1180年(治承4年)12月28日、南都(奈良の都)は平重衡に火を放たれ、東大寺・興福寺が焼き尽くされました(南都焼討)。
東大寺の復興は後白河法皇の支援の下で俊乗坊重源が奔走し、興福寺の復興は九条兼実の異母弟・信円が中心となって進められました。
そして、失われた仏像の復興事業で活躍したのが慶派の仏師。
慶派は、康慶からはじまる奈良仏師の傍流ですが、東大寺・興福寺の復興事業で造仏界の中心に躍り出ます。
康慶は、1178年(治承2年)に後白河法皇の蓮華王院(三十三間堂)の五重塔の造仏を任され、僧綱位の法眼を得た仏師。
僧綱位とは、仏師が与えられた位階で、下から法橋・法眼・法印。
当時、奈良仏師で僧綱位を得ていたのは康慶だけだったのだといいます。
康慶の子が南都の復興事業の中で仏像界に新風を吹き込んだ運慶。
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興福寺は藤原氏の氏寺。
南円堂の本尊・不空羂索観音菩像は藤原氏の守護本尊として信仰されました。
南都焼討後の復興造仏を任されたのが運慶の父康慶。
1189年(文治5年)、康慶は一門を率いて不空羂索観音菩薩像・法相六祖坐像・四天王立像を造立しています。
東大寺の復興は、まず大仏の鋳造から始められ、1185年(元暦2年)に大仏の開眼供養が行われました。
その後、大仏殿の再建が始まり、1195年(建久6年)に落慶。
翌1196年(建久7年)には、康慶をはじめとする慶派一門による二菩薩像と四天王像が造立されています。
これらの仏像の造立を支援したのが源頼朝でした。
運慶は虚空蔵菩薩と増長天の大仏師を務め、その功績により法眼の地位を得ています。
残念ながら、慶派一門による二菩薩と四天王は、1567年(永禄10年)の松永久秀の兵火で失われてしまいました。
東大寺南大門の金剛力士像は、1203年(建仁3年)に運慶が一門を率いて造立した東大寺再興の象徴。
運慶は金剛力士像の造立の功績により、僧綱位の最高位である法印となっています。
興福寺の北円堂は、興福寺の開基藤原不比等の一周忌に創建されました。
南都焼討後の復興造仏を任されたのが運慶。
本尊の弥勒如来坐像、肖像彫刻として日本彫刻史上屈指の名作といわれる無著・世親菩薩立像は、1212年(建暦2年)に運慶が一門を率いて造立したもの。
もとは北円堂に安置されていたという中金堂の四天王立像も運慶作ではないかと考えられています。
9月9日(火)から東京国立博物館で特別展「運慶 祈りの空間―興福寺北円堂」が開催され、鎌倉復興期の北円堂が再現されます。
【会期】
2025年9月9日~11月30日。
【開館時間】
9時30分~17時00分
【観覧料】
一般 1,700円(前売 1,500円)
大学生 900円(前売 700円)
高校生 600円(前売 400円)
前売りチケットの販売は9月8日まで。
【休館日】
9月29日(月)、10月6日(月)、14日(火)、20日(月)、27日(月)、 11月4日(火)、10日(月)、17日(月)、25日(火)
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