別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2017年11月17日金曜日

曽我祐信の罪が許され、和田義盛を侍所別当に。

『吾妻鏡』によれば・・・

1180年(治承4年)11月17日、佐竹征伐を終えて鎌倉に帰った源頼朝は、和田義盛を侍所の別当に任命しています。

義盛は、8月の石橋山の敗戦後、安房国へと渡るときに、この先どうなるかもわからないにも拘わらず、侍所別当の職を要望していたのだといいます。

侍所は軍事・警察の組織。

別当は、そこの最高位の長官です。


和田城址

和田義盛は、三浦義明の長男で鎌倉に杉本城を築いた杉本義宗の子。

父が亡くなると杉本城を弟義茂に任せて、三浦半島東部の和田を開拓しました。

和田城は和田長浜海岸の近くにあったと考えられていますが、現在は石碑があるのみとなっています。


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この日頼朝は、石橋山の戦いで敵対した曽我祐信の罪も許しているようです。

祐信は、のちに仇討ちを決行する曽我兄弟の養父。




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歴史めぐり源頼朝

富士巻狩りと曽我兄弟の仇討ち



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