大河ドラマ「光る君へ」では、双寿丸という男が紫式部の娘・賢子と恋仲になるような気配ですが・・・
双寿丸は平為賢の従者で、賢子を盗人から救ったことで、屋敷に出入りするようになります。
実在した人物ではないようですが、どういう人物をモデルに描かれているのでしょうか?
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平為賢は1019年(寛仁3年)の刀伊の入寇で活躍した武者。
妻は高階成順の娘(大姫御前と呼ばれていたらしい。)。
高階氏といえば、藤原伊周・隆家兄弟の母貴子がいますが、成順は貴子の兄弟・明順の子。
つまり大姫御前は貴子の姪孫(てっそん・甥の子)にあたります。
そして、為賢が活躍した刀伊の入寇の総指揮官は隆家。
賢子は1017年(長和6年)頃から、皇太后・藤原彰子のもとに出仕します。
そして、藤原道兼の次男・兼隆と結婚します。
兼隆は貴子の義甥(ぎせい・義兄弟の子)。
高階貴子つながりからすると、双寿丸は藤原兼隆をモデルとしているのかも。
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賢子は恋多き女性だったといわれ、藤原道長の次男・頼宗、藤原公任の長男・定頼とも交際していたといわれています。
そして、高階成章とも結婚しています。
成章は貴子の従甥(じゅうせい・従兄弟の子)。
ただ、結婚したのは、1025年(万寿2年)に賢子が後冷泉天皇の乳母に任ぜられた後で、1037年(長暦元年)頃といわれているので、少し無理があるのかもじれません。
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参考までに、平為賢は常陸国筑波郡多気を拠点としていた平維幹(多気氏の祖)の四男。
『宇治拾遺物語』によると、妻の大姫御前は、維幹が上洛した時に盗み、常陸国へ連れ帰った娘なのだとか。
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