別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2025年10月16日木曜日

運慶の無著・世親~興福寺北円堂~


興福寺北円堂の無著・世親像は運慶の指導の下で制作されたもので、日本の肖像彫刻の最高傑作といわれています。

無著(むじゃく)と世親(せしん)は兄弟。

5世紀の北インド・ガンダーラに実在した人物。




興福寺は法相宗(ほっそうしゅう)の大本山。

法相教学を確立したのが無著と世親。



無著・世親


興福寺北円堂







☆ ☆ ☆ ☆ ☆


運慶

興福寺


運慶 祈りの空間


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2025年10月12日日曜日

観音の里ふるさとまつり~湖北・長浜~




長浜市の北部は、多数の観音像が伝わる「観音の里」として知られています。

10月19日(日)は、第41回観音の里ふるさとまつり。

普段拝観が難しい観音堂も開帳されます。

渡岸寺観音堂(向源寺)境内では門前市も。




長浜は羽柴秀吉の長浜城の城下町として整備され、長浜城が廃城となった後は大通寺の門前町として発展してきた町。

知善院山門(表門)は長浜城の搦手門を移築したもので、大通寺台所門(脇門)は大手門(表門)を移築したもの。

知善院の十一面観音坐像は運慶作とも。


観音の里ふるさとまつりの詳細は
https://kitabiwako.jp/furusato-festival

観音の里の詳細は
https://kitabiwako.jp/kannon/k_spot




長浜の連携都市となっていると東京都台東区の浅草文化観光センターでは、「湖北・長浜に息づく観音文化 第1回パネル展」が開催されています。



大通寺

知善院


長浜城








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賤ヶ岳の戦い

竹生島


大和郡山城


豊臣秀長


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2025年10月3日金曜日

父康慶と子運慶の四天王~興福寺~



南円堂の四天王立像は、運慶の父康慶が1189年(文治5年)に造立したもの。

10月17日は、南円堂特別開扉の日。

南円堂には、本尊の不空羂索観音像を中心に四天王像・法相六祖坐像が安置されています。

いずれも、1180年(治承4年)の平重衡の南都焼討後の再興像で、運慶の父・康慶が一門を率いて制作したもの(全て国宝)。




中金堂の四天王立像は、、北円堂に安置されていた運慶作の像ではないかと考えられています(国宝)。

運慶は1212年(建暦2年)に北円堂の弥勒仏及び両脇侍像、四天王像、無著・世親像を造立しています。

南円堂の諸仏と同じく南都焼討後の再興像。

現在、北円堂の弥勒仏坐像、無著・世親立像、中金堂の四天王立像は、東京国立博物館で開催されている「運慶展」に出品されています。



運慶


運慶 祈りの空間









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興福寺中金堂

興福寺南円堂

興福寺北円堂


興福寺


歴史めぐり源頼朝


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2025年9月28日日曜日

興福寺・願成就院・浄楽寺の運慶仏 ~毘沙門天と多聞天~


毘沙門天像と多聞天像は仏法の守護神。

単独で置かれる場合は「毘沙門天」、四天王の一尊として置かれる場合は「多聞天」と呼ばれています。




中央が奈良興福寺中金堂の多聞天。

右が伊豆の国市願成就院の毘沙門天。

左が横須賀浄楽寺の毘沙門天。

いずれも運慶の造立で、宝塔と三叉戟(さんさげき)を持ち、甲冑に身を固めています。

願成就院と浄楽寺の毘沙門天は同時期(30代の頃)のもの。

武将のような顔つきで似ているような感じですが・・・

興福寺の多聞天は晩年のもので、空気感が違うように感じます。

やはり、南都復興の祈りが込められているからでしょうか?




願成就院は、北条時政が伊豆に建てた寺。

阿弥陀如来坐像・不動明王と二童子像(矜羯羅童子・制咤迦童子)・毘沙門天像は、1186年(文治2年)に運慶が造立したもの。

願成就院の拝観は、火曜日と水曜日がお休み(祭日の場合は開館)。

拝観時間は10:00~16:00
(最終受付15:30)




浄楽寺は、和田義盛が横須賀に建てた寺。

阿弥陀如来及両脇侍像・不動明王像・毘沙門天像は、1189年(文治5年)に運慶が造立したもの。

2025年9月から運慶仏が常時拝観できるようになりました。

拝観時間は
9:00~12:00
13:00~16:00
(最終受付15:30)




興福寺中金堂の四天王像は、もとは北円堂にあったもので、1212年(建暦2年)に運慶が造立したものと考えられています。

1180年(治承4年)の平重衡の南都焼討で焼失した北円堂は、1210年(承元4年)頃に再建されました。

南都焼討後の復興造仏を任せれたのが運慶でした。


11月30日まで東京国立博物館で「運慶 祈りの空間 - 興福寺北円堂」が開催されています。

中金堂の多聞天も展示されています。

東京に奈良の運慶仏があるうちに、願成就院と浄楽寺の運慶仏も拝観すれば、より運慶を感じることができるかも。






運慶


願成就院の運慶仏

浄楽寺の運慶仏

運慶 祈りの空間









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興福寺

興福寺北円堂


浄楽寺

願成就院


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2025年9月26日金曜日

秀吉の木像と十一面観音像~琵琶湖長浜 知善院~


知善院は、豊臣秀吉が長浜城の鬼門守護とした寺。


秀吉木像

秀吉木像は、大坂夏の陣で落城した大坂城から持ち出されたものなのだという。



観音堂に安置されている十一面観音坐像は、運慶作と伝えられるもので重要文化財。



知善院


長浜城








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大和郡山城


豊臣秀長


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2025年9月24日水曜日

興福寺南円堂 年に1度の特別開扉 10月17日 ~運慶の父康慶の仏像公開~



10月17日は、南円堂特別開扉の日。

【大般若経転読会】
 13:00~

【参拝】
 9:00~17:00


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


興福寺南円堂には、本尊の不空羂索観音像を中心に四天王像・法相六祖坐像が安置されています。

いずれも、1180年(治承4年)の平重衡の南都焼討後の再興像で、運慶の父・康慶が一門を率いて制作したもの(全て国宝)。


康慶は、南都焼討後の東大寺や興福寺の復興に活躍した慶派の基礎を築いた仏師。

慶派は奈良仏師の傍系ですが、康慶は1177年(治承元年)に後白河法皇蓮華王院五重塔の造仏を担当して法橋の僧位を得ています。

当時、奈良仏師で僧位を得ていたのは康慶のみだったようです。

1180年(治承4年)、南都焼討で全焼した興福寺の復興造仏に正系の成朝とともに参加。

成朝は東金堂と食堂の造仏を担当し、康慶は一門を率いて南円堂の造仏を担当しました。

南円堂の諸仏は1189年(文治5年)に完成させたものです。

その後、法橋より一段上の法眼の位を得た康慶は、1196年(建久7年)、東大寺大仏殿の脇侍像・四天王像の造立に参加しているようですが、間もなく没したものと考えられています。



興福寺南円堂


南都焼討


運慶

興福寺北円堂


運慶 祈りの空間


興福寺








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大和郡山城


大和国の寺社勢力と豊臣秀長

大納言塚


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