別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2026年8月28日金曜日

桟敷の尼の伝説と源頼朝と日蓮





1187年(文治3年)8月15日、源頼朝鶴岡八幡宮放生会を催します。

その際、由比ヶ浜では千羽鶴の放生が行われたという言い伝えがありますが・・・

その千羽鶴の放生会を頼朝が観覧するための桟敷(展望台)があった場所が、現在の常栄寺の裏山だったのだと伝えられています。

この文治3年に誕生したのが、後に頼朝の桟敷を管理するようになる桟敷の尼なのだとか。


後世の創作である可能性が極めて高い伝承ですが、この伝承には1271年(文永8年)の日蓮龍ノ口法難が関係しています。

頼朝の千羽鶴の放生会は、江戸時代後期になると浮世絵に描かれるようになります。

その頃に生まれたのが龍ノ口刑場へ護送される途中の日蓮に、信者の桟敷の尼が胡麻の餅を捧げ、日蓮が奇跡的に処刑を免れたというドラマチックな物語。

この話が各地で語り継がれるようになり、最終的には鎌倉時代の偉人・源頼朝が催した鶴岡八幡宮放生会と結び付けられて語られるようになったのかもしれません。

桟敷の尼は、日蓮の本物の手紙の中にも書かれている人物なので、鎌倉に実在したことは確かなようですが・・・

桟敷の尼の伝承が伝説の域を出ないとすると、「桟敷」とは何なのか?

日蓮は、信者を呼ぶときは本名ではなく、住んでいる地名を冠していたようなので、桟敷とは、頼朝の展望台のことを言っているのではなく地名のことのようです。

では「桟敷の尼」とは誰のことか?

一つは、日蓮の直弟子六老僧の一人で、材木座の実相寺を開いた日昭の母親とする説。

もう一つは、日昭の兄・印東祐信の妻とする説。

常栄寺では後者をとっているようですが、どちらの説にしても・・・

龍ノ口法難後の日蓮を支え続けてきた熱心な信者。

頼朝が伊豆に流された際に、その生活を支え続けてきた比企の尼をはじめとする乳母のような存在だったのかもしれません。

日蓮が鎌倉で説いた法華経は、人間だけでなく動物なども含めたすべての命が仏になれることを説いたもの。

頼朝が催した鶴岡八幡宮放生会は、捕らえられた魚や鳥などの生きものを野外や海に放ち、殺生を戒めて命を救う法会で、法華経の思想が強く影響されている儀式です。

法華教信者であり観音信者だった頼朝は、伊豆の流人時代には毎月18日の観音菩薩の縁日に放生を欠かさなかったのだといいます。

鎌倉は、その法華教信者だった頼朝が創った武家の都、日蓮はそこで法華経こそ真の教えと説きました。

「頼朝が千羽鶴の放生会を観覧するために作った桟敷に、後に桟敷の尼という法華教信者が住み着き、日蓮のために胡麻の餅を捧げた」という桟敷の尼の伝説は、頼朝と日蓮の法華経の因縁から生まれたものだったのかもしれません。

参考までに、常栄寺の伝承では、桟敷の尼は比企の尼の養子となった比企能員の妻の妹とされています。



源頼朝の千羽鶴の放生会と桟敷の尼

ご難ぼたもちの伝説


常栄寺


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


龍口法難会 常栄寺

龍口法難会 龍口寺


よりともジャパン.com


2026年8月27日木曜日

伊勢原観光 道灌まつり~2026年10月3日・4日~




「道灌まつり」は伊勢原市の観光イベント。

伊勢原市で生涯を閉じた戦国武将・太田道灌にちなんで付けられた名称です。

祭のハイライトは「太田道灌公鷹狩り行列」と「北条政子日向薬師参詣行列」。

毎年、有名人が太田道灌と北条政子に扮して行われています。




「太田道灌公鷹狩り行列」、「北条政子日向薬師参詣行列」は・・・

10月4日(日)。

道灌と政子に扮する有名人は、9月1日発表の予定。



道灌まつり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


日向薬師

大山寺


日本遺産:大山詣


歴史めぐり源頼朝


よりともジャパン.com





2026年8月26日水曜日

武士の流鏑馬~西行が源頼朝に語った弓馬術~


鶴岡八幡宮の流鏑馬神事は、1186年(文治2年)、西行から弓馬の故実や秘訣を聞いた源頼朝が、翌年の放生会で奉納したことに始まるのだと伝えられています。

頼朝が西行から聞いた弓矢術とは?

頼朝が鶴岡八幡宮で流鏑馬を始めてから半世紀が経った『吾妻鏡』(1237年(嘉禎3年)7月19日条)には、三代執権北条泰時が弓馬の名人である海野幸氏に孫の時頼の流鏑馬の指導を求めた時の事が記録されています。

この時、幸氏は頼朝の時代を回想して語りますが、その内容は・・・

当時は、弓に矢を番える(つがえる)際に「弓を一文字に持つ(地面と水平に持つ)」ことが作法だったようですが、西行は「一文字(真横)に寝かせてしまうと、矢を番えた後に『弓を垂直に立ち上げて、引き絞る』という次の動作へ移るのが遅れてしまうので、弓の上部を斜め上に向けた状態で矢を番えるべき」と説いたのだとか。

この教えには、それまで弓を一文字に持っていた下河辺行平・工藤景光・和田義盛望月重隆・藤沢清親・諏訪盛澄愛甲季隆などの弓の名手も「確かにその方が圧倒的に速く射れる!」と納得したのだと伝えられています。


弓の上部を斜め上に向けた状態
(イメージ図)


流鏑馬で使用する弓は2メートル以上。

そのため、鎌倉武士たちは、風の影響を受けないように、あるいは、馬の首にあたらないようにするなどの理由から、地面と水平に弓を構えて矢を番えていたのだそうです。

西行が頼朝に語った弓馬術は、西行の先祖藤原秀郷が大成させた実戦的な武家兵法。

西行は「弓を一文字に持つ」ことの不適切さとともに、「臨戦態勢」としての緊張感や美しさに欠けるとも説いています。

弓馬の作法は、「心構え」や「威厳」を神仏や主君に示すものであるので、弓を水平に寝かせている状態では、「すぐにすぐに射るようには見えず、礼儀に外れたものだ」と指摘したようです。




鶴岡八幡宮例大祭で奉納される小笠原流流鏑馬は、小笠原長清を祖とする小笠原家に伝えられた武家礼法。

西行が頼朝に語った「無駄のない動きと美しさ」が組み込まれた弓馬術です。



小笠原流流鏑馬

西行と源頼朝


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鶴岡八幡宮例大祭


浜降式 鶴岡八幡宮例大祭

鶴岡八幡宮の神幸祭


小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮


よりともジャパン.com


2026年8月25日火曜日

由比ヶ浜の浜降式~鶴岡八幡宮例大祭~




浜降式は、例大祭前日の9月14日の早朝、「神職が由比ヶ浜に出向いて海で身を清め、採取した海藻を神域へ持ち帰って、祭礼の場を清める」という儀式。

鶴岡八幡宮例大祭は、1187年(文治3年)に源頼朝が始めた放生会を起源としているとされていますが・・・

この浜降式のような儀式がいつ頃から行われていたものかは不明です。

ただ、鎌倉権五郎景政が開拓し、伊瀬神宮に寄進した大庭御厨との関係があるのかもしれません。

長谷の甘縄神明神社は「伊勢別宮」と呼ばれた社です。

伊勢では、古くから「禊浜」とされる二見浦で潮水を浴びて、心身を清めてから神宮へ向かう「浜参宮」という慣習があったようです。

鶴岡八幡宮浜降式とは微妙に意味合いが違いますが、海を「神域の外側にある清めの場」としているところは同じです。

もしかすると、伊勢の祭祀文化が鶴岡八幡宮の祭祀体系の中で変化したのかも。



浜降式 鶴岡八幡宮例大祭


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鶴岡八幡宮例大祭


浜降式 鶴岡八幡宮例大祭

鶴岡八幡宮の神幸祭


小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮


よりともジャパン.com


2026年8月24日月曜日

流鏑馬の的立て役と熊谷直実~鶴岡八幡宮の流鏑馬~




『吾妻鏡』によると、流鏑馬の的立て役は射手以上の重要な役目。

後白河法皇が御幸した新日吉社の流鏑馬では、京都の由緒正しい公家や大寺社に仕える誇り高きエリートたちが的立て役を務めたのだとか。

1187年(文治3年)、鶴岡八幡宮で催す放生会で流鏑馬を奉納することにした源頼朝は、的立て役に熊谷直実を指名しますが・・・

弓の名手だった直実は、馬に乗って矢を射る華やかな役目ではなく、徒歩で的を支える地味な役目に納得できず、頼朝からの直接の命令を拒否してしまいます。

その結果、所領の一部を没収されたのだと伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


熊谷直実は武蔵国熊谷郷の武将。

1184年(寿永3年)の一ノ谷の戦いでは源義経の奇襲部隊に属して平敦盛を討ち取る活躍をします。

後に出家してしまいますが、その理由は我が子ほどの年齢の敦盛を討った無常感ともいわれます。

実際は・・・

1192年(建久3年)に頼朝の前で行われた境界争いの裁判で激怒して、髻を切り逐電してしまったのだとか。



小笠原流流鏑馬

的立て役を拒否した熊谷直実


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鶴岡八幡宮例大祭


浜降式 鶴岡八幡宮例大祭

鶴岡八幡宮の神幸祭


小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮


よりともジャパン.com


2026年8月23日日曜日

御霊神社例大祭と鶴岡八幡宮例大祭




御霊神社例大祭は9月18日。

『新編相模国風土記稿』によると、江戸時代から9月18日に行われてきたようです。

ただ、江戸時代の9月18日は旧暦。

現在の例大祭は新暦の9月18日。

「9月18日」という日付をそのまま新暦に移しただけなのかもしれませんが・・・

もしかすると、こんな説が成り立つのかもしれません。

例大祭で行われる「面掛行列」は、鶴岡八幡宮放生会の祭礼行列に組み込まれていた面行列に倣って始まられたものとされています。

明治の神仏分離により鶴岡八幡宮の面行列が廃絶してしまったことから、鶴岡八幡宮の例大祭に近い日にするため9月18日にしたのかも。

この説の問題点は「御霊神社の例大祭が行われる日は祭神の鎌倉権五郎景政の命日」とされていること。

ただ、景政の没年月日は不詳です。

9月18日という祭祀日が先にあって、そこに景政の命日の伝承が結びついた可能性を考えると、鶴岡八幡宮との関係が出てきそうです。



御霊神社例大祭


鎌倉神楽~御霊神社~

御霊神社神幸祭

御霊神社の面掛行列


御霊神社


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鶴岡八幡宮例大祭


浜降式 鶴岡八幡宮例大祭

鶴岡八幡宮の神幸祭

小笠原流流鏑馬


鶴岡八幡宮


よりともジャパン.com