別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2010年12月17日金曜日

御鎮座記念祭~鶴岡八幡宮の御神楽~

鶴岡八幡宮「御鎮座記念祭」~御神楽~は、京都の石清水八幡宮の祭神を迎えるために執り行われた儀式を再現したもので、毎年12月16日に行われます。


鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)8月、奥州を平定して鎌倉に帰った源頼義が、京都の石清水八幡宮を由比鶴岡に勧請したのがはじまりです(参考:元八幡)。

1180(治承4年)10月6日、鎌倉入りを果たした源頼朝は、10月12日には由比鶴岡の八幡宮を現在地に遷座します。

しかし、1191年(建久2年)3月4日、小町大路付近で発生した火災で、火の粉が五重塔に移り、社殿はことごとく焼失してしまいます(参考:鶴岡八幡宮の五重塔)。

頼朝は直ちにその復興に着手し、現在の上下両宮の姿に再建しました。

そして、11月21日、あらためて石清水八幡宮を勧請しています。


鶴岡八幡宮上宮(本宮)


その遷宮の日である11月21日を、陰暦から陽暦に換算した12月16日に〈御鎮座記念祭〉は行われます。

1191年(建久2年)11月21日の遷宮の日、頼朝は京都より雅楽家の多好方(おおのよしかた)を招いて「遷宮の儀」を執り行っています。

『吾妻鏡』には、「好方、宮人曲を唱し、頗る神感の瑞相あり・・・」と記されています。




午後5時になると、宮司以下神職が大石段を上り、上宮で祭典が執り行われます。

祭典が終わると宮司らが大石段を下りて、舞殿北側に特設された祭場に着席します。


「御火台(みひひろく)を奉れ」
と唱えられると、篝火に火が点じられます。



火が燃え上がると、「宮人曲」が唱えられます。

そして、巫女4人による舞(宮人の舞)が奉納され、続いて、宮中武官衣装の神職による舞楽「人長の舞」が奉納されます。

※「人長」(にんちょう)というのは、御神楽の舞人の長のことをいいます。




静寂の中、篝火が焚かれ、多好方が唱えたという「宮人曲」が復元され、舞が奉仕される様は、かなり感動的でした。

写真がよくないので、その素晴らしさが伝わりませんが・・・。





京より招かれた多好方は、鶴岡八幡宮の楽人らに「宮人曲」を伝授し、飛騨国荒木郷を与えられたそうです。

畠山重忠梶原景季は、頼朝の命によって、多好方から雅楽を習ったと伝えられています。


御鎮座記念祭
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/gotinza-kinensai.htm
鎌倉手帳
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