別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2026年4月2日木曜日

大佛次郎茶亭 2026春の一般公開~鎌倉~


作家大佛次郎が書斎として使用し、鎌倉文士の交流の場としても使用された大佛次郎茶亭が一般公開されます。




1897年(明治30年)に横浜で生まれた大佛次郎は、1921年(大正10年)から鎌倉に住み、1952年(昭和27年)に茶亭を購入。

茶亭は、書斎として、また文士仲間の交流の場として使用されていました。

現在は、一般社団法人大佛次郎文学保存会の所有となっていますが、毎年、春と秋の2回、一般公開が行われています。


大佛次郎茶亭


2026年春の一般公開は・・・

4月8日(水)
10:00~15:00

公開は庭園のみで建物内部の公開はありません。

雨天でも公開されます。

庭園の芝生を傷めない履物で。



旧大佛次郎茶亭



施設公開


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉の桜

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2026年4月1日水曜日

小田原おでんサミット2026~桜満開かも。食べて!遊んで!お花見!~




4月4日(土)・5日(日)は、小田原城址公園で「小田原おでんサミット」が開催されます。

全国のふるさとおでんが大集合!




桜は3月31日現在で七分咲き。

満開の桜の下で美味しいおでんが食べられるかも。



小田原おでんサミット


全国ふるさとおでん出店案内



小田原城址公園の桜

小田原城


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉の桜


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土肥焼亡の舞~源頼朝旗挙げ武者行列 4月5日湯河原町~


1180年(治承4年)、以仁王が全国の源氏に平家打倒の令旨を発します。

伊豆の流人だった源頼朝は、8月17日に挙兵。

8月20日には相模国へと進軍しますが、8月24日、石橋山で大敗。

山中を彷徨い、一時、箱根権現に身を潜めますが、土肥実平の案内で土肥郷へ下り、8月28日、真鶴から安房国へと船出します。

その途中の山上から実平が見たのは、敵将伊東祐親が放った火によって、実平の本拠土肥郷が燃える光景でした。

我が家が燃えるのを見た実平は、頼朝の前で即興の謡で舞います。

「八幡大菩薩の光を受けて、平家を滅ぼし天下と四方の海を照らせば、我らの子孫も反映する。

我家は何度でも焼けばよい。

頼朝が天下を取れば、土井の杉山の木で造り替えることができる・・・」

実平は源氏の勝利を信じ、子孫の繁栄を願って舞ったのだいいます。



湯河原町で毎年4月に開催されている「源頼朝旗挙げ武者行列」では、五所神社・桜木公園・城願寺で実平の「焼亡の舞」が再現されます。

2026年は4月5日(日)。


土肥祭


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頼朝が安房へ向けて船出した浜は、真鶴町の岩海岸といわれています。

岩海岸に通じる道は謡坂(うたいざか)。

実平は、この坂で頼朝の無事と再起を願って謡い踊ったのだと伝えられています。

真鶴町では3月22日に「源頼朝旗挙祭」が開催されました。


源頼朝旗挙祭


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湯河原・真鶴の源頼朝伝説

歴史めぐり源頼朝


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2026年3月31日火曜日

義経まつり2026~鎌倉満福寺で義経慰霊の祭 4月18日~


源義経が兄の源頼朝に宛てて綴った「腰越状」で知られる満福寺「義経まつり」が開催されます。





1185年(元暦2年)、壇ノ浦で平家を滅ぼした義経は、平家の総大将平宗盛を護送し、鎌倉に凱旋しようとしますが、兄の頼朝は鎌倉に入ることを許しませんでした。

理由は、義経が頼朝に無断で朝廷から左衛門少尉の任官と検非違使の宣旨を受けてしまったから(義経の無断任官)。

満福寺に留まることを余儀なくされた義経が弁明のために書いたのが「腰越状」です。


源義経の腰越状


しかし、頼朝が義経を許すことはなく・・・

義経は京に戻りますが、兄弟の対立は決定的に。

都を落ちた義経は、九州へ向かいますが摂津国大物浦で難破。

吉野山へ逃れ、行動を共にしていた静御前と別れます。

その後、奥州平泉へ。

しかし、頼りとしていた藤原秀衡が亡くなると、その子泰衡に攻められ衣川館で自刃。


「義経まつり」は、不遇の死を遂げた源義経の偉業を偲ぶもの。



義経まつり


満福寺


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吉野山

静の舞
義経を慕う静御前の舞

源義経最期の地


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2026年3月30日月曜日

源氏の「白旗桜」~鎌倉の桜 オオシマザクラ~


源氏山公園の桜


オオシマザクラは、ヤマザクラとともに鎌倉市の木に制定されている桜。

おしべの1本が白い旗のように細長くなった花が咲くことから、「源氏の白旗」に例えられて「旗桜」・「白旗桜」とも呼ばれます。

「旗立山」とも呼ばれる源氏山には多くのオオシマザクラが植えられています。


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源実朝はこう詠みました。

「風さわぐ をちの外山に 雲晴れて 桜にくもる 春の夜の月」

(山に風が吹き、雲を晴らし、桜に曇って、月が浮かぶ)

鶴岡八幡宮には八重桜の「実朝桜」が植えられていますが、八重桜はオオシマザクラとヤマザクラなどの種間雑種。


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オオシマザクラ

ヤマザクラ


源氏山の桜~源氏山公園・葛原岡神社~


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2026年3月29日日曜日

鵐窟縁起の碑~真鶴 鵐窟:源頼朝伝説の石碑~


『吾妻鏡』によると、1180年(治承4年)、伊豆国で源氏再興の挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いに敗れ、真鶴から安房へと船出しています。


船出した浜は岩海岸、船出まで潜伏していた洞穴が鵐窟(しとどのいわや)と伝えられています。

頼朝が鵐窟に滞在している間、食料を提供した者は「五味」、警護にあたった者は「御守」、樹木で洞穴を覆い隠した者は「青木」の名字を賜ったのだとか。

以来、「真鶴の三名家」と言い伝えられてきました。




「真鶴の三名家」の一つ五味家の演貞は、1645年(正保2年)、僧・蔭山に依頼して『鵐窟縁起』を作成。

頼朝の伝説を後世に伝えるため、その紀文と頼朝の絵像を鵐窟の岩石に刻みました。

それが「鵐窟縁起の碑」で、現在は真鶴町民センター入口に置かれています。

『鵐窟縁起』には、石橋山の戦いに敗れた頼朝が村人の助けを得て、安房へと渡り、その後鎌倉に幕府を開き古今天下泰平の世を築いたことが記されています。


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鵐窟

鵐窟は、かつては海に面した巌窟で、船でなければ辿り着くことができなかったそうです。

伝説によると、頼朝を探す大庭軍が巌窟に踏み込もうとしますが、鵐(しとど)という鳥が群れを成して飛び立っていったため、「人はいない」と判断して立ち去っていったのだとか。

鵐は架空の鳥。




頼朝が船出した岩海岸には、「源頼朝開帆處(かいはんしょ)の碑」が建てられています。




岩海岸では、2025年から「源頼朝旗挙祭」が開催され、巨大鍋で料理された「頼朝旗挙げ鍋」が振舞われます。

2026年は3月22日に開催されました。




源頼朝船出の浜 真鶴町


源頼朝旗挙祭


土肥祭


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