別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


2010年12月19日日曜日

鎌倉の初詣

初詣は、新年になって初めて神社や寺院に参拝し、一年の平和と安全を願うものです。

初詣が習慣的に行われるようになったのは明治に入ってからだといいます。

何か日本人が「最初にやるべき行事」として古代よりあったような感じもしますが・・・。


鶴岡八幡宮
毎年、初詣ランキングのベスト・テンに入っています。
2009年は251万人の初詣客で、
全国第5位でした。


~鶴岡八幡宮の破魔矢~

1063年(康平6年)、陸奥の安倍貞任の征伐から帰った源頼義は、鎌倉の由比郷鶴岡に石清水八幡宮を勧請します(由比若宮(元八幡))。

そして、石清水八幡宮から、戦の守護として拝領した破魔弓と破魔矢を神宝として納めたといいます。

鶴岡八幡宮の破魔矢は、その開運の守りにちなんだものです。


鶴岡八幡宮の初詣と破魔矢

新年の鶴岡八幡宮:http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_03.html



~鎌倉宮の獅子頭~

鎌倉宮は、後醍醐天皇の皇子で、鎌倉で悲運の最期を遂げた護良親王を祀る神社です。

お守りの「獅子頭」は、護良親王が兜の中に獅子頭を入れて出陣したという故事から、「厄除け・幸運招来のお守り」として伝えられています。


鎌倉宮の初詣と獅子頭

新年の鎌倉宮:http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_9226.html



~江の島:江島神社~
(日本三大弁財天)

江の島は、古くより島全体が信仰の霊地として崇められ、江戸時代には弁財天信仰で賑わいました。

江の島の弁財天は、安芸の宮島、近江の竹生島とともに日本三大弁財天と称されています。


江の島の初詣




~江の島:児玉神社~
(『坂の上の雲』)

日露戦争で活躍した児玉源太郎を祀る神社です。

児玉源太郎は、NHKで放送された『坂の上の雲』でも知られています。

年間を通じて賑わっている江の島ですが、あまり参拝客の訪れることのない児玉神社は、静かで、新年に一年の無事を祈るのには最適かもしれません。


江の島の初詣

初詣~江の島~:http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_01.html



~鎌倉えびす:本覚寺~

本覚寺では、元旦から3日までが「初えびす」、10日に「本えびす」が行われます。

福娘が御神酒や甘酒を振る舞い、福笹やお守りを授けてくれます。


鎌倉えびす

鎌倉えびす~本覚寺(初えびす):鎌倉~:
http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_4749.html



~銭洗弁財天の初巳祭

銭洗弁財天の初詣は、「初巳の日」が盛り上がりを見せます。

弁財天と習合した宇賀福神は、体がヘビで頭が人の形をしています。もともとの弁財天もヘビと関係のある神のようですが・・・。

銭洗弁財天の初詣

銭洗弁財天の初巳の日:http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_02.html



~学問の神様:荏柄天神社~

荏柄天神社は、日本三天神の一つに数えられる神社です。

1月25日の「初天神」では、「筆供養」が行われます。


荏柄天神社の初詣

新年の荏柄天神社:
http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_4445.html



~葛原岡神社の無患子守~

葛原岡神社は、後醍醐天皇の忠臣日野俊基を祀る神社です。

お守りの「無患子」は「患いを無くす」ということから「無病息災」・「厄除け」にご利益があるそうです。


葛原岡神社の初詣と無患子守

無患子・・・葛原岡神社:
http://okadosblog.blogspot.com/2011/10/blog-post_5290.html



~五所神社と潮神楽~

五所神社は材木座の鎮守。

1月11日には、材木座海岸「潮神楽」が催されます。


五所神社の初詣と潮神楽

材木座海岸の汐まつり(潮神楽):
http://okadosblog.blogspot.com/2011/01/blog-post_11.html



~御霊神社と七福神~

御霊神社は、祭神鎌倉権五郎景政の武勇伝が残された神社。

福禄寿は、鎌倉・江の島七福神の一つです。


御霊神社の初詣と七福神



~光明寺:除夜の鐘と弁財天~

光明寺除夜の鐘がつける寺。

そして、弁財天は江の島奥の院に置かれていた像だといわれています。


光明寺の除夜の鐘と初詣


鎌倉は初詣の他に様々な新年行事を楽しむことが出来ます。

新年鎌倉の祭(行事)
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/sinnen-gyoji.htm
鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

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「地蔵縁日」と「鎌倉の伝説の地蔵」


「お地蔵さま」を「一番親しみのある仏さま」と思われる方は多いのではないでしょうか。

それは、子どものころから、野辺や路辺に「お地蔵さまのいる風景」を見てきたせいなのかもしれません。


「地蔵菩薩」は、釈迦の入滅後、弥勒菩薩が誕生するまでの間、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道に分身して、それぞれの道で苦しむ者を救ってくれる仏さまとして信仰されてきました。

また、賽の河原で苦しんでいる子どもを救ってくれることから、古くから子どもを守ってくれる仏さまとしても信仰されています。


毎月24日は、お地蔵さまの縁日です。

つい最近まで各所に地蔵講が残されていて、4のつく日には信者が集まって法会が行われていたといいますが、今はどうなのでしょう。

宝戒寺では、7月の地蔵盆に「地蔵まつり」が行われています。



~伝説の地蔵菩薩たち:鎌倉~


どこも苦地蔵
(瑞泉寺)

瑞泉寺の地蔵堂に安置されている地蔵像は、もとは扇ヶ谷の智岸寺(廃寺)にあったお地蔵さまだと伝えられ、「どこも苦地蔵」と呼ばれて親しまれています。

そのむかし・・・

堂守が、どうにも生計が立たないので別の場所に移り住もうとすると、夢枕にお地蔵さまが現れて「どこも、どこも」と言ったそうです。

「どこに行っても苦しいのは同じ」ということをお地蔵さまは伝えたのだといいます。



 貝吹地蔵

瑞泉寺裏山の崖にある地蔵像です。

1333年(元弘3年)の新田義貞の鎌倉攻めの際に、一体の地蔵が現れ、自害した北条高時の首をもって逃げた家来を、この地に導いてくれたと伝えられています。



 導地蔵堂
(極楽寺)

子どもたちを健康に育てるのに霊験あらたかなことから、「導き地蔵」と呼ばれ信仰を集めてきました。

このお地蔵さまの視野に入るところでは、子どもたちに災難が起きないといわれています。



 月影地蔵堂
(極楽寺)

極楽寺から少し奥に入った山裾に地蔵堂があります。

安置されている地蔵菩薩像(月影地蔵)は、月影ヶ谷の阿仏尼邸にあったものだと伝えられています。

息子の正当性を訴えるために鎌倉に来た阿仏尼と、この月影地蔵との間には、どのような関係があったのでしょうか・・・。



 岩船地蔵堂

扇ヶ谷にある地蔵堂です。

このお堂に祀られている地蔵菩薩は、源頼朝の長女大姫の守り本尊だったといわれています。

大姫は、父頼朝によって討たれた木曽義高との悲恋がもとで亡くなりました。


網引地蔵

「矢拾い地蔵」は、浄光明寺の収蔵庫に安置されている像で、足利直義の守り本尊と伝えられています。

伝説によれば、戦のときに矢がつきてしまった直義に、矢を拾い集めてきた子どもの僧がいたそうです。

「網引地蔵」は、浄光明寺の裏山のやぐら内に安置されている像で、由比ヶ浜の漁師の網にかかって引き上げられたものだと伝えられています。


 塩嘗地蔵

光触寺の本堂前の地蔵堂に安置されています。

朝比奈峠を越えてやってきた塩売りが供えた塩を嘗めた」という伝説のあるお地蔵さんです。

当時は、六浦道の傍らにあったといいます。

六浦道(現在の金沢街道)は「塩の道」と呼ばれ、六浦から鎌倉に塩を運び入れる大切な道でした。



この他にも、

建長寺の「斎田地蔵」(宝物風入のときに拝観できます。)と「心平寺地蔵」(参考:心平寺地蔵堂

○裸像で知られている延命寺の「身代わり地蔵」

○由比ヶ浜大通り(長谷小路)の六地蔵(参考:長谷小路の散策(下馬~長谷寺)

源頼朝が信仰した日金地蔵(横須賀の東漸寺に安置)


などの地蔵があります。



~閻魔大王と地蔵菩薩~

そして、お地蔵さまで忘れてはならないのは、死後の裁きを言い渡す閻魔大王です。

閻魔大王も、もとは地蔵菩薩です。

圓應寺の閻魔大王は、「子育て閻魔」と呼ばれています。閻魔堂の端に安置された「詫言地蔵」は、本人に代わって閻魔大王にお詫びしてくれるというお地蔵さまです。

地蔵まつりが行われる宝戒寺にも閻魔大王が祀られています。



 鎌倉二十四地蔵


 鎌倉手帳



 よりともジャパン.com


2010年12月18日土曜日

除夜の鐘と鎌倉の名鐘

12月31日(大晦日)の夜から1月1日にかけて撞かれる鐘を「除夜の鐘」と呼びます。

108回の鐘が撞かれますが、そのうち107回までを旧年中に撞き、残りの1回を新年に撞くというのが一般的な作法のようです。


108という数については・・・

「煩悩の数」とする説が多く語られているようですが、


かなり複雑な計算によって導き出されたものもあります。

(眼・耳・鼻・舌・身・意)のに、(苦・楽・不苦不楽)のを掛けます。
6×3 = 18

続きまして・・・
この18に(貧者と無貧者)のを掛けます。
18×2=36

さらにこの36に(過去・現在・未来)のを掛けます。
すると・・・36×3=108


そして、一年十二ヶ月・二十四気・七十二候の和であるという説もあります。
(12+24+72=108



~鎌倉を代表する梵鐘~

円覚寺の梵鐘(洪鐘)


鎌倉最大の梵鐘。九代執権北条貞時江ノ島に参籠して鋳造に成功させたという伝説の梵鐘で、「国宝」に指定されています。

この鐘を吊す鉄環は、名刀正宗で知られる刀工正宗の作と伝えられています。


建長寺の梵鐘

「関東一の美しさ」といわれる梵鐘で、「国宝」に指定されています。

五代執権北条時頼の寄進。撰文は開山の蘭渓道隆建長寺創建当時の貴重な遺品です。


東慶寺の梵鐘

材木座の補陀洛寺から移された梵鐘です。分捕り品となって土中に埋められた鐘を、のちに農民が掘り出したものと伝えられています。

もともとの東慶寺の梵鐘は、伊豆韮山の本立寺にあります。


本覚寺の梵鐘

本覚寺開山の日出が、木更津八幡宮別当との論争に勝利して得た梵鐘です。

「石渡造左衛門という者が担いで持って帰ってきた」という伝説が残されています。



この外、鎌倉最古の梵鐘といわれる常楽寺の梵鐘は、鎌倉国宝館に寄託されています。

長谷寺の梵鐘も常楽寺建長寺に次ぐ古鐘ですが、現在は長谷寺の宝物館に置かれています。





大船観音寺(23時から先着順に整理券配布)
浄智寺(先着108名:23時から整理券配布)
長谷寺(先着108組:22時50分頃から整理券配布)
龍寳寺(先着108組:23時頃から整理券配布)

円覚寺(先着400名)
光明寺
浄光明寺(1時終了:「源頼朝挙兵の伝説」が残る不動明王の開帳)
青蓮寺
瑞泉寺
東慶寺(先着108名:あかつきの鐘は全員)
本覚寺
満福寺
薬王寺
杉本寺
妙本寺(先着108名)


鎌倉三名鐘
https://www.yoritomo-japan.com/page142meisho.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html


よりともジャパン.com


長谷寺の歳の市

12月18日は長谷寺「歳の市」です。

鎌倉で「歳の市」が開かれるのは長谷寺だけとなりました。熊手・達磨・神棚という縁起物をはじめとした多くの露店が長谷寺の参道に並びます。


長谷寺観音堂
午前11時から御祈祷の法要が行われます。
12月18日は、観音さまと五色の紐で結ばれる特別な日です。
「お手綱」(おてづな)と呼ばれる紐に触れながら参拝すれば、
観音さまとより近い縁で結ばれるそうです。

たくさんのお線香です。

門前には露店が並びます。

熊手

達磨

神棚

川戸のおやじさん
熊手を売っているのは、川戸のおやじさん。

観音堂の前では、「福寿草市」が開かれています。

センリョウやマンリョウの市もやってます。




鎌倉「冬紅葉」。
カエデの紅葉がきれいです。


昔から縁起物の売り買いは交渉です。交渉が成立するとお祝いの「シメ」です。いろんなシメがあるのでしょうが・・・「ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨヨヨイ ヨイ」とかねぇ~・・・。いいですねぇ~。





 長谷寺歳の市


 鎌倉手帳

2010年12月17日金曜日

御鎮座記念祭~鶴岡八幡宮の御神楽~

鶴岡八幡宮「御鎮座記念祭」~御神楽~は、京都の石清水八幡宮の祭神を迎えるために執り行われた儀式を再現したもので、毎年12月16日に行われます。


鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)8月、奥州を平定して鎌倉に帰った源頼義が、京都の石清水八幡宮を由比鶴岡に勧請したのがはじまりです(参考:元八幡)。

1180(治承4年)10月6日、鎌倉入りを果たした源頼朝は、10月12日には由比鶴岡の八幡宮を現在地に遷座します。

しかし、1191年(建久2年)3月4日、小町大路付近で発生した火災で、火の粉が五重塔に移り、社殿はことごとく焼失してしまいます(参考:鶴岡八幡宮の五重塔)。

頼朝は直ちにその復興に着手し、現在の上下両宮の姿に再建しました。

そして、11月21日、あらためて石清水八幡宮を勧請しています。


鶴岡八幡宮上宮(本宮)


その遷宮の日である11月21日を、陰暦から陽暦に換算した12月16日に〈御鎮座記念祭〉は行われます。

1191年(建久2年)11月21日の遷宮の日、頼朝は京都より雅楽家の多好方(おおのよしかた)を招いて「遷宮の儀」を執り行っています。

『吾妻鏡』には、「好方、宮人曲を唱し、頗る神感の瑞相あり・・・」と記されています。




午後5時になると、宮司以下神職が大石段を上り、上宮で祭典が執り行われます。

祭典が終わると宮司らが大石段を下りて、舞殿北側に特設された祭場に着席します。


「御火台(みひひろく)を奉れ」
と唱えられると、篝火に火が点じられます。



火が燃え上がると、「宮人曲」が唱えられます。

そして、巫女4人による舞(宮人の舞)が奉納され、続いて、宮中武官衣装の神職による舞楽「人長の舞」が奉納されます。

※「人長」(にんちょう)というのは、御神楽の舞人の長のことをいいます。




静寂の中、篝火が焚かれ、多好方が唱えたという「宮人曲」が復元され、舞が奉仕される様は、かなり感動的でした。

写真がよくないので、その素晴らしさが伝わりませんが・・・。





京より招かれた多好方は、鶴岡八幡宮の楽人らに「宮人曲」を伝授し、飛騨国荒木郷を与えられたそうです。

畠山重忠梶原景季は、頼朝の命によって、多好方から雅楽を習ったと伝えられています。


御鎮座記念祭
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/gotinza-kinensai.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html



2010年12月16日木曜日

黒部宮~源頼朝の勧請と伝わる神社:平塚市~

黒部宮は1191年(建久2年)、源頼朝によって勧請されたと伝えられ、翌年には、頼朝の妻政子の安産を祈願して神馬が奉納され、御産加持が命ぜられています。


黒部宮
現在平塚市内にある春日神社の元宮に当たります。
かつては、範隆寺が別当を務め門前も栄えていましたが、
海岸に近かったことから波浪の度に流され、
居住者は、範隆寺とともに現在の春日神社のある地へ移住したといいます。

黒部宮は同じ場所に残されています。


濱嶽神社
近くにある濱嶽神社は、黒部宮を元宮とする春日神社の分神です。





政子安産の祈願所(鎌倉手帳)
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/anzan.htm
鎌倉手帳
http://www8.plala.or.jp/bosatsu/kamakura.html

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