長は妹のお市の方と北近江の小谷城主の浅井長政を結婚させます。
上洛を成功させるための政略結婚でした。
信長が本拠としていた岐阜城から都に行くためには、近江国を通る必要があります。
信長は、北近江を支配する浅井氏と同盟を結ぶことで背後の安全を確保したのです。
同盟を結ぶにあたって長政は、「浅井氏の盟友だった越前の朝倉氏を攻撃しない」ことを絶対条件として提示したといわれています。
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お市の方と長政の仲は良かったと伝えられ、茶々・初・江という三人の娘(浅井三姉妹)を授かっています。
しかし、1570年(元亀元年)、信長が長政との約束を破り、越前の朝倉義景を攻めます。
理由は、義景が再三の上洛命令を無視したため。
さらに、信長に反発した将軍・義昭が、義景らに信長追討の密書を送っていたことも、両者の対立を決定的にしたようです。
この戦いで信長は、「妹のお市を嫁がせた義弟の長政が裏切るはずがない」と高を括っていたようですが・・・
金ヶ崎の戦いでは、長政は義景方につき信長を窮地に追い込んでいます。
この出来事がきっかけとなり、信長と長政は泥沼の戦争状態へと突入。
1573年(天正元年)、小谷城が落城し浅井家は滅亡しました(長政享年29)。
(長浜市 徳勝寺)
徳勝寺は小谷城の戦いで滅亡した戦国大名・浅井氏の菩提寺。
小谷城主の亮政・久政・長政三代の墓が建てられています。
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(北ノ庄城址)
浅井長政が滅ぼされた後、お市の方は3人の娘とともに岐阜城で暮らしていましたが・・・
本能寺の変後、越前国北ノ庄の柴田勝家と再婚。
しかし、勝家が羽柴秀吉との戦いに敗れたため、北ノ庄城で自害(享年37)。
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