源頼朝が創った武家政権の都「鎌倉」の歴史を中心に、関係地の伝説・文化や自然・寺社の花などの情報をお伝えします。
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別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』
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2026年4月24日金曜日
江ノ電ハッピーターン。新発売!
2026年4月24日(金)、「江ノ電ハッピーターン」が新発売!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
限定パッケージ
円柱形の箱には江ノ電が走る海沿いの風景が描かれています。
車両風の個包装
1枚ずつの個包装は江ノ電の車両をイメージ。
窓からターン王子が手を振っている。
【販売場所】
「江ノ電グッズショップ」
(藤沢駅・江ノ島駅・鎌倉駅)
【販売価格】
1,080円(税込)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2025年7月27日日曜日
常花~常住不変を表す蓮~
常花(じょうか・蓮)は、変化しないで常に存在する「永遠に咲き続ける花」。
枯れてしまった蓮は過去。
咲いている蓮は現在。
蕾は未来を表しています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
夏休み鎌倉計画!
夏休み江の島計画!
2024年12月31日火曜日
明和の大火~目黒大円寺が火元となった江戸三大大火~
1772年(明和9年)2月29日午後、江戸三大大火の一つといわれる
明和の大火
が発生。
火事は、かつて行人坂の
大円寺
で修行していた真秀という坊主が、火事場泥棒を働くため、大円寺の庫裏に放火したことが原因でした。
行人坂から出火したので目黒行人坂大火とも呼ばれています。
西南の風に煽られた火は3日間にわたって燃え広がり、死者は14700人を超え、行方不明者も4000人を超えたと伝えられています。
大円寺
大円寺
から出た火は、白金から神田、湯島、下谷、浅草までを焼き尽くす大火となりました。
大円寺
に放火した真秀は、火付盗賊改の長谷川宣雄の配下によって捕縛され、6月21日に火あぶりの刑となりますが、大円寺も火元の責任を問われ76年間も再建を許されませんでした。
大円寺石仏群
大円寺
にある石仏群は、
明和の大火
の犠牲者追悼のために作られたものといわれています。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
京都は七福神発祥の地
2023年4月15日土曜日
三々九手挟式~伊豆山神社例大祭~
「三々九手挟式古来」(さんざんくたばさみしき)は、古来、正月4日の「弓始め」のときに行われていた儀式。
源頼朝
が信仰した
伊豆山神社
の
例大祭
で奉納されています。
※2023年の例大祭は神事のみ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
烏帽子・直垂(女性は水子)姿の射手が前弓・後弓の2組に分かれ、1人2本ずつの矢を順番に射ます。
最後に各組の大将が射て合計点数を競い合います。
蟇目の儀
矢を射放つと風を切る音を発します。
そのため、魔障を退散させる儀式として伝えられています。
的
的の一辺の長さは・・・
前弓の的は一辺八寸(24㎝)
後弓の的は一辺九寸(27㎝)
的は杉又は桧の板的を用いられます。
前弓の板的の裏には十文字の切れ目が入り、後弓の板的の裏には三寸毎の井桁(いげた)の切れ目が入っています。
この板的を串に挟んで立てて射抜くことから、井桁の数より「三々九の挟物」といわれています。
的までの距離は通常20メートル。
前弓
(先に射る者)
後弓
(後に射る者)
大将
的中した回数で勝負が決まります。
(大将の的中は2本と数えられます。)
結果が発表され儀式は終わります。
伊豆山神社
伊豆山神社例大祭
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2022年12月14日水曜日
北条泰時出陣~承久の乱~
1221年(承久3年)5月15日、幕府打倒の挙兵をした
後鳥羽上皇
は、
北条義時
追討の
宣旨
を発します。
これに対し、幕府では、
北条政子
が「故右大将(
源頼朝
)の恩は山よりも高く、海よりも深い・・・」と説いて御家人の結束を固めます。
御家人らが参集した会議では、足柄峠と箱根山に関を設けて朝廷軍を迎え撃つという作戦も出されますが、
大江広元
が上洛すべきと主張。
さらに、
北条政子
は「すみやかに上洛せよ」と命じます。
そして・・・
1221年(承久3年)5月22日早朝、
北条泰時
が18騎で出陣。
何故、たった18騎だったのか?
それは、その前日に、こんなやりとりがあったからのようです。
「上洛することを決定してから、日が経ち過ぎたので、いろんな異議が出てくる頃です。
皆の気が変わる前に、総大将の泰時さまが一人でも出陣すれば、関東の御家人は悉く、雲が龍に従うが如く従ってくるでしょう」
と
大江広元
が主張したから。
このことを
政子
が
三善康信
に問うと、
「まず、京へ向けて出陣するべき」
と答えたのだといいます。
それを受けた
義時
は、直ちに
泰時
に出陣するよう命じています。
この夜、泰時は
稲瀬川
の藤沢清親の屋敷に泊まったのだとか。
泰時
の出陣によって、関東の御家人は悉く京へ向けて出発。
その数は19万騎に達したそうです。
『吾妻鏡』より。
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2022年の大河ドラマ
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