別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




okadoのブログは、『中世歴史めぐりyoritomo-japan』の別冊。
京都・奈良・平泉・鎌倉などの寺社・歴史・人物・伝説・文化・自然・花などの情報をお伝えします。


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2025年11月4日火曜日

特別展「国宝 源氏物語絵巻」~徳川美術館~




徳川美術館で紫式部『源氏物語』を諸場面を絵画化した「源氏物語絵巻」が公開されます。

平安時代に描かれた現存最古の物語絵巻で国宝。

平安時代から何度も絵画化されてきた「源氏物語絵巻」ですが、徳川美術館と五島美術館が所蔵するものは最高傑作とされています。


徳川美術館開館90周年記念特別展
国宝 源氏物語絵巻


2025年11月15日(土)~12月7日(日)
10時~17時
(最終入館は15時30分)

休館日
月曜日(11月24日(月祝)は開館)
11月25日(火)

入館料
一般1,600円
高大生800円
小中生500円


徳川美術館
名古屋市東区徳川町1017
JR中央本線「大曽根」駅下車
南口より徒歩8分


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


(越前市 紫式部公園)

紫式部が越前国に下向したことを記念して整備された紫式部公園には、十二単衣をまとった金色の紫式部像が建てられています。


紫きぶ七橋

越前市を流れる河濯川に架かる七つの橋の高欄には、『紫式部日記絵巻』や『源氏物語絵巻』の一場面がレリーフとしてはめこまれています。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


(大津市 京阪「石山寺」駅前)

紫式部の泉は、「源氏物語絵巻」の3場面をモチーフにつくられた噴水。



紫式部


源氏物語

光源氏

紫式部と越前国

紫式部の京都

琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


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2024年12月28日土曜日

多井畑厄除八幡宮~義経も祈願した日本最古の厄除けの霊地~




多井畑厄除八幡宮は、770年(神護景雲4年)の疫病流行の際に疫神祭が行われた地に鎮座。

安元年間(1175-1177)に石清水八幡宮を勧請して創建されました。

光源氏のモデルの一人とされる在原行平や一ノ谷の戦いの英雄源義経が祈願したと伝えられ、日本最古の厄除けの霊地といわれています。

毎年1月18日から20日にかけて厄除祭が行われます。




1184年(寿永3年)2月、平家追討のため一ノ谷へと向かう源義経は、多井畑厄除八幡宮で戦勝を祈願。

その時、休息をとったのが義経腰掛の松なのだとか。





源氏物語 須磨・明石



一ノ谷の戦い









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


紫式部


源義経


歴史めぐり源頼朝


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2024年12月17日火曜日

嵐が来るわ!道長の死と武士の台頭。~光る君へ~


大河ドラマ「光る君へ」の最終回では、藤原道長が最期を迎える時、紫式部は道長に「戦のない泰平の世を護られました」と語っていました。

ただ、最後の言葉は「嵐がくるわ」でした。


1027年(万寿4年)12月4日、道長が薨去すると、翌年、東国では平忠常が反乱を起こします(平忠常の乱)。

忠常は高望王流桓武平氏

「光る君へ」に登場した双寿丸が仕えた平為賢と同族。

東国で「新皇」を称して反乱を起こし、940年(天慶3年)に平貞盛と藤原秀郷らに討ち取られた平将門の孫。

将門以来の大規模な反乱となった平忠常の乱は、摂関政治を終わらせるきっかけとなります。

これは、道長の時代に起こった刀伊の入寇での朝廷の無策と、活躍した武者(のちの武士)たちの恩賞が不十分であった事が原因の一つと考えられています。


平忠常の乱を鎮めたのは、経基流清和源氏の一流河内源氏の祖源頼信

頼信は、道長四天王の一人でした。

1051年(永承6年)には、陸奥国で勢力を広げていた安倍頼良と陸奥守・藤原登任の間で戦いが起こりますが、この反乱を鎮めたのは、河内源氏二代棟梁の頼義とその子義家(前九年の役)。

義家は、その後の後三年の役(1183-1087)でも活躍しますが、朝廷は私闘と判断して恩賞を与えなかったたため、義家は従軍した坂東武者たちに私財から恩賞を与えて「武神」と称えられています。

そして、1086年(応徳2年)、白河上皇が院政を開始し、200年以上続いた摂関政治が終わります。

ただ、院政期に特別な扱いを受けたのは、東国の反乱に活躍した河内源氏ではなく、伊勢平氏でした。

伊勢平氏も高望王流桓武平氏

伊勢国を拠点とした一族ですが、地盤を築いたのは道長四天王の一人だった平維衡。

そして、子孫の平清盛が1159年(平治元年)の平治の乱源義朝を倒したことで源氏は没落し、平氏の勢力が拡大されます。

清盛は、後白河院政下で武士としては初めてとなる太政大臣となり、さらに我が国初の武家政権を樹立しました。

それは源頼朝の武家政権へと繋がっていくことになります。


参考までに・・・

頼朝は、平忠常の乱を鎮圧した源頼信から数えて七代目。

平治の乱後、頼朝は処刑される運命にありましたが、それを救ったのが清盛の継母池禅尼でした。

池禅尼刀伊の入寇で活躍した藤原隆家の子孫。

頼朝とともに鎌倉に武家政権を創った北条時政政子義時は、高望王流桓武平氏の平直方の子孫といわれています。

頼朝の源氏再興の挙兵を援けた房総半島の千葉常胤上総広常は、平忠常の子孫でした。




紫式部


源氏物語


藤原道長

藤原彰子









☆ ☆ ☆ ☆ ☆


源氏物語

光源氏


紫式部の京都

平安宮 源氏物語ゆかりの地

琵琶湖で紫式部・源氏物語

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


紫式部年表


紫式部・源氏物語・光源氏ゆかりの地めぐり~光る君へ~


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2024年12月12日木曜日

紫式部の歌~京都・越前・琵琶湖の歌碑~


★幼い頃からの友に出逢ったときの歌

めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに
雲がくれにし 夜半の月かな





嵯峨嵐山歌碑



☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★上賀茂神社の片岡社で詠んだ歌。

ほととぎす 声まつほどは 片岡の
森のしづくに 立ちやぬれまし





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★越前に下向する途中で詠んだ歌

三尾の海に 網引く民の てまもなく
立居につけて 都恋しも





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★越前に下向する途中で詠んだ歌

知りぬらむ 行き来にならす 塩津山
世にふる道は からきものとは





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★越前で初雪が降った日に

ここにかく 日野の杉むら 埋む雪
小塩の松に けふやまがへる






☆ ☆ ☆ ☆ ☆


藤原宣孝の求婚の文に対する返歌

春なれど 白嶺の深雪 いや積り
解くべきほどの いつとなきかな





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★「早く都へ戻りたい」

ふるさとに 帰る山路の それならば
心やゆくと ゆきも見てまし





☆ ☆ ☆ ☆ ☆


★帰京途中に沖島を望んで

おいつしま 守りの神や いますらん
波もさわがぬ わらわえの浦







☆ ☆ ☆ ☆ ☆


彰子に仕えた時に詠んだ歌

身のうさは 心のうちに したひきて
いま九重に 思ひみだるる












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紫式部


源氏物語

光源氏


紫式部と越前国


紫式部の越前下向


琵琶湖で紫式部・源氏物語

平安宮 源氏物語ゆかりの地

源氏物語 須磨・明石

宇治十帖


藤原道長

藤原彰子



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