東寺は、796年(延暦15年)、西寺とともに平安京の南の玄関口にあたる羅城門を挟んで左右対称に配置され、東西を守る王城鎮護の官寺として創建されました。
しかし、平安時代末になると、源平の戦いで羅城門は崩れ落ち、東寺も衰退の一途をたどります。
『吾妻鏡』によると、源頼朝は荒廃してしまった東寺を修造を文覚に命じています。
そして、諸像修復を手掛けたのは文覚の依頼を受けた運慶でした。
講堂は、空海の立体曼荼羅が安置されている建物。
1197年(建久8年)、東寺諸仏の修復を行った運慶は、仏像15体から真言陀羅尼と仏舎利を発見したのだといいます。
かつての南大門に安置されていた金剛力士像は、1197年(建久8年)に運慶が子の湛慶・康運らを率いて造立したものだったのだと伝えられています。
参考までに、東大寺南大門の金剛力士像は、5年後の1203年(建仁3年)に運慶が一門を率いて造立したものです。
もしかすると、東寺の金剛力士像が基になっているのかもしれません。
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東大寺大仏殿にも運慶仏があった!
東大寺南大門の金剛力士像は
運慶作!
興福寺北円堂の
南都焼討後の復興仏は運慶作!