別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年12月18日日曜日

源平合戦の一番矢を放った佐々木経高の最期~承久の乱~


佐々木経高は、源頼朝に仕えた佐々木四兄弟の一人。

近江源氏・佐々木秀義の次男。

頼朝の挙兵時には、平家を征伐の最初の矢を放った武将です(山木館襲撃)。

承久の乱では朝廷軍に加わり、乱後、自刃しました。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

『吾妻鏡』によると・・・

院中で合戦の計を廻らしていた経高は、朝廷軍が敗北した後は鷲尾(東山区)にいました。

1221年(承久3年)6月16日、北条泰時

「鎌倉に相談して許されるようにするので、安易に死なぬように」

と使いを出しますが・・・

これを「自害せよ」と受け取った経高は、

「恥ずかしい限りである」

として刀を抜いて身体を切り裂きます。

まだ息がある中、輿に乗せられ六波羅へ連れて行かれますが、

泰時が「なんで自害など・・・」と問いかけると、

経高はやっと目を開いて微笑んで息を引きとったのだとか。



瀬田唐橋


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