源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
okadoのブログは、
『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。
2026年9月8日火曜日
韮山城早雲まつり2026~伊豆の国市~
韮山城
は
北条早雲
が居城とした平山城。
昨年、韮山城跡が国指定史跡となったことを記念して
「韮山城早雲まつり」
が開催されます。
2026年9月27日(日)
10:00~15:00
甲冑行列、国清汁の振舞い、シイタケの原木プレゼントなどのイベントが盛りだくさん。
甲冑行列には、埼玉県寄居町の「寄居北條まつり」で活躍する甲冑隊が参加。
国清汁は、伊豆の国市の古刹
国清寺
に伝わる精進料理。
伊豆は、原木しいたけ栽培の発祥の地とも。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
北条早雲の城
韮山は源頼朝ゆかりの地
2026年9月7日月曜日
北条政子の日向薬師参詣~道灌まつりでは参詣行列が。~
日向薬師
は、1192年(建久3年)8月9日、
源頼朝
が
北条政子
の安産祈願のため、馬を寄附して読経をあげさせた寺社の一つ。
この日に誕生したのが、三代将軍となった
源実朝
。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
『吾妻鏡』には、1210年(承元4年)6月8日と1211年(建暦元年)7月8日の二度、
北条政子
が
日向薬師
を参詣したことが記録されています。
この頃、
源実朝
は、1208年(承元2年)に患った疱瘡の後遺症(痘痕(あばた))による精神的ショックから、
鶴岡八幡宮
参拝をはじめとする公式行事に姿を現さない状況が続いてしました。
『吾妻鏡』には、政子が日向薬師を参詣した理由が記されていませんが、二度目の参詣時には実朝の妻
坊門姫
も同行していることから、実朝の病気平癒祈願ではなかったのかと。
参考までに、政子は二度目の参詣後、
鶴岡八幡宮
に
薬師如来
を安置しています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
秋の
日向薬師
の麓は
彼岸花
の里。
政子
が日向薬師参詣のために歩いた
日陰道
にも彼岸花が咲きます。
10月の
道灌まつり
では、「太田道灌公鷹狩り行列」と「北条政子日向薬師参詣行列」が。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年9月6日日曜日
福面まんじゅう~御霊神社の面掛行列の面を模した菓子~
「福面まんじゅう」
は、
御霊神社
の
「面掛行列」
で使われる面をかたどったもので、御霊神社入口にある
力餅家
で作られている菓子です。
面掛行列
の中心人物「阿亀」や
鎌倉江の島七福神
の一つ「福禄寿」などが人気のようですが、自分で好きな面を指定して選ぶことは基本的にできません。
どの顔が当たるかはその時々の楽しみ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
重籐弓で射落とした扇の的~那須与一の伝説 屋島の戦い~
1185年(元暦2年)、讃岐国の屋島。
『平家物語』によると、
屋島の戦い
の夕暮れ時、
源義経
の軍勢が引き上げようとするところに、沖の方から平家の美しい女房を乗せた小舟が一艘が現れ・・・
竿の先につけた紅色に日輪が描かれた扇を掲げ、「これを射落としてみよ」と挑発してきました。
義経は弓の名手・那須与一を呼び寄せて扇の的を射落とすよう命じます。
海に馬を乗り入れた与一は、約80メートル先の扇を見事に射抜き、扇を空へと舞い上がらせたのだとか。
このとき与一が所持していたのが重籐の弓。
重籐弓は大将や弓の名手にしか所持できない特別な弓。
鶴岡八幡宮
の
例大祭
で奉仕される
小笠原流流鏑馬
でも許しを得た者だけが使用できる最高格の弓です。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2026年9月5日土曜日
蓑を借りるつもりが少女に山吹を差し出された太田道灌~道灌まつり~
太田道灌は、扇谷上杉家の家宰を務めた戦国武将。
ある日、鷹狩り中に急な雨に遭った道灌。
蓑を借りようと、一軒の農家に立ち寄りますが・・・
中から出てきた少女が差し出したのは山吹でした。
腹を立た帰った道灌でしたが、後から
七重八重
花は咲さけども
山吹の
実のひとつだに
なきぞ悲かなしき
という古歌を引用して「実の」と「蓑」をかけて、「蓑もない有様でごめんなさい」という意味であることを知ったのだとか。
以降、道灌は和歌の勉強に励んだのだと伝えられています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
法性寺~日蓮・日朗ゆかりのお猿畠~
逗子の
法性寺
は、日蓮と日朗よかりの「お猿畠」に建てられた寺。
奥の院にある
岩窟
は、1260年(文応元年)の
松葉ヶ谷法難
で白猿に導かれた
日蓮
が避難したという場所。
日蓮を救った白猿は、かつて日蓮が修行した
比叡山
の山王権現(現在の
日吉大社
)の使いだったのだとか。
日蓮の岩窟の上には
山王大権現
が祀られています。
1320年(元応2年)に亡くなった日蓮の弟子日朗は、
安国論寺
で荼毘に付され、お猿畠に葬られました。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
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