別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2024年11月21日木曜日

都七福神めぐり~2025京都の正月限定のバスツアー~


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京都は七福神発祥の地。

都七福神めぐりは、萬福寺【布袋尊】、東寺【毘沙門天】、六波羅蜜寺【弁財天】、ゑびす神社【ゑびす神】、松ヶ崎大黒天【大黒天】、赤山禅院【福禄寿神】、革堂【寿老神】の7箇所の寺社を巡ります

1月1日から1月31日まで、定期観光バスが毎日運行。

大人12,900円
小児9,800円

9:30 JR京都駅烏丸口集合

9:40 京都駅烏丸口出発

昼食はホテル京阪京都グランデで「新春松花堂弁当 華」

17:15 JR京都駅烏丸口到着

大河ドラマ「光る君へ」ゆかりの寺社も。

予約は、おこしバス(京都定期観光バス)のページで。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


~大黒天~


妙円寺は五山の送り火「妙法」で知られる松ヶ崎東山の麓にある寺院。

本尊の大黒天は、伝教大師最澄の作と伝えられ「松ヶ崎大黒天」の名で親しまれています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


~福禄寿~


赤山禅院は、泰山府君を勧請して開創された寺。

福禄寿は泰山府君の別の姿。

福禄寿のお姿おみくじが人気です。

拝殿の屋根には鬼門除けの猿が置かれています。

いたずらをするので金網の中にいるのだとか・・・。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


~寿老神~


行願寺は、千手観音を本尊とする天台宗の寺院(西国三十三箇所の十九番)。

行願寺の別称は「革堂」(こうどう)。

創建した行円が皮聖(かわひじり)と呼ばれていたことによるのだといいます。

藤原道長の三男顕信は行円のもとで剃髪し、比叡山で出家しています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


~毘沙門天~


東寺毘沙門堂は、国宝の兜跋毘沙門天像を安置するために建てられた堂(現在は宝物館に安置)。

兜跋毘沙門天像は、平将門の乱の際に都の守護神として羅城門の上層に安置されたものだったといいます。

東寺は平安京の南の玄関口「羅城門」の東に建てられた王城鎮護の官寺(西には西寺がありました。)。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



萬福寺の布袋尊は天王殿に置かれています。

萬福寺は、中国明の僧・隠元隆琦(いんげんりゅうき)によって開かれた黄檗宗の大本山。

2024年(令和6年)、法堂大雄宝殿天王殿が国宝となっています。


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~弁財天~


六波羅蜜寺は、空也によって開かれた西光寺を前身とする寺院。

一条天皇の皇后宮藤原定子の遺体は、六波羅蜜寺に安置された後、鳥戸野陵に葬られました。

平安時代末には平清盛をはじめとする平家一門の邸宅が建ち並んでいたそうです。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


~ゑびす神~


ゑびす神社は、「えべっさん」の名で親しまれ、毎年1月10日の「十日ゑびす大祭」には、商売繁盛を祈願する多くの参詣者で賑わいます。

ゑびす神社は建仁寺の鎮守として栄西によって創建されました。





都七福神


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☆ ☆ ☆ ☆ ☆

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望月の歌~彰子・妍子・威子を満月に例えた道長の歌~


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この世をば
わが世とぞ思ふ
望月の
かけたることも
なしと思へば



藤原道長「望月の歌」は、三后のすべてを我が娘で占めるという偉業を達成したときに詠まれた歌。

そのため、

「この世で自分の思うようにならないものはない。満月に欠けるもののないように・・・」

と解釈されてきました。

しかし、「望月の歌」を詠んだ夜は望月(満月)ではなく、少し欠け始めていたようです。

さらに、「この世をば わが世とぞ思ふ」の「世」は「夜」のことで、「栄華を極めた道長の世」という意味ではないという説があります。

道長は自分の栄華を満月に例えたのではなく、太皇太后(長女彰子)・皇太后(次女妍子)・皇后(四女威子)を満月に例えたのだという説も。

とすると「望月の歌」の解釈は・・・

「今宵は良い夜だ。月は少し欠けてしまったが、我が娘たちは満月のようだ(欠けていない)」

となるのかも。




望月の歌



紫式部


藤原道長

藤原彰子









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光源氏


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紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


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2024年11月20日水曜日

源氏物語・須磨の巻~光源氏が蟄居した地~




紫式部『源氏物語』は、「須磨の巻」から書き始められたともいわれます。

須磨は、光源氏のモデルともいわれる在原行平ゆかりの地。




光源氏は、政敵の右大臣の娘・朧月夜との密会が露見してしまったことを機に須磨へ退くことに。

一年が経った3月、須磨の浦で禊(巳の日祓)をしていた光源氏は豪風雨に襲われます。

そして、亡き父の桐壺帝が夢枕に現れ、住吉の神の導きに従い須磨を離れるように告げられます。

翌朝、明石入道の舟で明石へと移り、明石入道邸で明石の君と出会うことに。

京都市勧業館「みやこめっせ」前の源氏物語石像は、「源氏物語千年紀」に建てられたもの。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり」

「若木の桜」は光源氏紫の上を想って植えた桜。

須磨寺源平の庭には「若木の桜跡」があります。


若木の桜



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現光寺には、「光源氏月見の松」が聳えます。



現光寺は、光源氏が住まいしていた地と伝えられることから「源氏寺」と呼ばれます。


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関守稲荷神社は、光源氏巳の日祓をした場所とみなして「巳の日稲荷」と呼ばれています。




源氏物語 須磨・明石









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