『吾妻鏡』によると、1180年(治承4年)、伊豆国で源氏再興の挙兵をした源頼朝は、石橋山の戦いに敗れ、真鶴から安房へと船出しています。
船出した浜は岩海岸、船出まで潜伏していた洞穴が鵐窟(しとどのいわや)と伝えられています。
頼朝が鵐窟に滞在している間、食料を提供した者は「五味」、警護にあたった者は「御守」、樹木で洞穴を覆い隠した者は「青木」の名字を賜ったのだとか。
以来、「真鶴の三名家」と言い伝えられてきました。
「真鶴の三名家」の一つ五味家の演貞は、1645年(正保2年)、僧・蔭山に依頼して『鵐窟縁起』を作成。
頼朝の伝説を後世に伝えるため、その紀文と頼朝の絵像を鵐窟の岩石に刻みました。
それが「鵐窟縁起の碑」で、現在は真鶴町民センター入口に置かれています。
『鵐窟縁起』には、石橋山の戦いに敗れた頼朝が村人の助けを得て、安房へと渡り、その後鎌倉に幕府を開き古今天下泰平の世を築いたことが記されています。
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鵐窟は、かつては海に面した巌窟で、船でなければ辿り着くことができなかったそうです。
伝説によると、頼朝を探す大庭軍が巌窟に踏み込もうとしますが、鵐(しとど)という鳥が群れを成して飛び立っていったため、「人はいない」と判断して立ち去っていったのだとか。
鵐は架空の鳥。
頼朝が船出した岩海岸には、「源頼朝開帆處(かいはんしょ)の碑」が建てられています。
岩海岸では、2025年から「源頼朝旗挙祭」が開催され、巨大鍋で料理された「頼朝旗挙げ鍋」が振舞われます。
2026年は3月22日に開催されました。














