1180年(治承4年)11月17日、佐竹征伐を終えて鎌倉に帰った源頼朝は、和田義盛を侍所の別当に任命しています。
義盛は、8月の石橋山の敗戦後、安房国へと渡るときに、この先どうなるかもわからないにも拘わらず、侍所別当の職を要望していたのだといいます。
侍所は軍事・警察の組織。
別当は、そこの最高位の長官です。
和田義盛は、三浦義明の長男で鎌倉に杉本城を築いた杉本義宗の子。
父が亡くなると杉本城を弟義茂に任せて、三浦半島東部の和田を開拓しました。
和田城は和田長浜海岸の近くにあったと考えられていますが、現在は石碑があるのみとなっています。
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この日頼朝は、石橋山の戦いで敵対した曽我祐信の罪も許しているようです。
祐信は、のちに仇討ちを決行する曽我兄弟の養父。
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