腰越の満福寺は源義経ゆかりの寺。
1185年(元暦2年)、壇ノ浦で平家を滅ぼした源義経は、平家の大将平宗盛を護送し、鎌倉に凱旋しようとしますが・・・
兄の源頼朝は鎌倉に入ることを許しませんでした。
本堂欄間の彫刻
満福寺に留まった義経は、頼朝の許しを得るための手紙を書きます。
この手紙が『吾妻鏡』にも記されている「腰越状」です。
本堂前の義経・弁慶像
手紙は弁慶が下書きしたのだといいます。
本堂
本堂の襖32面には、鎌倉彫で義経が描かれれています。
硯の池
弁慶が腰越状の下書きをするために墨をすっていると池のほとりでコウロギが鳴いていたそうです。
弁慶が「やめよ」と一喝すると静まったといわれ、以来、満福寺のコウロギは鳴かないのだとか。
弁慶の手玉石
江ノ電
満福寺の門前には江ノ電が走ります。
境内からは、奥州平泉で最期を遂げた義経の首実検が行われたという腰越の浜が見えます。
・・・・・・・・・・・・・