別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2026年7月24日金曜日

祇園祭の神輿渡御



祇園祭というと山鉾巡行を思い浮かべる方も多いかもしれませんが・・・

祇園祭は、869年(貞観11年)6月14日、当時の日本全国の国の数(66)にちなんだ長さ約6メートルの矛を66本立て、牛頭天王を祀る祇園社(現在の八坂神社)から神泉苑へ神輿を送り、災厄の除去を祈願したことに始まります。



山鉾巡行は「神が通る道を清めるための露払い」。

最も重要な神事は、神輿渡御(神幸祭・還幸祭)。

神幸祭は7月17日。

夕刻、素戔嗚尊の中御座神輿・櫛稲田姫命の東御座神輿・八柱御子神の西御座神輿の三基が八坂神社を出発。

四条御旅所まで渡御します。

還幸祭は7月24日。

御旅所で1週間を過ごした神が八坂神社へと還御します。



祇園祭の神輿渡御

祇園御霊会



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祇園祭

八坂神社


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2026年7月23日木曜日

祇園祭の「武者行列」(弓矢組・武者神役)



祇園祭「武者行列」(弓矢組・武者神役)は、神幸祭の「神輿渡御」を先頭する行列。

1974年(昭和49年)を最後に途絶えていましたが、2025年(令和7年)に復活!

2026年(令和8年)の神幸祭では6名の甲冑武者が巡行しました。



毎年、神幸祭前の7月15日・16日、弓矢町では「武具飾り」が行われ、町会所の弓箭閣や周辺の町屋には武者行列で着用される甲冑などが展示されます。




祇園祭武者行列


弓矢町武具飾り

祇園祭の神輿渡御


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祇園祭

八坂神社


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2026年7月3日金曜日

祇園祭の「はも道中」~八坂神社に淡路島の鱧が奉納される!~


はも道中


京都の八坂神社の祭礼「祇園祭」は、「鱧祭り」とも呼ばれますが・・・

7月6日(月)は、八坂神社に淡路島の「活ハモ」が奉納される「はも道中」




四条通をハモを入れた木桶や淡路人形浄瑠璃の人形、クイーン淡路らが練り歩きます。

その後、八坂神社の本殿でハモを奉納する神事が執り行われ、神事が終わると・・・

ハモの骨切実演や、限定200食の「ハモすき」の振る舞いも。



夏の京都のハモ料理・はも道中


祇園祭


八坂神社


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2026年6月30日火曜日

織田信長が関心をもった竹生島の「青葉の笛」~人間五十年・・・~




琵琶湖に浮かぶ竹生島には、「青葉の笛」と呼ばれる横笛が伝来していました。

源義経所持と伝えられるもので、現在は彦根城博物館(滋賀県彦根市)に連管 銘義経丸」(れんかん めいよしつねまる)」として所蔵されています。

この笛に関心をもったのが織田信長。

信長といえば、幸若舞の『敦盛』。

『敦盛』は、一ノ谷の戦いで討たれた平家の若武者・平敦盛と、敦盛を討った源氏の武将・熊谷直実の悲劇を題材としたもの。

敦盛が所持していたのも「青葉の笛」でした。

「人間五十年・・・」

信長は竹生島宝厳寺から「青葉の笛」を借り出しているのだとか。



竹生島の青葉の笛



竹生島


宝厳寺

竹生島神社


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安土城

摠見寺


本能寺の変


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2026年6月25日木曜日

仏を超えた織田信長~摠見寺に祀られた盆山~


盆山(イメージ図)


織田信長は、晩年に豪華絢爛な安土城を築き、郭内には摠見寺を建立します。

当時の摠見寺の本堂には、本尊の他、竹生島から勧請された弁財天なども安置されていたと伝えられています。

当時の本尊が何だったのかはわかりませんが・・・

信長が重視したのは本尊ではなく、自身を神格化するための御神体「盆山」(ぼんさん)。

本堂二階に置いて礼拝させていたのだとか。

摠見寺には信長が近江国甲賀郡長寿寺から移築させた三重塔が現在が残されていますが・・・

通常の寺院のように見上げるような目立つ場所ではなく、「盆山」が置かれた本堂より低い位置に建てられています。

このことから、信長は自身が「仏をも超えた存在」であることを誇示しようとしたのではないかという説があるようです。



摠見寺

安土城



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織田信長の竹生島参詣

竹生島の青葉の笛


本能寺の変


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2026年6月14日日曜日

明智光秀は腐った鯉料理を出した?~安土城の宴席~




1582年(天正10年)5月、織田信長は徳川家康を功を労うため、家康を安土城に招いて豪華な宴席を設けました(安土饗応)。

接待役は明智光秀。

光秀が用意した料理の中には、当時の最高食材だった「鯉」を使ったものもありました。


鯉のまなす(イメージ)


光秀が用意した鯉は、天下一のブランド「淀の鯉」(京都の淀川で獲れた鯉)だったようですが、腐っていたため信長が激怒。

信長に蹴られたり殴られたりした光秀は、そのことを恨み本能寺の変を起こしたという説がありますが・・・

このエピソードはのちに語られたもので、実際は何事もなく大成功に終わったのだとか。



安土城


安土饗応

明智光秀が用意した鯉料理


本能寺の変


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2026年6月12日金曜日

祇園御霊会~祇園祭の始まり~




863年(貞観5年)、京都では、深刻な感染症が猛威を振るい、多くの死者が出る事態に。

当時、疫病の流行は政争に敗れて非業の死を遂げた者たちの怨霊や疫神の仕業と恐れられていましたが・・・

朝廷は、5月20日、6名の怨霊を慰めるための御霊会を神泉苑で行ないました。

神泉苑は天皇や貴族しか入ることのできない禁苑でしたが、この日は一般庶民も入ることができたそうです。


しかし、その後も疫病は収まらず全国的に流行します。

人々は牛頭天王(ごずてんのう)の祟りと噂したのだとか。

869年(貞観11年)6月14日、人々は神泉苑に当時の国の数である「66」の矛(ほこ)を立て、祇園社(八坂神社)の神輿3基を送って、牛頭天王(祇園神)を祀る御霊会を執り行いました(祗園御霊会)。

それが「祇園祭」の始まりと伝えられ、970年(安和3年)には官祭として行われるようになったのだそうです。



祇園祭

祇園御霊会



神泉苑

八坂神社


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鎌倉の祇園祭

大町まつり

八雲神社例大祭 極楽寺

八雲神社例大祭 北鎌倉山ノ内の天王祭

江の島天王祭

小動神社天王祭


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