別冊『中世歴史めぐりyoritomo-japan』




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2020年8月8日土曜日

石山寺で『源氏物語』を起筆した紫式部




紫式部(むらさきしきぶ)は、平安時代中期の作家・歌人・官僚。

998年(長徳4年)頃、藤原宣孝と結婚しますが、わずか3年後の1001(長保3年)4月25日、宣孝は疫病のため卒去。

その現実を忘れるために物語を書き始めた紫式部。

それが評判となり、一条天皇の中宮彰子(藤原道長の娘)に仕えるようになります。

そして、宮仕えをしながら完成させたのが『源氏物語』。


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 紫式部


「源氏の間」は石山寺本堂の相の間にある部屋。

1004年(寛弘元年)8月15日、石山寺に参籠中だった紫式部は、中秋の名月が琵琶湖に映る美しい景色を見て、この部屋で『源氏物語』を書き始めたのだといいます。

『源氏物語』の冒頭は「桐壺」の巻ですが・・・

この日、紫式部は「須磨」「明石」の巻の一節を書きとどめたのだとか・・・

在原行平(光源氏のモデルの一人)が蟄居を余儀なくされた須磨での日々を重ねあわせながら、「須磨」「明石」の両巻から書き始めたのだといいます。


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紫式部の供養塔

宝篋印塔の笠を3つ重ねた層塔(三重宝篋印塔)は紫式部の供養塔と伝えられ、様式から鎌倉時代のものと推定されるもので、国の重要美術品に認定されています。 


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 須磨寺

「須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり」

「若木の桜」は光源氏が紫の上を想って植えた桜。

須磨寺源平の庭に「若木の桜跡」が残されています。


 源平の庭


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石山寺






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