鎌倉に武家の都を築いた源頼朝は、1199年(建久10年)正月13日に亡くなりました。
生前に建てた持仏堂に葬られたと伝えられています。
頼朝が葬られた後の持仏堂は法華堂と呼ばれました。
現在の墓塔は、江戸時代に薩摩藩の島津重豪が建てたもの。
島津氏の祖・忠久は頼朝の落胤という伝説が残されています。
島津の紋
頼朝墓の右側に置かれている土と石は、頼朝の弟希義の墓から持ってこられたもの。
頼朝の妻北条政子は、伊豆山神社の梛の葉をお守りに持っていたそうです。
梛の葉は「縦筋なので横には裂けない」、つまり・・・変わらぬ愛を叶えてくれるお守りなのだとか・・・。
頼朝墓の東の山の中腹には、島津重豪が頼朝墓とともに整備した島津忠久の墓があります。
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