「厭離穢土欣求浄土」は、穢れた世界を厭い離れ、清浄な仏の国土に生まれることを願い求める思想。
この語を貴族や庶民にまでも普及させたのが恵心僧都源信の『往生要集』。
「厭離穢土欣求浄土」の思想を浄土信仰の基本とした源信は、穢土を地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道とし、浄土には10種の楽のあることして、浄土での十楽を願い、穢土を厭い離れることを勧めた。
桶狭間の戦い後、窮地に立った徳川家康は、大樹寺の登誉天室に「厭離穢土欣求浄土」の思想を諭され生き抜く決意をした。
比叡山の横川にある恵心堂は、恵心僧都源信が修行をした所。
来年の大河ドラマは紫式部が主人公の「光る君へ」。
『往生要集』を著した恵心僧都源信は、『源氏物語』の「宇治十帖」に登場する横川の僧都のモデルといわれる。
琵琶湖に浮かぶ浮御堂は恵心僧都源信の創建。
宇治の恵心院は恵心僧都源信が再興した寺。
紫式部は、『源氏物語』という架空の物語を書いたことで、五戒の一つ「不妄語戒」の罪(嘘をついてはいけない)で地獄に落とされたという噂があったらしい・・・
恵心僧都の教えをどのように思っていたのだろう・・・・
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