気比神宮は北陸道の総鎮守。
越前国の一宮。
996年(長徳2年)、父の藤原為時とともに越前国へ下向した紫式部も参拝したものと思われます。
そして、紫式部の越前下向から190年後、
『義経記』によると・・・
壇ノ浦の戦い後、源頼朝と不仲となってしまった源義経は、都を逃れ、逢坂の関を越えて大津から琵琶湖を渡って奥州平泉へ向かったのだといいます。
義経は唐崎の松、比叡山、日吉大社、堅田浦を眺めながら琵琶湖の西岸沿いを進み、白鬚神社を拝みながら今津浦を過ぎて海津浦へ。
海津浦から愛発山を越えて敦賀に至り、気比神宮で祈願した後、木ノ芽峠を越えて越前武生に辿り着いたようです。
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