別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2026年7月26日日曜日

鎌倉覚園寺の黒地蔵縁日~8月10日 深夜から響き渡る読経。~




覚園寺の「地蔵菩薩立像」は「黒地蔵」と呼ばれています。

地獄では、罪人が猛火による「責め苦」にあうそうです。

「黒地蔵」は、地獄で火に苦しんでいる者を見て、少しでも罪人の苦しみを和らげてあげようと、自らが獄卒(地獄の役人)となって火焚きを行いました。

そして、火を焚くうちに、その全身は黒く焦げてしまったのだといいます。

8月10日は、無尽蔵の御利益が得られるという黒地蔵の縁日

深夜0時から開門され、正午頃まで境内には絶え間ない読経が響き渡ります。



黒地蔵縁日


覚園寺


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鎌倉の夏

ぼんぼり祭

四万六千日

閻魔縁日


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弦巻田を放生池にした源頼朝~鶴岡八幡宮源平池~


『吾妻鏡』によると、1182年(養和2年)4月24日、源頼朝鶴岡八幡宮の周辺にあった「絃巻田」という水田を池としています。


弦巻田

「絃巻田」は、神へ捧げる為の米を栽培する斎田で、苗を渦巻き状に植える水田と考えられています(諸説あり)。

もしかすると、源頼義が由比郷に建てた由比若宮の神に供える米を栽培していた可能性も。


源平池 紅白の蓮と島


頼朝は造営したのは、「捕らえた魚や鳥などの生き物を殺さずに自然の川や池に放す」という仏教の教えである「放生」や「放生会」を行うための放生池です。

生き物を放つ行為は、自らの罪を清め、功徳(善い行い)を積むためのもの。

頼朝は、1180年(治承4年)に由比若宮を現在地に遷座していますが、戦による戦死者の供養と源氏の繁栄を祈願するため、わざわざ神の水が湧く地を選んだのかもしれません。

そして、1187年(文治3年)には、大規模な放生会を催しています。

この放生会が現在の鶴岡八幡宮例大祭の起源といわれています。



鶴岡八幡宮の源氏池と平家池

鶴岡八幡宮例大祭


鶴岡八幡宮


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鶴岡八幡宮の太鼓橋~赤橋と呼ばれていた橋~




鶴岡八幡宮太鼓橋は、1182年(養和2年)に源頼朝が放生池(源平池)を造営した際に架けられたと考えられています。

現在の太鼓橋は、橋脚・橋桁が鉄筋コンクリート製、橋床版・欄干が石製ですが、頼朝が架けた当時は朱塗りの木橋だったようです。

そのため「赤橋」と呼ばれていました。

北条氏の庶流「赤橋流」の苗字は、この赤橋の近くに屋敷があったことに由来しています。



鶴岡八幡宮の太鼓橋

鶴岡八幡宮の源氏池と平家池


鶴岡八幡宮


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2026年7月25日土曜日

源頼朝の鶴岡八幡宮参道~頼朝の都市計画~




1182年(養和2年)、源頼朝に造営された鶴岡八幡宮の参道「若宮大路」は、平安京の朱雀大路を模したものだったと言われています。

朱雀大路は船岡山を測量基準点として真南に引かれた道で、その上に大極殿羅城門が配置されました。

若宮大路鶴岡八幡宮の北の十王岩(正確には近くの岩塊)を測量基準点として引かれた道と考えられています。

平安京でいう船岡山十王岩大極殿鶴岡八幡宮羅城門一の鳥居



若宮大路

段葛

十王岩

鶴岡八幡宮浜の大鳥居

鶴岡八幡宮大鳥居


鶴岡八幡宮


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祇園祭の蟷螂山~からくりのカマキリと石清水八幡宮のカマキリ~



祇園祭の前祭で巡行する蟷螂山は、小田原で最古の商家「外郎家」(ういろう)の二代当主・宗奇(そうき)によって創始されました。

室町幕府二代将軍足利義詮との戦いで戦死した公卿四條隆資の勇姿を称えたもので、中国の故事「蟷螂の斧」にちなんでいるのだとか。



山鉾の中で唯一、巡行中に動く「からくり」が施されているのが蟷螂山。


カマを振り上げたり、首をかしげるたり、





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四條隆資が戦死したのは「八幡の戦い」。

石清水八幡宮の本殿欄間の彫刻の中にはカマキリもありますが、蟷螂山のカマキリをヒントに彫られたのかも・・・



祇園祭の蟷螂山と小田原外郎家


祇園祭

石清水八幡宮


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2026年7月24日金曜日

祇園祭の神輿渡御



祇園祭というと山鉾巡行を思い浮かべる方も多いかもしれませんが・・・

祇園祭は、869年(貞観11年)6月14日、当時の日本全国の国の数(66)にちなんだ長さ約6メートルの矛を66本立て、牛頭天王を祀る祇園社(現在の八坂神社)から神泉苑へ神輿を送り、災厄の除去を祈願したことに始まります。



山鉾巡行は「神が通る道を清めるための露払い」。

最も重要な神事は、神輿渡御(神幸祭・還幸祭)。

神幸祭は7月17日。

夕刻、素戔嗚尊の中御座神輿・櫛稲田姫命の東御座神輿・八柱御子神の西御座神輿の三基が八坂神社を出発。

四条御旅所まで渡御します。

還幸祭は7月24日。

御旅所で1週間を過ごした神が八坂神社へと還御します。



祇園祭の神輿渡御

祇園御霊会



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祇園祭

八坂神社


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2026年7月23日木曜日

祇園祭の「武者行列」(弓矢組・武者神役)



祇園祭「武者行列」(弓矢組・武者神役)は、神幸祭の「神輿渡御」を先頭する行列。

1974年(昭和49年)を最後に途絶えていましたが、2025年(令和7年)に復活!

2026年(令和8年)の神幸祭では6名の甲冑武者が巡行しました。



毎年、神幸祭前の7月15日・16日、弓矢町では「武具飾り」が行われ、町会所の弓箭閣や周辺の町屋には武者行列で着用される甲冑などが展示されます。




祇園祭武者行列


弓矢町武具飾り

祇園祭の神輿渡御


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祇園祭

八坂神社


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