別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2026年8月15日土曜日

源頼朝が鶴岡八幡宮で始めた放生会


放生会は、仏教の殺生を禁じる思想に基づくもので、魚や鳥などを山野に放ち、善根(よい報いを招くもととなる行為)を施すという仏教の儀式。

1187年(文治3年)8月15日、源頼朝鶴岡八幡宮放生会を催しました。

この放生会が現在の例大祭の起源とされています。




我が国の放生会は、八幡神の神託により744年(天平16年)頃に宇佐八幡宮で始められました。

863年(貞観5年)には石清水八幡宮でも放生会が執り行われるようになり、948年(天暦2年)には勅祭とされました。

頼朝は、石清水八幡宮の放生会を模した大規模な儀式を執り行い、鎌倉武家政権の正当性を誇示しようとしたのかもしれません。



放生会では流鏑馬が奉納されていますが、この時期は奥州平泉藤原秀衡のもとに源義経が逃げ込んだことで秀衡との対立が深まっていました。

流鏑馬は、平泉の秀衡に対しての「武力誇示」と、「鎌倉に弓を引くなら即攻め込む」という強い意志を表したものだったのかも。



鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬


鶴岡八幡宮例大祭

小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮


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源頼朝が始めた流鏑馬神事と西行の教え。




1186年(文治2年)8月15日、東大寺再建のため奥州へ向かう途中の西行が鎌倉を訪れます。

『吾妻鏡』によると、源頼朝鶴岡八幡宮を参拝すると鳥居の辺りを徘徊していたのだとか。

その後、御所に招かれた西行は、一晩に渡って弓馬の故実を語り、翌日、奥州へと旅立っていったのだそうです。

西行は、実戦的な騎射術である流鏑馬を大成させた藤原秀郷の子孫。

流鏑馬は古代から宮廷行事として行われていましたが、秀郷は実戦で勝つための戦闘技術として鍛え上げました。

頼朝は西行から秀郷流流鏑馬の秘訣を学んだということになります。

翌年、頼朝は放生会を催して流鏑馬を奉納していますが、西行の話に感銘を受けて奉納したのだとか。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆




鶴岡八幡宮の流鏑馬は頼朝が武家の儀礼・訓練として新しく始めたもの。

宮廷行事としての流鏑馬は、公家風の衣装が用いて行われていましたが、秀郷流を受け継いだ「武士の流鏑馬」では、武士が山野の狩りで着る「狩装束」(かりしょうぞく)で行われました。

現在の鶴岡八幡宮で奉仕される流鏑馬は小笠原流ですが、小笠原流も頼朝によって始められた「武士の流鏑馬」の系譜を引いています。



西行と源頼朝


鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬


鶴岡八幡宮例大祭

小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮


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2026年8月14日金曜日

三嶋大社の祭礼の日に挙兵した源頼朝!




伊豆の流人だった源頼朝源氏再興の挙兵をした際の最初の相手は、伊豆国の目代(伊豆国における平家の最高責任者)だった山木兼隆ですが・・・

頼朝は山木館襲撃を源氏再興の祈願をしていた三嶋大社の祭礼の日(8月17日)と定めました。

その理由は・・・

「山木館の兵が祭礼に出かけて警備が手薄になるから」

あるいは

「祭礼の雑踏に紛れて進軍することができるため」

などと語られているようですが、本当にそうなのでしょうか?

頼朝の当初の挙兵計画は、8月17日の午前5時頃に挙兵して山木館を急襲するというものでした。

祭礼が始まる前の人々が動き出す前の時刻です。

山木館の兵も出払っていないはずですし、祭礼の雑踏などあり得ない事です。

ただ、挙兵は当初の計画通りにはいかず、午後8時頃の挙兵となりました。

結果的に祭礼の雑踏の中を進軍することになりますが、『吾妻鏡』には「三嶋社の祭礼で大勢の人がいるので、軍勢が通れば怪しまれる」と書かれています。

また、結果的に「山木館の兵も祭礼に出掛けて館が手薄になった」ようですが、当初からそうなると考えていたわけではなさそうです。

では何故、祭礼の日にしたのか?

明確な理由は語れませんが、おそらく、三嶋大社の神の力をお借りするために祭礼の日を選んだのかと。



三嶋大社の祭礼の日に挙兵した源頼朝

三嶋大社


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2026年8月13日木曜日

8月16日は閻魔縁日~閻魔大王の寺 鎌倉圓應寺の送り盆~




8月16日は閻魔縁日(閻魔賽日)。

閻魔大王の年二回の休日のうちの一日。

この日、閻魔大王は、地獄の釜の蓋を開くよう命じ、餓鬼たちを解放します。



閻魔大王の寺・圓應寺では水施餓鬼会が行われ、経木に水をかけて餓鬼たちを供養します。



閻魔縁日


地獄の閻魔・救済の観音・極楽浄土の阿弥陀

圓應寺の閻魔大王

圓應寺


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源頼朝の祈り~観音菩薩縁日の放生~


『吾妻鏡』によると、伊豆国で流人生活を送っていた頃の源頼朝は、毎月18の観音菩薩の縁日に「放生」を行っていたそうです。




「放生」とは、仏教の殺生を禁じる思想に基づくもので、魚や鳥などを山野に放ち、善根(よい報いを招くもととなる行為)を施すこと。




頼朝は幼い頃に京都の清水寺から賜った二寸銀の聖観音像を守り本尊としていました。

1159年(平治元年)に平治の乱平清盛に敗れ、死罪となるところを池禅尼の懇願により命を助けられて伊豆国流罪となった頼朝は・・・

観音菩薩の縁日に捕らえられた生き物を放ち、「かつて自分の命が救われたことへの感謝」と「源氏再興」を祈っていたのかもしれません。

1180年(治承4年)8月17日、頼朝は源氏再興の挙兵を果たしますが、1185年(元暦2年)に壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼすと、治承4年の挙兵の成功を祈願した三嶋大社神池で感謝の意を込めた放生会を行わせています。

その2年後の1187年(文治3年)には、鎌倉武家政権の求心力を高めるための放生会を鶴岡八幡宮で盛大に催しています。

この2つの放生会は、現在の例大祭に引き継がれています。



観音信者だった源頼朝


源頼朝挙兵

三嶋大社の祭礼の日に挙兵した源頼朝

三嶋大社


鶴岡八幡宮の放生会と流鏑馬

鶴岡八幡宮例大祭

鶴岡八幡宮


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2026年8月9日日曜日

鎌倉の8月10日は「くらやみ参りと朝詣り」そして「鳩サブレー」


鎌倉の8月10日は、功徳の日。



覚園寺黒地蔵縁日は午前0時から。

この日に参拝すると無尽蔵の功徳が得られるのだとか。



坂東札所となっている杉本寺安養院長谷寺では四万六千日

この日に参拝すると46000日分の功徳が得られるのだとか。

杉本寺は午前0時開門、安養院は午前5時開門、長谷寺は午前4時開門。




くらやみ参りと朝詣りを終えたら、お土産に鳩サブレー。

8月10日は「鳩の日」



地蔵菩薩と観音菩薩の特別な縁日


黒地蔵縁日

四万六千日

鳩の日


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ぼんぼり祭の最終日は源実朝の誕生日~鶴岡八幡宮の実朝祭~




鶴岡八幡宮ぼんぼり祭の最終日(8月9日)は源実朝の誕生日。

末社の白旗神社では実朝祭が行われ、『金槐和歌集』を編纂するなど文芸・芸術に極めて高い才能を発揮した実朝の遺徳を偲びます。



ぼんぼり祭

実朝祭


源実朝の誕生

金槐和歌集

源実朝


鶴岡八幡宮


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四万六千日

黒地蔵縁日

鶴岡八幡宮例大祭


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