別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年10月7日月曜日

「武家の都」の歴史が始まった日~源頼朝、鎌倉入り~


『吾妻鏡』によると・・・

1180年(治承4年)10月6日、源頼朝が率いる大軍が相模国へ。

翌日、鎌倉入りを果たした頼朝は、まず先祖の源頼義が建てた鶴岡八幡宮(由比若宮)を遥拝し、父の源義朝の旧跡(館跡)を訪問します。



由比若宮

鶴岡八幡宮(由比若宮)は、1063年(康平6年)に前九年の役を平定した源頼義が創建した社。

出征する際、頼義は源氏の氏神である石清水八幡宮に戦勝を祈願。

その願いがかなえられたことを感謝して鎌倉の由比郷に石清水八幡宮を勧請したのだといわれています。

鎌倉に入った頼朝は、この社を小林郷に遷座し、武家の都の中心に据えました。




壽福寺源義朝の鎌倉之楯の跡に建てられた寺。

義朝はここを拠点に勢力の拡大を図り、鎌倉権五郎景政が開墾した大庭御厨の支配権に介入しています。

鎌倉に入った頼朝は義朝の旧跡に御所を置こうと考えていたようですが、土地が狭く、岡崎義実が建てた亡き父の御堂もあったことから、大倉(大蔵)の地を選んだのだといいます。

大倉(大蔵)には先祖の頼義館があったことも理由の一つのようです。




源頼朝挙兵

源頼朝鎌倉入り


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2024年8月18日日曜日

源頼朝、読経を伊豆山の法音に代行してもらう~源氏再興の挙兵!~


1159年(平治元年)の平治の乱平清盛に敗れた源頼朝は、翌年、伊豆流罪となりました。

日々の読経をおこたらず、父・源義朝や鎌田政長らを弔いながら日々を送っていたそうです。

そして、1180年(治承4年)8月17日、源氏再興の挙兵

目代の山木兼隆を討ったのですが・・・

これから相模国へ進軍しなければなりません。

そうすると続けてきた読経がおろそかになってしまいます。


8月18日、北条政子は、伊豆山権現の尼・法音に読経の代行してもらうことを勧めます。

法音は、政子の経の師でした。

頼朝が目録を法音に提出すると、法音は快諾したのだそうです。



伊豆山神社
(熱海)

伊豆山神社は、伊豆山権現・走湯権現とも呼ばれ、伊豆の流人だった頼朝が源氏再興を祈願した社。

若き日の頼朝政子が忍び逢う場所でもあったといいます。



源義朝の墓
(愛知県美浜町・野間大坊)

頼朝の父義朝は、平治の乱後、尾張国野間で家臣の長田忠致の裏切りあい最期を遂げました。

野間大坊には義朝の墓が建てられています。




伊豆山神社

箱根神社

三嶋大社


源頼朝挙兵

山木館襲撃~源頼朝の挙兵~







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2024年8月17日土曜日

三嶋大社の祭礼の日に挙兵した源頼朝




源頼朝が挙兵の日に選んだのは、源氏再興を祈願していた三嶋大社の祭礼の日でした。


1180年(治承4年)8月17日の晩、頼朝山木館を攻めさせます。

加藤景廉佐々木盛綱は、留守番として頼朝の傍らにいました。

まず、佐々木定綱経高高綱の三人が、山木兼隆の後見役堤権守信遠を討ちます。

このとき、経高の放った鏑矢が、平氏を征伐するための最初の矢でした。

その後、佐々木兄弟は、山木兼隆襲撃の軍に加わります。

頼朝は、「戦が始まったら火をつけるように」と命じていましたが・・・、

その火がなかなか見えないので、留守の加藤景廉佐々木盛綱堀親家らを山木館へ向かわせました。

景廉には、長刀を与え、「兼隆の首を討って持参すべし」と命じています。

そして、盛綱景廉は、兼隆の屋敷内に入り、見事に兼隆を討ち取ります。

兵達が帰ってきたのは、18日の明け方でした。






三嶋大祭りは、三嶋大社の祭礼にあわせて開催される三島市最大のイベント。

期間は8月15日・16日・17日。

中日には「頼朝公旗挙げ行列」が行われています。







源頼朝挙兵


山木館襲撃~源頼朝の挙兵~


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2024年8月16日金曜日

湯河原町で行われる「頼朝 実平 開運出陣祭」





1180年(治承4年)8月17日、伊豆国の流人・源頼朝源氏再興の挙兵

伊豆国の目代・山木兼隆を討ち取り、8月20日、相模国へ進軍

8月23日、石橋山に布陣しますが・・・

平家方の大庭景親伊東祐親らに敗れてしまいます。

土肥山中を彷徨い、一時、箱根権現に身を寄せますが、8月28日、 真鶴から安房へと船出します。

頼朝を手引きしたのが土肥郷(現在の湯河原町、真鶴町)を本拠としていた土肥実平でした。



(湯河原駅前)

石橋山での敗戦後、頼朝のもとに食糧を運んだのは実平の妻だったのだといいます。


(湯河原町)

しとどの窟は、頼朝が隠れ潜んでいたという岩窟。


(真鶴町)

頼朝が船出した真鶴の岩海岸に通じる坂はへと謡坂(うたいざか)。

実平は、頼朝の無事と再起を願って謡い踊ったのだと伝えられています。



(湯河原町)

五所神社は土肥郷の総鎮守。

石橋山に出陣する頼朝が戦勝を祈願したのだと伝えられています。


(湯河原町)

城願寺実平の菩提寺。




城願寺七騎堂には、頼朝が真鶴から安房へ渡る際に従った「頼朝七騎の像」が祀られています。



源頼朝挙兵


山木館襲撃~源頼朝の挙兵~

石橋山の戦い


湯河原・真鶴の源頼朝伝説


土肥祭








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