1027年(万寿4年)12月4日、摂関政治の最盛期を築いた藤原道長が死去。
同日、道長を支えてきた藤原行成も死去。
政権が不安定となる中、安房国で反乱を起こしたのが平忠常。
忠常は1028年(長元元年)6月、安房国府を襲撃。
反乱は、下総国・上総国にも広がり、平将門の反乱以来の大規模なものとなりました(平忠常の乱)。
乱を鎮圧したのは、河内源氏の祖・源頼信。
頼信が東国支配の礎を築いたことで、武士が本格的に表舞台に登場することとなります。
(羽曳野市)
河内源氏は河内国の壺井(現在の羽曳野市)を本拠とした清和源氏の一流。
初代・頼信は清和源氏二代目の源満仲の子。
武勇に秀でた頼信は「道長四天王」の一人に数えられていました。
反乱を起こした平忠常は、坂東八平氏の祖・平良文の孫。
母は平将門の娘。
頼信の家人だったともいわれています。
1180年(治承4年)、河内源氏七代目にあたる源頼朝が挙兵しますが、それに従った千葉常胤や上総広常は忠常の子孫。