別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
2026年8月4日火曜日
六道まいりと千日詣り~お精霊さんと一緒に千日の功徳 京都のお盆~
古くから京都では・・・
多くの人々が六道珍皇寺でお精霊さんを迎えた後(六道まいり)、清水寺の千日詣りに参って観音さまのご利益を祈る習わしを大切にしてきたのだとか。
一方で、お精霊さんをお迎えした後は寄り道をせず、まっすぐ家に帰るのが鉄則とも言われます。
これは、六道珍皇寺の迎え鐘で呼び寄せたご先祖さまは、高野槇の葉に宿るのだとされているためで、ご先祖さまを家にお迎えする前に寄り道をしてしまうと、ご先祖さまがここが到着地と勘違いして降りてしまう可能性があるから(迷子になってしまうため。)。
ただ、ご先祖さまへの孝行ととともに、現世を生きる自分への功徳(褒美)を得ることも重要なこと。
清水寺の千日詣りの参拝は、寄り道ではなく、観音さまにご先祖さまを無事お迎えできた報告をして、一緒に千日分の功徳をいただくための行程。
ただし、千日詣りをした後の寄り道はいけません。
2026年8月3日月曜日
覚園寺の黒地蔵は由比ヶ浜にあった?~8月10日は黒地蔵縁日~
仏教説話集の『沙石集』には、由比ヶ浜の辺りに人々から信仰されていた火焼地蔵(ひやけじぞう/ひたきじぞう)と呼ばれる地蔵尊があったことが書かれているようです。
しかし、持主が貧しさのあまり手放すこととなったため、東大寺の願行上人が買い取り、二階堂へ移されたのだとか。
その地蔵尊は丈六(約4.8メートル)。
その後、二階堂の地に覚園寺が建立されて安置されたそうですが・・・
この火焼地蔵は、黒地蔵のことなのでしょうか?
現在の黒地蔵は、鎌倉時代の作とされていますので『沙石集』が書かれた時代と合いますが、大きさがかなり違います(現在の黒地蔵は約170センチメートル)。
東大寺の願行と言うのも気になりますが、泉涌寺と勘違いしたのかもしれません。
由比ヶ浜にあった火焼地蔵が黒地蔵のことだとすると・・・
当時、覚園寺には大小二体の黒地蔵があったことになります。
それとも『沙石集』を著者が霊験の偉大さを強調するために大きなサイズに書いてしまったのか?
いずれにしても、覚園寺の黒地蔵は並々ならぬ霊験を持つ尊像として信仰され続けてきたようです。
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鎌倉の夏
鎌倉安養院の千手観音の伝説~北条政子祈願の良縁観音~
安養院の千手観音には、北条政子が祈願したという言い伝えがあります。
まだ、源頼朝が伊豆の流人だった頃のお話です。
政子は、千手観音に祈願して流人頼朝と結ばれることができたのだとか。
そのため、安養院の千手観音は「良縁観音」と呼ばれています。
安養院は頼朝亡き後に政子が供養のために建てた長楽寺を前身としている寺。
時代が合わないという疑問を持つ方もいらっしゃるかもしれませんが・・・
政子が祈願したのが千手観音の胎内に納められている千手観音だったとすれば辻褄が合います。
何故なら、胎内の千手観音は伊豆の豪族田代信綱の持仏だったものだから。
千手観音イメージ図
田代信綱の千手観音は、伊豆の叢林寺に祀られていましたが、頼朝によって鎌倉に武家の都が築かれると、信綱は鎌倉に田代寺を建てて千手観音を移したのだと伝えられています。
江戸時代に田代寺が焼失したため、安養院の千手観音の胎内に納められたのだとか。
8月10日は四万六千日。
観音菩薩の特別な縁日です。
坂東札所三番の安養院は
午前5時開門
午前9時まで自由拝観。
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鎌倉の夏
2026年8月2日日曜日
午年特別開帳~坂東札所一番 鎌倉杉本寺の十一面観音~
清水寺の千日詣り~京都の観音菩薩の大功徳日~
2026年8月1日土曜日
鎌倉長谷寺の四万六千日~本尊御身影と特別御朱印~
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