死穢(しえ)=死の穢れ。
平安時代、死は恐怖の対象とされ、伝染すると信じられていたようです。
「光る君へ」第7話では、弘徽殿女御(藤原忯子)が亡くなりますが、花山天皇は遺体に近づくことができませんでした。
参考までに・・・
死傷者を出した930年(延長8年)6月26日の清涼殿落雷事件では、醍醐天皇は清涼殿から常寧殿に遷座しますが、体調を崩して3ヶ月後に崩御しています。
この事件は菅原道真の怨霊の仕業という噂もあったようですが・・・
鎌倉時代になりますが、1311年(延慶4年)1月16日、内裏で刃傷事件が発生。
事件を起こした鵜沼孫左衛門は、内裏内で死穢が生じるのを防ぐため、門外に出されてから処刑されています。
📎藤原忯子の懐妊と死
☆ ☆ ☆ ☆ ☆