別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2026年6月14日日曜日

明智光秀は腐った鯉料理を出した?~安土城の宴席~




1582年(天正10年)5月、織田信長は徳川家康を功を労うため、家康を安土城に招いて豪華な宴席を設けました(安土饗応)。

接待役は明智光秀。

光秀が用意した料理の中には、当時の最高食材だった「鯉」を使ったものもありました。


鯉のまなす(イメージ)


光秀が用意した鯉は、天下一のブランド「淀の鯉」(京都の淀川で獲れた鯉)だったようですが、腐っていたため信長が激怒。

信長に蹴られたり殴られたりした光秀は、そのことを恨み本能寺の変を起こしたという説がありますが・・・

このエピソードはのちに語られたもので、実際は何事もなく大成功に終わったのだとか。



安土城


安土饗応

明智光秀が用意した鯉料理


本能寺の変


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2026年6月12日金曜日

祇園御霊会~祇園祭の始まり~




863年(貞観5年)、京都では、深刻な感染症が猛威を振るい、多くの死者が出る事態に。

当時、疫病の流行は政争に敗れて非業の死を遂げた者たちの怨霊や疫神の仕業と恐れられていましたが・・・

朝廷は、5月20日、6名の怨霊を慰めるための御霊会を神泉苑で行ないました。

神泉苑は天皇や貴族しか入ることのできない禁苑でしたが、この日は一般庶民も入ることができたそうです。


しかし、その後も疫病は収まらず全国的に流行します。

人々は牛頭天王(ごずてんのう)の祟りと噂したのだとか。

869年(貞観11年)6月14日、人々は神泉苑に当時の国の数である「66」の矛(ほこ)を立て、祇園社(八坂神社)の神輿3基を送って、牛頭天王(祇園神)を祀る御霊会を執り行いました(祗園御霊会)。

それが「祇園祭」の始まりと伝えられ、970年(安和3年)には官祭として行われるようになったのだそうです。



祇園祭

祇園御霊会



神泉苑

八坂神社


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


鎌倉の祇園祭

大町まつり

八雲神社例大祭 極楽寺

八雲神社例大祭 北鎌倉山ノ内の天王祭

江の島天王祭

小動神社天王祭


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2026年5月15日金曜日

葵祭の申餅~下鴨神社の和菓子~




申餅下鴨神社の名物和菓子。

参道のお休み処「さるや」で提供されています。

かつての葵祭では、開催期間中の「申の日」に神前に申餅が供えられ、無病息災を願って食べられていたのだとか。

明治以降途絶えた申餅ですが、「さるや」の申餅は140年ぶりに復元されたもの。



申餅


葵祭

下鴨神社


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


京都


祇園祭

時代祭


源義経をめぐる京都

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2026年5月12日火曜日

葵祭では葵桂が飾られる。




葵祭は、古くは賀茂祭と呼ばれた賀茂神社(下鴨神社上賀茂神社)の祭礼。

「葵祭」と呼ばれているのは、賀茂神社の神紋「二葉葵」(ふたばあおい)を装飾に用いたことに由来しています。

上賀茂神社の祭神・賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)は、下鴨神社の祭神・玉依媛命(たまよりひめのみこと)の子ですが・・・

降臨する際に「葵桂(あおいかつら)を作って飾り、馬を走らせて、神迎の祭を行うように」と告げたのだとか。

この伝説に基づいて葵祭では、勅使や供奉者の衣冠・牛車などに葵桂が飾られています。



葵祭と葵桂


葵祭


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京都


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時代祭


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2026年4月25日土曜日

竹生島~浅井長政が信仰した神の島~




琵琶湖に浮かぶ竹生島は、古くから弁才天と観音の聖地として信仰されてきた島。

戦国時代に北近江を支配した浅井氏三代の領内にあったことから、浅井氏にとっては極めて重要な信仰の場でした。

1558年(永禄元年)の「永禄の大火」で島内の堂塔・社殿がことごとく焼失しまうと・・・

三代当主の浅井長政は島内の宝厳寺竹生島神社の復興に深く関わり、織田信長との戦いで籠城中であったにもかかわらず、復興のための材木を筏を組んで島へ運ばせていたのだといいます。

信長も、この復興作業を攻撃せず黙認していたのだと伝えられています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


宝厳寺竹生島神社は、明治の神仏分離までは一体化した宗教施設でした。



宝厳寺には浅井長政の父久政や祖母寿松が奉納した弁財天が祀られています。



竹生島神社には浅井氏の氏神・浅井比売命が祀られています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


1573年(天正元年)、浅井長政の小谷城が織田信長に攻められ、浅井氏は滅亡。

竹生島の復興資材は・・・



北近江の地を与えられた羽柴秀吉が蓄えられていた材木を長浜城の築城に流用しています。

長浜城は、小谷城の部材や竹生島の復旧資材などを集めたことで短期間で完成しますが・・・

資材を没収された竹生島の復興は滞ることに。

竹生島の伽藍を復興させたのは、浅井長政の長女・茶々(淀殿)が産んだ豊臣秀頼でした。

現在の唐門観音堂舟廊下竹生島神社本殿は、秀頼が秀吉ゆかりの建物を移築したもの。



竹生島


宝厳寺

竹生島神社


長浜城


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


大和郡山城


大納言塚


豊臣秀長


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2026年4月16日木曜日

祇園祭の「蟷螂山」と小田原の老舗「ういろう」




京都の祇園祭の山鉾巡行に登場する「蟷螂山」(とうろうやま)は、山鉾の中で唯一、巡行中に動く「からくり」が施されているもの。

「小田原のういろう」で知られる外郎家(ういろうけ)の二代当主・宗奇(そうき)が創始したのだといいます。

宗奇は、現在の京都市中京区蟷螂山町に屋敷を構えていましたが・・・

近くには南北朝時代に南朝の重鎮として活躍し、後村上天皇を逃がすため討死にた公卿・四条隆資の屋敷がありました。

宗奇は隆資の死後25年の節目に、四條家の御所車に蟷螂を乗せて巡行。

それが「蟷螂山」の始まりなのだとか。





「株式会社ういろう」は、外郎家が営む小田原で存続する最古の企業。

家伝の万能薬「透頂香」(とうちんこう)と和菓子の「ういろう」を製造・販売する老舗です。



祇園祭の蟷螂山と小田原外郎家


祇園祭

小田原城


北條五代祭り


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