『吾妻鏡』によると・・・
1180年(治承4年)10月6日、源頼朝が率いる大軍が相模国へ。
翌日、鎌倉入りを果たした頼朝は、まず先祖の源頼義が建てた鶴岡八幡宮(由比若宮)を遥拝し、父の源義朝の旧跡(館跡)を訪問します。
鶴岡八幡宮(由比若宮)は、1063年(康平6年)に前九年の役を平定した源頼義が創建した社。
出征する際、頼義は源氏の氏神である石清水八幡宮に戦勝を祈願。
その願いがかなえられたことを感謝して鎌倉の由比郷に石清水八幡宮を勧請したのだといわれています。
鎌倉に入った頼朝は、この社を小林郷に遷座し、武家の都の中心に据えました。
壽福寺は源義朝の鎌倉之楯の跡に建てられた寺。
義朝はここを拠点に勢力の拡大を図り、鎌倉権五郎景政が開墾した大庭御厨の支配権に介入しています。
鎌倉に入った頼朝は義朝の旧跡に御所を置こうと考えていたようですが、土地が狭く、岡崎義実が建てた亡き父の御堂もあったことから、大倉(大蔵)の地を選んだのだといいます。
大倉(大蔵)には先祖の頼義館があったことも理由の一つのようです。