(伊東市・東林寺)
1959年(昭和34年)、日本相撲協会が建てた碑。
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『曽我物語』によれば・・・
1176年(安元2年)、伊豆に流されていた源頼朝を慰めるための「狩猟」が催されました。
その折の余興で相撲が行われます。
相撲の名手といわれた俣野景久は21連勝し、最後の挑戦者が力自慢の河津祐泰でした。
河津祐泰は、連勝の俣野景久を、のちに「河津掛」と呼ばれる技で破ったのだといいます。
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(参考)
河津祐泰は、この狩りの帰路、工藤祐経によって殺されています。
所領争いが原因だったといわれています。
祐泰の父は伊東祐親。
「仇討ち」で知られる曽我兄弟は祐泰の子。
一方負けた俣野景久は、石橋山の合戦での佐奈田与一義忠との死闘で知られてます。
(伊東市東林寺)
(伊東市)
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