別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2022年8月22日月曜日

仁田忠常の墓~伊豆函南町~




仁田忠常は、源頼朝の挙兵に従い、鎌倉幕府の創設に尽力した武将。

平家追討奥州征伐で武功をあげ、曽我兄弟の仇討事件では十郎祐成を討ち取りました。


頼朝亡き後は頼家に仕えますが・・・


1203年(建仁3年)9月2日、北条時政は自邸に比企能員を誘き出して暗殺。

暗殺を実行したのは、時政の命を受けた仁田忠常天野蓮景(遠景)。

二人は、能員の左右の手をつかみ、山裾の竹藪の中に能員を引きずり込み、殺害したのだと伝えられています。

比企能員暗殺から3日後の9月6日、時政は、能員追討の褒美を与えるため、忠常を自邸(名越邸)に呼び寄せます。

しかし、忠常は暗くなっても出て来ない・・・

これをおかしいと思った忠常の護衛の男は、忠常の馬を引き連れて帰宅し、このことを忠常の弟五郎と六郎に報告しました。

五郎と六郎はこう考えます。
 
「ひょっとして、将軍から時政を討つよう命じられていたことがばれてしまい、殺されてしまったのではないか・・・」と。

そして、五郎と六郎は、その復讐のため北条義時を襲撃(そのとき義時は北条政子邸(御所)にいました。)。

しかし、五郎は波多野忠綱に討たれ、六郎は台所に火を放ち自殺。

一方、忠常は名越邸を出て、帰宅する途中にこのことを知ったのですが・・・

弟たちの行動で謀反を疑われた忠常は、御所へ向かう途中、加藤景廉に誅されました。





仁田忠常


曽我兄弟の仇討ち

比企能員の暗殺・比企氏滅亡







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