鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)8月、奥州を平定して鎌倉に帰った源頼義が、京都の石清水八幡宮を由比鶴岡に勧請したのがはじまりです(参考:元八幡)。
1180(治承4年)10月6日、鎌倉入りを果たした源頼朝は、10月12日には由比鶴岡の八幡宮を現在地に遷座します。
しかし、1191年(建久2年)3月4日、小町大路付近で発生した火災で、火の粉が五重塔に移り、社殿はことごとく焼失してしまいます(参考:鶴岡八幡宮の五重塔)。
頼朝は直ちにその復興に着手し、現在の上下両宮の姿に再建しました。
そして、11月21日、あらためて石清水八幡宮を勧請しています。
鶴岡八幡宮上宮(本宮) |
その遷宮の日である11月21日を、陰暦から陽暦に換算した12月16日に〈御鎮座記念祭〉は行われます。
1191年(建久2年)11月21日の遷宮の日、頼朝は京都より雅楽家の多好方(おおのよしかた)を招いて「遷宮の儀」を執り行っています。
『吾妻鏡』には、「好方、宮人曲を唱し、頗る神感の瑞相あり・・・」と記されています。
午後5時になると、宮司以下神職が大石段を上り、上宮で祭典が執り行われます。
祭典が終わると宮司らが大石段を下りて、舞殿北側に特設された祭場に着席します。
「御火台(みひひろく)を奉れ」
と唱えられると、篝火に火が点じられます。
火が燃え上がると、「宮人曲」が唱えられます。
そして、巫女4人による舞(宮人の舞)が奉納され、続いて、宮中武官衣装の神職による舞楽「人長の舞」が奉納されます。
※「人長」(にんちょう)というのは、御神楽の舞人の長のことをいいます。
静寂の中、篝火が焚かれ、多好方が唱えたという「宮人曲」が復元され、舞が奉仕される様は、かなり感動的でした。
写真がよくないので、その素晴らしさが伝わりませんが・・・。
京より招かれた多好方は、鶴岡八幡宮の楽人らに「宮人曲」を伝授し、飛騨国荒木郷を与えられたそうです。
※畠山重忠と梶原景季は、頼朝の命によって、多好方から雅楽を習ったと伝えられています。
御鎮座記念祭
https://www.yoritomo-japan.com/gyoji-maturi/gotinza-kinensai.htm
鎌倉手帳
https://www.yoritomo-japan.com/kamakura.html