別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2024年10月28日月曜日

光源氏と敦明親王がなった准太上天皇と源氏物語


『源氏物語』光源氏藤壺の不義の子として登場する冷泉帝は、光源氏を「太上天皇になずらふ御位」としました。

「太上天皇になずらふ御位」とは、太上天皇(上皇)に准じた待遇ということ。

「准太上天皇」とも呼ばれます。

では、歴史上で准太上天皇となった人物はいるのか?

1017年(寛仁元年)に三条天皇の第一皇子・敦明親王がなっているようです。

紫式部敦明親王の准太上天皇を参考に光源氏の准太上天皇を書いたとも考えられますが・・・

『源氏物語』は1017年にまだ完成していなかったのでしょうか?

『紫式部日記』によると、1008年(寛弘5年)に藤原彰子『源氏物語』と思われる冊子を作って一条天皇に献上しているので、1008年には大部分が完成していたのかと・・・

ということは、敦明親王の准太上天皇は『源氏物語』を参考にしたのかも。

※1017年に紫式部が生存していたかどうかも不明です。




紫式部


藤原道長

藤原彰子









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

琵琶湖で紫式部・源氏物語

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


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2024年10月24日木曜日

円覚寺舎利殿の特別公開~2024宝物風入~


円覚寺舎利殿


円覚寺の塔頭正続院の昭堂・舎利殿は、鎌倉で唯一の国宝建造物。

鎌倉幕府三代将軍の源実朝が宋から請来したという仏牙舎利が祀られています。

現在の舎利殿は、鎌倉尼五山の一つ太平寺の仏殿が移築されたもの。

宝物風入が行われる11月2日(土)から4日(月)まで特別公開されます。

9:00頃から16:00頃まで
(最終日は15:00頃まで)

特別拝観料300円が必要です。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


(参考)


京都の嵯峨嵐山にある鹿王院は、室町幕府三代将軍・足利義満が創建した寺。

鹿王院舎利殿に納められている仏牙舎利も源実朝が宋から請来したもの。

円覚寺の仏牙舎利の一部が京都に献上されたのだと伝えられています。




円覚寺舎利殿


円覚寺


宝物風入








☆ ☆ ☆ ☆ ☆


湘南キャンドル

龍の口竹灯籠


旧川喜多邸別邸


鎌倉の紅葉


長谷寺ライトアップ


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2024年10月23日水曜日

2025年、鎌倉復興期の興福寺北円堂が再現される!東博:運慶 祈りの空間




興福寺北円堂の本尊・弥勒仏坐像は、2024年(令和6年)6月から奈良国立博物館文化財保存修理所内の工房で保存修理が行われています。



北円堂の弥勒仏坐像と無著・世親菩薩立像は、1212年(建暦2年)に仏師運慶らによって造立されたもので国宝。

弥勒仏坐像の修理は2025年(令和7年)までかかる予定で、終了後は無著・世親菩薩立像とともに東京国立博物館で開催される特別展「運慶 祈りの空間-興福寺北円堂」で展示されます。


興福寺中金堂

特別展では、中金堂に置かれている四天王立像(国宝)も展示されることとなっています。

中金堂の四天王立像は、かつて北円堂に安置されていた運慶作の像ではないかと考えられているものです。



興福寺は、1180年(治承4年)の平重衡による南都焼討で灰燼に帰しました。

「運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」では、鎌倉復興期の北円堂が再現されます。

会期は2025年9月9日から11月30日まで。




運慶











2024年10月19日から
鎌倉の伝運慶仏

2024年10月26日から
運慶展


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行願寺で出家を決意した藤原道長の三男・顕信


1012年(寛弘9年)正月、藤原道長の三男・顕信は、行願寺の行円の教えに感銘を受け剃髪。

比叡山の無動寺で出家してしまいます。

道長や母の源明子は悲しんだといいますが、

何故・・・

前年12月、三条天皇は顕信を蔵人頭に任じること道長に打診しますが、道長は顕信が「不足の者」(能力不足の者)であるとして辞退。

父から「不足の者」という評価を受けた顕信は失望して行願寺の行円のもとを訪れたのだと言います。


📎藤原顕信~突然出家した藤原道長の三男~




行願寺は1004年(寛弘元年)に行円が開いた寺院。

一条天皇の勅願寺となりました。

西国三十三箇所の十九番。

御詠歌は花山法皇が詠んだ

「花を見て いまは望みも 革堂の 庭の千草も 盛りなるらん」

寿老神は都七福神の一つ。



紫式部


藤原道長

藤原彰子


一条天皇









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源氏物語

光源氏


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2024年10月20日日曜日

萬福寺の法堂・大雄宝殿・天王殿が国宝に。~京都宇治~


2024年(令和6年)10月18日、文化審議会は宇治の萬福寺法堂大雄宝殿天王殿を国宝とする答申をしました。

萬福寺は禅宗の一派・黄檗宗(おうばく)の大本山。

中国明の僧・隠元隆琦が開いた寺で、明朝禅を今に伝えています。



萬福寺法堂

法堂(はっとう)は、説法をする場所。


萬福寺大雄宝殿

大雄宝殿(だいゆうほうでん)は本堂。

本尊は釈迦如来坐像(脇侍は迦葉と阿難)。

左右には十八羅漢、背後には開山隠元隆琦の像が安置されています。


萬福寺天王殿

天王殿には都七福神の一つ布袋尊像が安置されています。

左右には四天王像、背後には韋駄天像。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



萬福寺の伽藍様式は明朝風。

三門天王殿大雄宝殿法堂が一直線に並び、その左右には諸堂が整然と配置され、全てが回廊で結ばれています。




萬福寺



都七福神









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