円覚寺開山は中国・宋の禅僧・無学祖元。
1279年(弘安2年)8月20日、八代執権・北条時宗の招きによって来日し、建長寺の第五世住持となります。
時宗の師として幕府の御家人からも厚い信仰を受けました。
1281年(弘安4年)、二度目の蒙古襲来(元寇)に際しては、苦悩する時宗に「莫煩悩」(まくぼんのう)の三文字を与えます。
「迷うことなく信ずるところを行え」という意味であったといいます。
「蒙古の襲来は、大風が掃蕩してくれるので心配ない」という説明も加えられたともいいます。
師より「莫煩悩」の文字を受けた時宗は、元の襲来の報が入ると、無学祖元に「喝」(かつ)という言葉を告げて、自分の決意を示したと伝えられています。
円覚寺は、元との戦いで犠牲となった者を敵味方なく供養するため北条時宗が創建しました。
総門前の白鷺池は、祖元が来日したときに、白鷺に姿を変えた鶴岡八幡宮の神霊に導かれた場所だといわれています。
白鹿洞は、祖元の法話を聞くために集まった白鹿が出てきた穴と伝えられています。
円覚寺の山号は「瑞鹿山」(ずいろくさん)には「めでたい鹿のお山」という意味があるそうです。
(開山塔)
1284年(弘安7年)4月4日、時宗が亡くなります(34歳)。
亡骸は円覚寺に葬られました(佛日庵)。
時宗の三回忌から間もない1286年(弘安9年)9月3日、祖元も建長寺で示寂。
亡骸は建長寺に葬られ、建長寺には塔所として正続庵が創設されていましたが、1335年(建武2年)、後醍醐天皇の勅命により円覚寺に移されました。
10月3日の開山忌では、正続院の舎利殿に一山の僧侶が集まり法会が行われます。
4年に一度の閏年には、無学祖元の坐像が輿に乗せられ境内を巡堂します。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆