986年(寛和2年)の寛和の変で花山天皇が退位し、一条天皇が即位したことで藤原兼家は摂政となりました。
関白太政大臣だった藤原頼忠は、関白の地位は失いますが、太政大臣としての地位は維持します。
左大臣源雅信は続投。
雅信は円融法皇の信頼を得ていました。
兼家は、円融法皇と意見が対立することもあったようです。
右大臣には、花山天皇が寵愛した藤原忯子の父藤原為光が就任。
為光は兼家の異母弟。
左大臣に雅信が残ったことで全権を奮うに至らない兼家は、為光と連携するため右大臣としたのだといいます。
📎摂政・関白と摂関政治
一条天皇の生母詮子は皇太后に。
兼家の長男道隆は大納言。
三男道兼は参議。
五男道長も同年中に三度の叙位を受けて従四位下・左近衛少将になっています。
そして、東宮(皇太子)には居貞親王(のちの三条天皇)が立てられました。
📎両統迭立の皇位継承~冷泉系と円融系~
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