別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2024年11月22日金曜日

出家した道長が法名を行願から行覚に改めた理由


1019年(寛仁3年)3月21日、藤原道長比叡山の院源を戒師として出家。

法名は行願でしたが、6月19日に行覚と改めています。


藤原実資の『小右記』には・・・

行願は、革聖と呼ばれた行円が建てた寺と同じ名であると書かれています。




行願寺は、行円が一条小川に創建した寺。

道長の三男・顕信は行円のもとで剃髪し、比叡山で出家しました。

顕信のことと関係があるのかどうかはわかりませんが、道長が法名を行願から行覚に改めたのは、『小右記』に書かれているような指摘があったからと言われているようです。


📎道長の出家と最期

📎出家した道長と彰子と和泉式部の歌





行願寺は都七福神の一つ
都七福神


七福神信仰の歴史



紫式部


藤原道長

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☆ ☆ ☆ ☆ ☆


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紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


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2024年11月21日木曜日

都七福神めぐり~2025京都の正月限定のバスツアー~




京都は七福神発祥の地。

都七福神めぐりは、萬福寺【布袋尊】、東寺【毘沙門天】、六波羅蜜寺【弁財天】、ゑびす神社【ゑびす神】、松ヶ崎大黒天【大黒天】、赤山禅院【福禄寿神】、革堂【寿老神】の7箇所の寺社を巡ります

1月1日から1月31日まで、定期観光バスが毎日運行。

大人12,900円
小児9,800円

9:30 JR京都駅烏丸口集合

9:40 京都駅烏丸口出発

昼食はホテル京阪京都グランデで「新春松花堂弁当 華」

17:15 JR京都駅烏丸口到着

大河ドラマ「光る君へ」ゆかりの寺社も。

予約は、おこしバス(京都定期観光バス)のページで。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


~大黒天~


妙円寺は五山の送り火「妙法」で知られる松ヶ崎東山の麓にある寺院。

本尊の大黒天は、伝教大師最澄の作と伝えられ「松ヶ崎大黒天」の名で親しまれています。


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~福禄寿~


赤山禅院は、泰山府君を勧請して開創された寺。

福禄寿は泰山府君の別の姿。

福禄寿のお姿おみくじが人気です。

拝殿の屋根には鬼門除けの猿が置かれています。

いたずらをするので金網の中にいるのだとか・・・。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


~寿老神~


行願寺は、千手観音を本尊とする天台宗の寺院(西国三十三箇所の十九番)。

行願寺の別称は「革堂」(こうどう)。

創建した行円が皮聖(かわひじり)と呼ばれていたことによるのだといいます。

藤原道長の三男顕信は行円のもとで剃髪し、比叡山で出家しています。


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~毘沙門天~


東寺毘沙門堂は、国宝の兜跋毘沙門天像を安置するために建てられた堂(現在は宝物館に安置)。

兜跋毘沙門天像は、平将門の乱の際に都の守護神として羅城門の上層に安置されたものだったといいます。

東寺は平安京の南の玄関口「羅城門」の東に建てられた王城鎮護の官寺(西には西寺がありました。)。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



萬福寺の布袋尊は天王殿に置かれています。

萬福寺は、中国明の僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)によって開かれた黄檗宗の大本山。

2024年(令和6年)、法堂大雄宝殿天王殿が国宝となっています。


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~弁財天~


六波羅蜜寺は、空也によって開かれた西光寺を前身とする寺院。

一条天皇の皇后宮藤原定子の遺体は、六波羅蜜寺に安置された後、鳥戸野陵に葬られました。

平安時代末には平清盛をはじめとする平家一門の邸宅が建ち並んでいたそうです。


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~ゑびす神~


ゑびす神社は、「えべっさん」の名で親しまれ、毎年1月10日の「十日ゑびす大祭」には、商売繁盛を祈願する多くの参詣者で賑わいます。

ゑびす神社は建仁寺の鎮守として栄西によって創建されました。





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2024年11月7日木曜日

髭切と膝丸が展示される東京国立博物館の大覚寺展




東京国立博物館では、2025年1月21日(火)から開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺 -百花繚乱 御所ゆかりの絵画-」が開催されます。

その会場には、大覚寺の薄緑(膝丸)と北野天満宮の鬼切丸(髭切)が展示されるそうです。

「髭切」(ひげきり)と「膝丸」(ひざまる)は、源家重代の太刀。

源満仲が作らせたもので、清和源氏に代々継承され、髭切は源頼朝が、膝丸は源義経が所持したと伝えられています。

その後、髭切は安達泰盛が所持し、泰盛が霜月騒動で滅亡すると、北条貞時の手に渡り、鎌倉幕府滅亡後は新田義貞日吉大社に奉納したのだとか。

膝丸(薄緑)は、義経によって箱根権現に奉納され、曽我兄弟の仇討ちで使用されたのだとか。




北野天満宮は、無実の罪で太宰府に流され、同地で没した菅原道真を祀る社。

神号は一条天皇から賜ったもの。

源頼光(満仲の長子)の四天王のひとり渡辺綱は、北野天満宮の上空で鬼の腕を切り落としたのだといいます。

その時に使われた刀が髭切なのだとか。

📎鬼女と渡辺綱の伝説~京都:一条戻橋~




大覚寺は、嵯峨天皇が営んだ離宮「嵯峨院」を前身とする寺。

嵯峨天皇は、紫式部『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルとされている源融の父。

光源氏は、晩年を嵯峨院で過ごしています・・・

大覚寺の『薄緑太刀伝来』には、義経が所持した際には「膝丸」を「薄緑」にしたことが記されているらしい。




髭切と膝丸


曽我兄弟が仇討ちに使った名刀









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歴史めぐり源頼朝

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2024年10月28日月曜日

光源氏と敦明親王がなった准太上天皇と源氏物語


『源氏物語』光源氏藤壺の不義の子として登場する冷泉帝は、光源氏を「太上天皇になずらふ御位」としました。

「太上天皇になずらふ御位」とは、太上天皇(上皇)に准じた待遇ということ。

「准太上天皇」とも呼ばれます。

では、歴史上で准太上天皇となった人物はいるのか?

1017年(寛仁元年)に三条天皇の第一皇子・敦明親王がなっているようです。

紫式部敦明親王の准太上天皇を参考に光源氏の准太上天皇を書いたとも考えられますが・・・

『源氏物語』は1017年にまだ完成していなかったのでしょうか?

『紫式部日記』によると、1008年(寛弘5年)に藤原彰子『源氏物語』と思われる冊子を作って一条天皇に献上しているので、1008年には大部分が完成していたのかと・・・

ということは、敦明親王の准太上天皇は『源氏物語』を参考にしたのかも。

※1017年に紫式部が生存していたかどうかも不明です。




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