(※材木座にある元八幡のところ。)
源頼義 |
その後、1081年(永保元年)2月に源義家が修復を行ったことが『吾妻鏡』によって伝えられています。
源義家の「旗立の松」(元八幡) |
参考:源氏の系図
1180年(治承4年)10月6日、畠山重忠を先陣として相模国に到着した源頼朝は、翌日には由比郷の鶴岡八幡宮を遙拝します。
そして、12日には、鶴岡八幡宮を小林郷北山に遷しました。
現在の若宮の辺りだったといわれています。
しばらくの間の別当(長官)職には專光坊良暹がおかれ、事務は大庭景義が命じられています。
鶴岡八幡宮が遷座された場所は、平安時代の墓地があった場所といわれています。
昭和57年の発掘調査では、男女各一体の土葬骨が発見され、木造の五輪塔なども発見されたそうです。
鶴岡八幡宮遷宮から3日後の15日、頼朝は御亭に入ります。
山ノ内の首藤兼道邸の移築が完了したものと考えられますが、その場所は定かではありません。
また、それまでどこで暮らしていたのかも不明のようです。
(参考:源頼朝の新亭造営・・・大倉幕府)
翌16日、頼朝は、平維盛を迎え撃つため、駿河国へと出陣しています。
鶴岡八幡宮
https://www.yoritomo-japan.com/page041hatiman.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html